山下敏明さんのあんな本、こんな本

第334回茨木のり子・ジョージ・アーネスト・モリソン

2013.8月寄稿

カンナの花が好きで前はよく植えたが、越冬出来ぬので面倒になり、今はやめている。関東より向こうは植えっぱなしでいいから、楽かと思うが、いつか豊橋辺りで見た時は茂りに茂って、これはこれで大変だなあと思ったことだった。

石田波郷に「吹きしぼるカンナの揚羽何駅ぞ」と言うのがあるが、駅とカンナとくれば、何と言っても茨木のりこの「根府川の海」だ。「根府川/東海道の小駅/赤いカンナの咲いている駅」で始まる結構長いもので、一種の反戦の歌だ。

茨木のり子は、2006年に79歳で没したが、私は昭和46年だったかに、この詩人に手紙を書いて、返事をもらったことがある。その頃、さ・え・ら書房から「伝記ライブラリー」なるシリーズが出てて、その(27)に、茨木のり子の「うたの心に生きた人々1 」があり、与謝野晶子、高村光太郎、山之口貘、金子光晴を取り上げてと分かったので、子供向きの本ながら,読んでみたのだった。

4人とも私は好きだが、とりわけ金子光晴は、私が最も佳しとする詩人の1人で、当時我が家に集まる学生達に盛んに勧めたから、私が仲人した室工大卒業生達の家には大抵金子光晴の全集が揃っている。

さて、読んでみると気になった所が一ヶ所あって,,,,それは昭和12年に金子が詩集『鮫」を出そうとしたものの、「禁制の書」とも言うべき批評精神旺盛なこの詩集の出版は、時節柄むずかしかろうと諦めていたところに、「人民文庫」なる出版社から本庄睦男と言う人が来て、「こんな形成になってこそ、この詩集の意義ががあると思います。ぜひ出させて下さい」〜となって「鮫」が出た...と言う話しなのだが、この本庄睦男は当別出身で「石狩川」の作者の本庄だ。

ところが、その名前に睦男(くらお)とフリガナされているので、私は茨木に手紙を出したのだ。私の知識では本庄は六男で、名は本来睦男なのだけれど、明治天皇の陸仁と同じ字では恐れ多いとの事で、同じ(六)の意味をもつ睦男に代えて「むつお」と呼ぶと思っていたが、「くらお」とは何か根拠があるのか、と言うような内容だった。

すると、茨木から「金子さんんがそう呼ぶので」との返事が来て,,,その時の手紙がどこかにまぎれ込んで、今見せる事が出来ないのが残念だが、まあそう言う次第だ。

そのあと私は、金子光晴にも手紙を出して、これ又ハガキが来たが、それも今見当たらぬ。それはともかく、茨木のり子本人と、その愛読者にとっては、腹が立つというより笑止千万な事が昭和57年に起きた。それは、茨木のエッセイで「美しいことばとは」なるものがあって、国語教科書に採用されていたのにこの年、高校1年生用の教科書から抹消されていたことが判明したのだ。

その文章は茨木が知人の家を訪ねた時、出て来た奥さんが「主人は今ちんぼの裏っぽにできもんができて伏せっとります」と静かに言うのを聞いて仰天したことから始めて、しかし、それが『いつしか美しい言葉の部類に昇格した」と続いて行くものだが、教科書調査官は、いつもの如くその部分のみにこだわって、「あの言葉は品がないし教科書にはふさわしくない言葉だと思う〜」として消しかつ不採用にしたのだった。

昔、「チャタレー夫人」を有罪にした検察官が、後に弁護士に転じ、自分の生涯であの判断は一番の汚点だと反省した事が会ったが、時既に遅し−で、役人は連綿として、歴史にバカを刻印して行く訳だ。

さて、この文章、カンナが秋の季題である事から想起して書き始めたのだが、そこへ小包が来た。開けると3冊の本が入っている.送り主は九州八幡に在住の坂口孝之さん.この人元小児科医で今は悠々自適の身。それ故、先日北海道旅行に来て、たまたま室蘭のプリンスホテルに泊った.ホテルの72室全部には野口社長の好意で、私の「本の話」が置いてある.それを見て坂口先生は「私も本好きだから」とて、正続5冊宛買ってくれたのだった。

その人が読んでみて下さいと送ってくれた3冊の中の一冊が、なんとあたかも好し、で茨木のり子の「ハングルへの旅2 」。茨木は50歳になって韓国語を学び始めた.教えた金裕鴻(キム・ユホン)によると、茨木は3年間皆勤賞でいつも窓際の後ろから2番目の席にいた由。

「徐兄弟獄中からの手紙3 」

茨木が韓国語を学び始めたのは、徐亰植が語るところによると、徐の兄2人が政治犯とされて韓国で投獄された時、茨木の詩集を差し入れたところ、茨木の「六月」に感銘してハングルに翻訳した。徐がそれを茨木に教えると、茨木は徐に会いに京都まで来たとのことで、これがきっかけではなかろうか、との由。そうゆうことだろうなと思いつつ「ハングルへの旅」を開いて私思わず笑う。第1頁は「扶余の雀」で、いきなり「扶余は百済の古都である。古都ではあるが何もない」とある.何故私が笑うかというと、昔私も百済の後を訪ねる旅をした時、ナイナイ尽くしで呆れたことがあるからだ。あの旅程、想像力を必要とした旅はいまだかってない。何も残ってないから、本の記述によって想像するしか「テ」がなかったのだ,,,,と言う訳で、まことにタイミングよく茨木のり子本が届いたことに感謝.残る2冊もいずれ語ろう。

届いたと言えば、「本の話」の読者で、ふくろう文庫協力者の松山市の栗原恵美子女史より、まだ読んでないならどうぞ、と「北京のモリソン4 」が届いた。このモリソンとは、ジョージ・アーネスト・モリソン(1862-1920)で、中華人民総統府の顧問だった人.この人のアジア関係の欧文文献24,000冊を岩崎久弥がまとめて買って公開したのが、いわゆる「モリソン文庫」。久弥とは言うまでもないが、三菱の3代目社長で創業者の・弥太郎の長男.モリソンコレクションの目玉は、例のマルコポーロの「東方見聞録」の各種刊本と、その研究所書の一群。このモリソン文庫が今の東洋文庫の元で、大正13年設立.ここ、確か.一昨年の暮れ、敷地内に新しくミュ―ジアムを作って、モリソン文庫はその2階におさまった筈。

「国宝の間」では「史記」だの『扶桑略記」などを日替わりで展示している筈だから、この本を読んだら折をみて行って来なくちゃ.栗原さん、謝々。


  1. 茨木のり子.うたの心に生きた人々.さ・え・ら書房(1967) []
  2. 茨木のり子.ハングルへの旅.朝日文庫(1989) []
  3. 徐亰植訳.徐兄弟獄中からの手紙.岩波新書(1981) []
  4. シリル・パール.北京のモリソン.白水社(2013) []

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