山下敏明さんのあんな本、こんな本

第325回 小野アンナ・ブブノワ姉妹・林光

2012.11.寄稿

2012年9月号の本欄で、私は松本善三「提琴有情−日本のバイオリン音楽史−」(レッスンの友社、平成7年刊)を紹介した。その本の第3章「大正から昭和へ」の184頁に「多くの生徒を育てた小野アンナ」の見出しの下、「大正12年1月13日に小野アンナの第1回リサイタルが神田美土代町基督教青年会館で行われた」とある。このキリスト教青年会館は戦火にあわず残って、私も大学時代、この会館で「シュヴァイツアー」の活動を知らせる写真展や講演にいったことがある。地下にはプールもあって立派なものだった。それはともかく、先のリサイタルの報告のあとに、アンナの弾いた名曲のリストが出ていて、フランク、グルック、グラズノフと来て、最後がサラサーテ「流浪民族の歌」となっているのは、例の「チゴイネルワイゼン」のことだろう。そして次の文章が続く。

「小野アンナは1896年(明治29年)3月14日にペトログラート生まれ、10歳からヴァイオリンを始め、14歳でペトログラード音楽院に入りナヴァルジャンにつき、のちアウワーに学んだ。大正7年に小野俊一と結婚、来日して日本に帰化した。演奏活動もしたが、今日第一線で活躍している多くのヴァイオリニストを育てた。昭和35年にソ連のスフミ市に帰国し、昭和55年5月8日に89歳で没した。諏訪根自子、巌本真理らがその弟子。

大正11年4月にはエフレム・ジンバリストが来日し、帝劇でリサイタルを開いたが、アンナはこれを聴いて「ジンバリスト氏の芸術は完全無欠の一言に付きます」と評した。ジンバリストはアンナがレオポルド・アウワーに習った時の先輩だった。

さて、アンナを伴って帰国した小野俊一。私は持っていないが、「回想の小野アンナ−日本のバイオリニストを育てた半生記」なる本があって、それを使っての森まゆみによると、俊一の父英二郎は興行銀行の総裁。神童と言われた俊一は、東大の動物科に入った後、ドイツで学ぶべく日本を出るが、色々あって、ペテルブルグで足留めを食らい、ここで日本学者エリセーエフにたのまれて夏期講座で日本語を教えたときの学生にアンナがいて、1918年結婚、来日になったとのこと。

話しを変えるが、1960年代、平凡社から全35巻の「ロシア・ソビエト文学全集」が出た。真っ赤なカバーの目立つ本で、私もラジーシチェフなどの作品の入った「古典文学集」などを買って、今でも重宝しているが、中の34巻目が、シーモノフの「昼となく夜となく1 」だ。これは1942年7月から1943年2月まで約半年続いた、第二次大戦史上最大の激戦、スターリングラード市(現ボルコグラード市)戦の、英雄的ロシア人民の攻防戦を描いた小説で、面白くて私も夢中になって読んだ。現に我が国では長期ベストセラーの記録を作った作品だ。

この小説の訳者が「小野俊一」。この「小野」については、「昼となく〜」の中には訳者紹介というものが全くなく、稲田定雄の解説にも「小野」が何者かについては一言の言及もない・・・けれども、前述の俊一の経歴や時代からして、シーモノフの訳者はアンナの夫俊一とみて間違いがなかろう。

アンナと小野は後離婚し、アンナは武蔵野音楽大学教授となり、俊一はジャパン・タイムスの社長となって、再婚して出来た子が前北大教授の小野有五で、先日、反原発の講演を室蘭でした人。因みに森まゆみによると、父の俊一はかつて北大助教授の口があった時、これを断って、内村鑑三に大馬鹿呼ばわりされた由。

ところで、アンナに触れたからには、姉のワルワーラ・ブブノワについても、いささかなりとも語らぬでは片落ちになる。この姉については、私は2010年2月7日付けの「本の話」第540回で一度取り上げた。({{ブブノワさんというひと2 」ユジェーヴァニコワ著・1988年群像社刊/参照)

ブブノワはペテルブルグ芸術アカデミー出身の画家で、アンナに招ばれて1922年に来日した。

「北海道の白樺」とか「仕事の後」といった石版画は札幌で描かれたが、彼女は1955年(昭和30)かつての弟子である木村彰一がロシア文学科の教授を勤める北大に来て、夏の間、集中講義をしたこともある。早稲田、東京外語、日ソ学院でロシア語を教え、プーシキンを語り、多くの本の装釘をし、リトグラフ版画の作成で我が国の美術界に寄与し、と、その活動たるや妹のアンナに勝るとも劣るものではない。

ここでは彼女の業績を知るに最適の本、1995年の「ブブノワ展」の図録を挙げておく。(表紙の書影参照)

さて、ヴァイオリンのあとはチェロと言う訳ではないのだけれど...私は第26回「ふくろう文庫ワンコイン美術講座・2012年5月26日」で、アメリカのベン・シャーンを取り上げ、その関連から・・・というのは、ベンシャーンは第五福竜丸事件をテーマとした「ラッキー・ドラゴン」シリーズを描いている・・・新藤兼人の「第五福竜丸」の上映会も企てた。ついでに「サッコ・バンゼッティ事件」も上映した。「第五福竜丸」の音楽は過ぐる1月5日に死去した林光だ。林は新藤の「裸の島」も作曲した。

「日本にモーツアルトあり」と言われた林は,「反核・日本の芸術家たち」の呼び掛け人もつとめたが、そうした林が指揮者の外山雄三と共に聞き手となって出来た本がある。「聞き書き・井上頼豊ー音楽・時代・ひとー3 」がそれ。そして今年は井上の誕生100周年。

チェリストの井上はチェロの巨匠カザルスについて語った遺著「回想のカザルス4 」で、カザルス作の「鳥の歌」は{〜彼の祖国の自由と世界の平和の願いが切実に表現されている」と言っている。

新藤の遺作「一枚のハガキ」の音楽も担当した林に、「音楽は平和であってこそ」が信条の井上は、「昭和12年に、戦争に必要のない外国人演奏家の入国を禁止する法律が出来ました。〜それで昭和13年に来るはずだったカザルスとコルトーの来日がダメになったんです」と語る。

ヘボ俳優の津川雅彦なんてのが、「寅さん」を創った山田洋次監督を「左」と攻撃しはじめる不穏な世の中だ。心静かに、カザルスや井上や林の音楽の音に耳を傾ける時ではあるまいか。「第三極の話しはウンザリ」と泣く少女は日本にはでないのか。

 


  1. 小野俊一.昼となく夜となく.平凡社(1966) []
  2. ユジェーヴァニコワ.ブブノワさんというひと.群像社(1988) []
  3. 外山雄三.井上頼豊ー音楽・時代・ひと.音楽の友社(1996) []
  4. 井上頼豊.回想のカザルス.新日本出版社(1996) []

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