司書独言(211)

◯月◯日/女手一つで息子2人を小学校教員に、娘1人を道庁職員に育て上げた本人から聞いた話。離婚の原因は亭主のギャンブル。結婚するまでその気配も見せなかった男が、家の中から金目のものは全て持ち出す、親戚から借りまくる。・・・

で長男が小6の時「母さん、父さん居ても地獄、居なくても地獄、ならいない方がいいから別れてくれ」と言い、母がそれで決心したのだと言う。

◯月◯日/横浜の女市長がカジノを決めた。道の新知事は選挙の時から「道民目線で決める」と言い、相手候補が「それは具体的に言うとどういうことか?」と聞くと言を左右にして答えない。普通の日本語なら「道民目線」とは「道民の立場として見た場合」の意見だ。各種のアンケートでは道民の6-7割がカジノ誘致に反対している。つまり「カジノ反対」が「道民目線」だ。道知事が四の五言う段階を通り越している。しかしこの若者はカジノを招ぶだろう。この若者、最近の表情を見ると傲慢と卑下を綯い交ぜに使っている。つまらん、並の政治家になっていきそうだ。

◯月◯日/カジノで思い出したが、大学生になって直ぐの頃、「ドストエフスキーの日記」を読んだ。読んでびっくりしたのは、この大作家が大のギャンブラーであったこと。何しろこの日記、新婚旅行の時期も含んでいるのだが、この作家、新婚初夜もへちまもあったもんではない。とにかくカジノへへばりついて宿に帰らぬ。新妻のことはどこかに消えて、大金を借りては張り続ける。人間模様の深淵を描いたのは、こうした体験があればこそと言えぬでもないが、ギャンブルっ気なしの人間からすれば、この作家も只の愚か者に見えてくる。只はっきり言えることは、苫小牧にカジノが出来れば、大小無数のドストエフスキーと先に引いた泣く母子(又は父子)が出現するだろうこと。道民目線から見て、これ恐ろしくない?

◯月◯日/街頭演説で「安倍辞めろ」と野次った人間を道警が排除した。これで田中角栄を思い出した。いつの選挙だったか場所も忘れたが、角栄があのしゃがれ声を出していると聴衆の後ろから青年が野次った。その途端角栄は声の来た方に顔を向けると「其処の若いの、此処が日本だから君(流石にお前とは言わなかったが)もそうして野次っていられるが、ソ連でやってみろ。たちどころに秘密警察にショッピカレルゾ」と返した。

◯月◯日/私はその野次に返す速さにも驚いたが、この秘密警察にも「一理あるわ」と驚いた「さもありなん」だ。そこで「此処は日本だからいいが」だが、今回の道警の態度を見れば「此処は日本だ」ではなくて、どうも「此処はロシアだ」になってきているのではないか。野次に耐えてこその街頭演説なのに、角栄が「たとえ話」として出したソ連並みに秘密警察ではない道警が出しゃばった。安倍政権は市民を弾圧しているプーチン政権と同類ということになるか。この事態に対して札幌の弁護士達が抗議を始めた。この節タレントもどきの売名弁護士が多くて、そういうのを見るつど「三百代言」はどうにもならんと思ってしまうが、こうした社会的正義に動く弁護士を知れば「偉いなあ」と救われた気持ちになる。

◯月◯日/もう10年一昔のことになろうか、北海道新聞から「新聞批評」欄を担当してくれとの依頼が来た。北海道を東西南北に分けて各地区から1名で計4名で担当した。その時期、武田邦彦の文章が「新聞批評」欄と同じ日に何回か載った。それである時「道新」の偉いさんに「道新程の新聞が頓狂男の武田の論のどこを評価して載せるのか」と聞いたことがある。聞いた方は「武田ネエ-」と困った顔になって黙ってしまった。

◯月◯日/私が何故にこの武田を”頓狂男”と言うかというと・・・この男を最初に見たのはソバ屋でのテレビ。まだタカジンが存命で「そこまでいっていいんかい」の司会をやってた頃、この武田が出て地球温暖化問題で”南極の氷がいくら溶けても世界の水位は上がらない”と言ったのだが、それを聞いてタカジン番組の馬鹿タレ(ント)共も、流石に「エッ、ウッソー」とざわめいたのだった。他にもこの頓狂男は”原発には何の危険もない”的なことを言う。

