1997年、アメリカ、オハイオ州で、連続強姦事件の容疑者としてビリー・ミリガンという青年が逮捕された。しかし彼には犯行の記憶がまったくなかった。実は彼の内部には、ビリー本人を含め、何と24もの人格が存在していたのだ。性格だけでなく、知能、年齢、国籍、性別さえ異なると称するこれらの人格たち。彼らはなぜ生まれたのか〜
上の文章は、ダニエル・キイスが、多重人格という驚異の世界を描いた傑作ノンフィクション(?)、「24人のビリー・ミリガン」(上下)早川書房、’92年の刊行時の紹介文です。普段、全く本を読まない大学院生のI嬢が、珍しくしかも熱心にすすめるので、私も読みましたが、私にはこの話が信じられませんでした。
さて、「精神鑑定の事件史」1 には、
~キイスのねらいは、児童虐待の犠牲者である多重人格者に生きる希望を与えること、理解されない心の病いをもつ彼らを社会の偏見から守り、人間的に扱うことにあるのだという。こうしたヒューマ=スティックな言説が、ミリガンというしたたかな犯罪者によって、逆手にとられたのではないだろうか。
とあります。
つまり、司法精神医学、精神病理学、専門の中谷は、多重人格者と称されるものに強い疑念を表明しています。私は我が意を得たり・・・でしたが、貴方はどう感じるでしょうか?
最近:如何なる訳か、「七福神」信仰が復活して、各地で、「七福神めぐり」が盛んだ、といいます。そんなせいか、先年、上京して、所用で富岡八幡宮にいった時も、「深川七福神めぐり」の案内図をもらいました。
七福神の中の「エビス」とは何か・・・と思って、佐藤達玄、金子和弘著の「七福神」を開くと、「恵比須(エビス)は、このイザナギ、イザナミのミコトを両親として、その三男として生まれた夷三郎(イサブロウ)である」という。「アマテラス大神とは兄弟の間柄であるが、夷三郎は生後事情があって、惨い(ひどい)ことのように思われるが、両親の手を離れ、小さな舟で現在の九州日向の里から海へ流されてしまうのである。」と出ています。下線の所は、なんとなく奥歯に物がはさまったようなはっきりしない表現です。そこで、花田春兆の「日本の障害者」2 をみると、
~男女の営みをするイザナギのミコトとイザナミのミコト、この夫婦の間に生まれたのが障害児。三歳になっても歩くどころか首も座らないで、全身グニャグニャの状態でヒルコと呼ばれた。水の中をヒラヒラ泳いで動物の血を吸うヒルからの命名だ。未熟児による重度脳性マヒだろうが~
結局、葦舟に乗せられて海に流されて~ 神の子であるヒルコは消されてしまう。~ところが(この)障害児が、庶民の民間伝承の信仰の中で、何と神の神として見事に蘇るのだ。
~恵比寿様だ。根拠はある。どうしてもヒルコとしか読みようがない蛭子をエビスと読んでいるのがそれ。~
とあります。この花田の本は、日本の歴史の上で、障害者が主役となって果たしてきた数々の偉業を、日本史に沿って書き連ねたもので、目をみはるような事実に満ちている非常に面白い本です。
花田自身が、出生の時から脳性マヒで、そのため四肢、言語に障害があり起立不能の人なのですが、車イスで、大学の教壇に立つという活躍をしている人で、書きにくい事柄も、きちんと書いていて、教えられる所多大の本です。
残りの2册は急ぎ足でいきます。
本が出ると何であれ必ず買って読むと言う好きな作家が私には何人かいますが、故・中山義秀もその一人でした。これは、中山の愛娘が書いた父親の思い出・・・・いい本です。3
最後は・・・既に古典となっている「児童文学論」の著者リリアン・スミスがいた、カナダの児童図書館につとめた経験を持つ桂の本4 。図書館にいる人間、そして図書館に来る人達、まだ図書館に来たことのない人達、つまりは、文化に関心を持つ人皆に読んで欲しい本です。