第195回 正岡子規とベースボール

`02.1月31日寄稿

北海道立、室蘭栄高等学校ーと態々と断るのは、先頃、苫小牧の方に、本州からの同じ名前の私立高校が出来たからでーの一年生の時私は野球部(硬式)で、ショートだったが、練習でケガをした。シートノックで、ライナー性の打球をワンバウンドで捕ろうとしたら、球が石にぶつかって、イレギュラー、つまり、不規則の乱れバウンドとなり、私の左目の下と鼻の間を直撃したのである。石のせいにするな!!って?? イヤイヤ、弁解するのもおこがましいが、私は、当時、新聞に「内野を守らせても、外野にまわしても、巧にこなし、しばしば味な流し打をする貴重な選手」と書かれた腕前であって、この時も正真正銘、球が石にはじかれて道路を変えたのであるぞ。

さて、私はショックで湿疹(ではない)失神して、倒れたが、バケツで水をかけられて蘇生した、が鼻血が止まらない。...そこで当時のことで、医者に行くでもなく、そのまま家に帰って、冷やすだけ...で10日間も寝たろうか。

その間同級生のHなる「ふっくらぽん子」ちゃんが見舞いに来たが、呆れた顔して戻っていった。なにしろ私の顔が打ち身で、はれ上がって、目も鼻も口もない、釜の底みたいな、まん丸のまあ、バリアフリー面になっていて、当の「ふっくらぽん子」ちゃんより、ふっくらしていたからだ。

時は流れ....さて、30才過ぎてから、私は鼻がつまると感じたので、医者に行くと医者が言うには、「鼻中隔(ちゅうかく)が損傷している、まあまがっているのだが、何かここに衝撃をうけたことがあるか」?と。この話が既に衝撃だと思ったが、

今までなぐられたことはないし、物にぶつかったこともないし、落ち着いて、つらつら慮る(おもんばか)に、あっあのバリアフリー面の時の、衝撃だと気がついた.この時は、屈折した、鼻の穴を真っすぐにする、手術をして、それ以後は、鼻の穴の大きさに比例して、“スーコラスイート“鼻の通りはよくなった。打処(うちどころ)が悪いとこわいぜ。

現に、中学校の時、センターを守っていたNは、太陽の光の中に入ったフライをとりそこねた。今は知らず、当時は、光の中で見えなくなった球は、両手を目の前に出して、光をさえ切りながら、グローブの指の間からすかして見ることと教えられたがNは、ナニを思ったか、あげた両手をすっかり開いてしまったから、球があろうことか、手と手の間をスッポヌケテ額の真ん中つまり、おでこに落ちたのだ.軟式だからよかったが、あれが硬式だったら、そのまま、御陀仏、昇天(イヤ、あいつは、根性悪かったから、他の方角は知らず天は無理だな)したに違いない。これが原因で、Nは、50才になるやならずで、大腸ガンで死んだ。打処が悪い見本だ。

あっ打処で思い出した。

先日仲間15人程で具知安の町はずれの「小川原修美術館」を観に行った時のこと。

先頭の車に乗った道案内役の私が、道に迷った。“アリャリヤ”と内心困惑して、助手席からおり立ち、砂煙の中にスックと立って小手をかざして三方向を眺めていると、突然、後ろ髪を引かれて(ではない)、後頸をつかまれて、穴の真ん中に三度笠(ではない)ひざ蹴り三度、気持ちいい(ではない)イテテテーと仰天し、鬼神魔神でも舞い降りたかと思いきや振り向くと、そこにいたのは、!!ニコニコ顔のあー八幡様も、八百万の神様も、御照覧あれ!!そこにいたのは見目麗しく、心やさしく、振る舞いしとやか(ではないなこの場合)な、私が心ひそかに敬愛するところのK女でないか。ヤヤヤ!! オッタマ+ブッタマゲーションとはこのこと、二台目を運転していた、アウトドア派で、そっち、こっち道内隈無く走っているK女子が、私の余りのトロトロぶりに呆れて、焦れて、飛んで来た訳。心密かに私を敬愛(してはいない)彼女のオフザケなのだった。この時の打処は、尻から通って、遠赤外線的にはるかへだった鼻にひびいたらしく、又鼻中隔の屈折が戻ったようで、この所何だか知らぬが鼻がつまる。と言ったからとて、何なら屈折を直すべくこの次は脳天回し蹴りダー.なんぞと、夢考えずにおくんなまし、K女よ!! よく考えれば、K女、先年タイに行って来たんだもんなあ.あの技はどうみてもタイ仕込みくさいな。

さて、シートノックのイレギュラーバウンドから、随分かけ離れた話になったが、何で高校野球を思い出したかと、言えば、俳人、正岡子規(1867-1902)が、「野球殿堂入り」したからで...なにしろ、俳句、短歌を近代文学の中に位置づけた革新者、子規は大の野球好きで、投手打者走者死球など、これ、皆子規が英語に字を当てたのだ。言うなれば子規は、野球界の大先駆者なのだ。

「今やかの/三つのベースに/人満ちて/そぞろに胸の/うちさわぐかな」子規の「満塁」をうたったさくだが、思えばわが高校時代の野球は、今の管理化された野球と違って、(大体、監督は、どう言う訳か近所の下駄屋のオジサンだったし、サインなんてもの受けたことも、出したこともないもんな。)只々投げて打って走ってが楽しくて、つまりは子規達が楽しんだような草創期の野球に似た物だったかも知れぬ。

だって私の知る限り、外部からはおろか野球部の誰からも“甲子園目指して行こう”なんぞの言葉は聞いたこともなく、ましてや筋トレだのは知る由もなく、補欠だからとて、一列に並んで声を出させられるわけでもなく...まあ「原っぱ野球」の続きだったなあ。もっともこれじゃイチローはおろか、ジローもサブロウーも生まれはせんな。と言う訳で、子規と野球については「子規とベースボール1 」と

「正岡子規ベースボールに賭けたその生涯 2 」を。

「延長十八回終わらず3 」は

帯には以下のように書かれている。全共闘の嵐が吹き荒れた1969年、甲子園では、日本中を魅了した太田、井上による、熱投が繰り広げられた。史上唯一の「引き分け再試合」を再現しつつ、“戦後生まれ”の球児達の現代に到る足跡をたどる力作ノンフィクション。 数ある野球名勝負の中でも私の一番好きな話。ジーンとくるぞ

青森は野球の話題提供では、面白い所で、`99年には、東奥義塾と深浦高校が対戦して、122対0で全者が勝ったと言う。想像を絶する大試合だね。得点する方も疲れるだろうな。

「俳人蕪村4 」は野球なんぞオラ嫌いだ、もっと知的な本がないか...と言う方に、革新者、子規の名著を、どーぞ!!


  1. 神田順治.子規とベースボール.ベースボールマガジン社(1992) []
  2. 城井睦夫.正岡子規ベースボールに賭けたその生涯.紅書房(1996) []
  3. 田沢拓也.延長十八回終わらず.文藝春秋 (2004) []
  4. 正岡子規.俳人蕪村.講談社文芸文庫(1999) []

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