◯月◯日/その「頓狂男」暫くお目にかからないな、余り馬鹿説を述べるので干されたかなと思っていたら、生き延びていた。

◯月◯日/9月1日の報道によると、「ゴゴスマ」とやらに出演したこの男、ソウルに行った日本人女性をナンパしようとした挙句暴行に及んだとされる事件について、「路上で日本人の女性を訪れた国の男性が襲うのは世界で韓国しかない」と言い、更に「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しないといけない」と発言したという。いくらウスラトンカチのチンピラでも、ここまでは言えないだろうな。この男、悪意と愚かさの「天然記念物的混合物」じゃないのかね。

◯月◯日/「ゴゴスマ」と言うのはピンとこないが、ひょっとするとあのオリンピックを食い物にしたらしき元竹田宮家男の息子がコメンテーターとして出ているあれか?先日本屋で安倍政権を批判する人達を非難するナントカ言う男の本を立ち読みしたら、この竹田の息子を「日本一の愛国者」と持ち上げている。私にはこの鉄面皮が何故愛国者と言われるのか理解出来ない。この男は安倍に似て数々のヘイトスピーチ的虚言を吐いているが、そんな人物が何故褒められるのか。仲間ぼめもいい加減にしてほしい。

◯月◯日/この文章は10月用だから、これが出る頃には終わっているのだが・・・9月28日「朝鮮通信使」の話を「ワンコイン講座」でやる。話の主たる点は「多文化共生」を語る所にある。今、三重県津市や岡山県牛窓町には朝鮮通信使が残した踊りが伝わっている。津市の八幡神社のは「唐人踊り」と呼び、牛窓町のは「唐子踊り」と呼ぶ。朝鮮通信使は家康が始めた一大国際交流だった。家康の前の秀吉は何をとち狂ったか、1592年理由なく16万人の兵を以って朝鮮を攻め、人を殺し国土を荒らしまくった。朝鮮にとっては攻められるは、全く身に覚えのないことだ。ボケた秀吉が死んでくれたおかげで戦いは終わったが、国交は途絶えた。当たり前だ。

◯月◯日/これを修復しようと努力したのが家康だ。通信使は1607年から1811年まで12回来た。使節団には学者、詩人、画家、医者、芸能人が含まれていたから、日本で詩文を嗜む人は進んで朝鮮の文化に触れようと、各地で使節達に接触しようとした。こうして日本に各種の文化が伝わった。両国の役人には優れた人が沢山いたが、傑出しているのは雨森芳洲なる人。彼は朝鮮の人々に対して、「争わず、偽らず、真実の交わり」を主張して接した。当今の両国のタカ派的やりとりが続く時、芳洲の主張する所が両国要人にももっと取り入れられてしかるべきと思うのだが。

◯月◯日/新聞にケニアで日本のポン菓子を教えて農家を助けようとする人の話が出ている。ポン菓子は砕けて商品価値が下がった穀物も使えるので農家の収入も増えると感謝されていると言う。「ポン菓子」ねえーと私はひとりごつ。私達の子供時代はポン菓子という言葉はなくて、只単に「ドン」と言った。今の多田薬局の並びに進藤という同級生がいて間口2間もないような店先で「ドーン」とやっていたので、昔は彼を「進藤のドン屋」と呼んでいたクラスには葛巻もいたが、こちらも「煎餅の葛巻

と呼ばれてた.なつかしい。2人とも今はいないが、店が消えたのは何時だったろう。私には「ポン」ではピンとこない。やはり「ドン」だ。

◯月◯日/中国で小学生向けの教科書からアンデルセンの例の「マッチ売りの少女」から「神様」の話が消され、「ロビンソン漂流記」の中の「聖書」が消され、チェーホフの「ワーニカ」から「キリスト」が消された由。然しこの話笑えない。日本でも戦争中は英語教育を止め野球の「ストライク」は「いい球」に言い換え、銀座のワシントン靴屋を「東郷靴店」に変えたものだ。馬鹿な偽政者はいつもどこでも同じ愚を繰り返す。日本はまだ大丈夫か。

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