第385回(ひまわりno201回)田岡嶺雲全集第6巻、北越雪譜、秋山紀行

2018.2月寄稿

過ぐる2月4日、新聞に驚嘆すべき知らせが出た。その見出しは「半世紀をへて田岡全集完成へ」。中身は「明治、大正期の文芸・社会評論家で、中国文学研究者でもある、田岡嶺雲(たおか・れいうん)の著作を網羅した西田勝編『田岡嶺雲全集』の第6巻(法政大学出版局/¥20,000円)がしゅっぱんされました。第7巻も18年中に刊行の予定で、1969年の刊行以来、半世紀をへて完成します。第6巻は荘子、蘇東坡ら中国の歴史的人物の評伝と最晩年の評論を収めています」。

この田岡嶺雲について私は,既に「室蘭民報」連載の「本の話」第522回(2009〈平21〉5.17)に書いているので、そのコピーを乗せる。それにしても、これは正しく偉業だ。これこそ「文化」だと言う感じのする仕事だ。

編者の西田も偉ければ、これを出し続けてきた法大出版局もエライ。確か筑摩書房の「ドストエフスキー全集」も長くかかったが、半世紀まではいかなかったろうと思う。こう言うものを備えてこそ図書館だ。利益優先の指定管理者の図書館には、望み得ぬことだ。

日時はすっかり忘れているが、今度の福井の大雪で思い出したことがある。それは私と兄が雪で死にかっかったこと。30歳前半だったと思うが、ある冬、里帰り長姉が東京へ帰るのを、千歳空港まで送って行ったときのことだ。無事離陸したのを確かめて、夕方36号線で帰路につくと、場所を意識せずにいたので、どこか分からぬが、白老あたりから。ものすごい吹雪になってきた。そのころ「ホワイトアウト」なんて言葉は知らなかったが,真暗い中、ライトの中に雪が舞い込んでくる。真っ直ぐにくるのではなく、まるで「蛇の目傘」をくるくる回されたような感じで、雪が回り回り飛んでくるので、目が回りそうになる。道の境が分からぬ。そのうちエンジンに雪が入ったかして動かなくなってしまった。みるみる中に車が雪に覆われてくる。どれ程車内にいたか。バックミラーに、ライトの位置が我が車の屋根ほどの高さにある車が見えた。兄が「敏明、このままいては死ぬ。あれに助けてもらおう」と言うので、2人外へ出て、腕を組みあったが、すごい風で10m余も、さながら氷面を滑るかのように飛ばされた。車の前に出て2人で必死に手を振ると、車は止まってくれて、それはタンクローリーだった。乗ってみるとライトは運転席よりずっと下にあって、ということは、舞い踊る雪は下に見えて、こちらが見る分には支障がない。で、これ又どの位の時間が過ぎたのか分からぬが、とにもかくにも、夜が明けそめる頃、仏坂にたどり着いた。翌日の昼目覚めると、兄は既に北交ハイヤーの支店長に助けてもらって置いてきた車を探しに行ったとのこと。我妻さんは今でも時々言う。「あの時お母さんが、息子2人を一度に失うのかねえ、と言って心配した」と。実際あのタンクローリーが来なければ、車の中で凍死していたことだろう。そこで雪の話の古典、江戸の文人達が「雪見酒」などと、風流にかまえているが、雪が如何に恐ろしいものであるかを含めて、雪の全てを語った本,即ち鈴木牧之の「北越雪譜1 」を出そう。

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これについても又、私は「本の話」代7回(1990年平2.8.18)に語っていて、このno分は既に「本の話」として単行本担っているので、そちらを見てもらうことにして、この古典の現代語訳3種中、濱森太郎訳を出しておこう。あとの2点は①池内紀訳(小学館/1997/¥1500+税)②田村賢一訳著「北越雪譜物語」(新潟日報事業者/昭54/¥1,100)因みに原文で読みたい人は、①岡田武松校訂「校註・北越雪譜」(野島出版/昭和45/¥990)がある。

今回の大雪で、この「北越雪譜」に数紙が触れていた。大雪と聞いて(or見て)皆がこの本を思い出した訳で、これこそ古典の古典たる証拠だ。もっとも雪の博士・中谷宇吉郎は「北越雪譜」には科学的でない話が多すぎると言った注文をつけたが、その科学的でないところに、また違った面白さがあると言うものだ。ところで大雪と言うことで「北越雪譜」を出したが、福井の大雪は昭和56年以来とのこと。考えてみれば、こんな大雪はそうあるまいから、この機会を逃さずもう一点鈴木牧之の本を紹介しよう。それは「秋山紀行2  」

辞書「言海」の成り立ちを語った「言葉の海へ3 」で大佛次郎賞と亀井勝一郎賞を受賞した高田宏は、「雪を読むー北越雪譜に沿いながら〜 」(1997/大巧社刊)で「秋山郷」を次のように紹介する。「信濃と越後の国境にまたがる小さな村々を総称して「秋山郷」呼ぶ。険しい山々の間の谷に流れる中津川という激流に沿って点在する15の村だ。〜平家の隠れ里と言い伝えられる村々である」。

牧之は江戸時代の作家、あの「東海道中膝栗毛」の十返舎一九がこの地に興味を示すので,共に探訪しようとしていたが、一九が死んでしまったので一人で出かけた。その結果出来たのがいまや「民俗学の草分け」「貴重な生活記録」と評価されるこの探訪記。「甘酒」と題する章があるので、山里の美味しい酒の話かと思いきや、これたった2軒の「村」の名で、牧之が「寂しかろう」と言えば、昔は川西に8軒ある大秋山なる村があったが,天命3年の飢饉で全員餓死との返事etc.想像を絶する事共の連続記録で、誠に興味深い。原文は読みにくいので、磯部定治の現代語訳を出す。それでも原文をという人は、平凡社・東洋文庫のNO186の「秋山紀行,夜職草(昭46刊)をどうぞ。

有名な一茶の「是がまあついの栖(すみか)か雪五尺」の五尺は1m67cmだ。

  1. 鈴木牧之.北越雪譜.岩波文庫(1978) []
  2. 鈴木牧之.秋山紀行.信濃古典読み物叢書8(2008) []
  3. 高田宏.言葉の海へ.新潮社文庫(1984) []

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