第361回黒沼ゆり子の「わが祖国チェコの大地よードヴォルジャーク物語」

2016.1寄稿

高校1年の時英語の教科書に、チェコの作曲家・アントニン・ドヴォルジャークの逸話が載っていた。毎日汽車通しているドボルジャークは、ある日車輪の音がいつもと違うのに気付く。リズムがおかしいのだ。

ドヴォルジャークは車掌の所に行って、車輪の響きがおかしいから、どこかに故障が起きているかも知れぬと伝える。車掌は子供の言うことを相手にせぬが、食い下がる子供のしつっこさに負けて一応調べてみる。すると、いくらか先のレールの釘が緩んでレールが外れる寸前で、このまま進めば脱線必至だっと判明する。私はこの話好きだった。

まあ行先、大作曲家になる人物の”耳の良さ”を物語るものだが、それとは別にドヴォルジャーク自身汽車が大好きで、長じて毎日のように駅に行き、時刻表を暗記していたそうな。そのドヴォルジャーク作のオペラ「ルサルカ」が1月初旬「びわ湖ホール」で日本語で歌われた。水の精ルサルカが人間の王子に恋して、かなえられたはいいが、悲しいかな人間の言葉を持てず、口がきけずで、王子が心変わりする。ここに一つの意味がある。というのは、当時チェコはオーストリア=ハンガリー帝国の一民族(と言っても自からの国を持てず)、公用語はドイツ語でチェコ語は認められていなかった。つまり口が聞けぬルサルカはそのシンボルだった訳だ。この公演のニュースの後、バイオリニストの黒沼ゆり子が1月9.10に千葉で最後のリサイタルを開くと新聞に出て、私は書棚から、その黒沼が1983年に出した「わが祖国チェコの大地よードヴォルジャーク物語  (( 黒沼ゆり子.わが祖国チェコの大地よードヴォルジャーク物語.リブリオ出版(1983)))  」を出してきた。黒沼は桐朋学園からチェコに留学した人だ。この人は音楽一辺倒の人では全くなく、非常に社会的関心の高い人で、例えばニカラグアのソモサ独裁政権を倒そうとした、サンディニスタ人民革命の時にも、革命軍に救急車を贈ろうとチャリティーコンサートを開いた人だ。

その頃、私も札幌でニカラグア救援運動をした学者の報告を聞いたことがあるが、1936年にクーデターでソモサ国家警備隊司令官が実験を握って以来、40年の長きにわたってソモサ親子の独裁が続き、その暴虐ぶりは、解放戦線の兵士を捕らえるとライオンに食わせるなど、想像を絶するものだった。

黒沼は又、紅衛兵に指を切られて音楽家生命を絶たれた、文化大革命の犠牲者にも深い同情を寄せていた。更に又、メキシコに移って多くの子弟を育てたのはよく知られた所。私が、ドヴォルジャークの伝記を読んだのは1961年に出たオタカル・ショウレック著、渡鏡子訳の音楽の友社刊「ドヴォルジャーク」が最初で、その後も多少は目配りしてきたつもりだが、黒沼による伝記が一番だと思っている。

以前、「ふくろう文庫ワンコイン美術講座」で、ムソルグシキーに「展覧会の絵」を作曲させるきっかっけを作った、ガルトマンなる素人画家で素人建築家のことをテーマにしたことがある。それより前、私が室工大在職中、根室(だったか)の教育委員会から、ハルトマンの「建築図集」はないか?との質問が来て...結論から言うと、ハルトマンなる建築家はいないが、該当者は現在はガルトマンと表記される人で、この人が残したスケッチ風の風俗画が、友人のムソルグスキーにインスピレーションを与えて出来たのが上記「展覧会の絵」だ、と答えたことがあった。その答えを送る時、私はムソルグスキー理解のために読んでみるようにと、ひのまどか著「ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフー嵐の時代を乗り越えた『力強い仲間』ー1  」(リブリオ出版)を付け加えたのだった。この本については、ちょっとした思い出がある。これを読んだ時、私はひのまどかに手紙を出した。それは...本筋とは関係のうすい話だったが...リムスキー=コルサコフの家は皆海軍軍人で、22歳も年上の長男ヴィオンは、ロシアの海軍提督プチャーチンが「日露通交条約」、いわゆる一般に言う「和親条約」を江戸幕府と結ぶべく、ニコライ1世によって派遣された時の一行に加わっていた。彼らの乗っていた艦船「ディアナ号」は、下田で”安政の大地震”による津波で沈んだが...このディアナ号をめぐる記述に2カ所間違いがああって、私はそれを指摘がてら、資料を添えたのだった。すると、ひのは、ロシア側の提供資料だけで書いたので間違ったと、指摘された点について専門的な本のコピーを貰って有難いetc.の返事をよこした。さて今年1月1日の発行と奥付にある、ひのまどかの「モーツアルト2 」(新潮文庫)が出た。実は、ひのは先の本もいれて全20巻(内19巻を執筆)の「作曲家の物語シリーズ」をリプリオ出版から出していて、1992年と2010年の2度「児童福祉文化賞」を受賞した。つまり全部良書だが、残念なことにリプリオ出版が消えて、上の良書は殆ど絶版になった。それが今度,先ず「モーツアルト」が再刊された訳で、全巻復刊を望むという意味で「ボロデイーン」を話題にした訳。「モーツアルト」でいえば、ザルツブルクの生家を訪ねた時のことを語りたい気持ちもあるが、それはいずれ又。黒沼のは本は上記シリーズ第1期の4巻だった。

居間の私の背中の書棚に,土岐善麿の「鶯の卵3 」なる中国詩選がある。何度読んでも飽きない。例えば井伏鱒二の訳で有名な賀智章の「袁氏の別荘にて」...井伏の訳は「主人ノ名前ハ知ラナイガ、庭がミタサニチョットコシカケタ、サケヲ買トテオ世話ハムヨウ,ワシガサイフニゼニガアル」。この井伏訳について、私は室蘭民報社刊「本の話」の第155話で、井伏訳は殆ど盗訳であると書いた(関心のある人はどうぞ)

さて、土岐訳は「あるじとは、知り合いならね、おもしろや、林泉(しま)のおもむき、酒買うを思いなわびそ、ふところに銭すこしあり」となって、「庭がいいので、知らない家へと飛び込んだのである」と註される。こういう仕事を続けていれば、土岐の文学者としての面目は保たれたろうが、「近代秀歌4 」の永田和宏によると先の戦争中に土岐は(本意ではなかったろうが)好戦的な歌も作った由で...歴史がそれを語る。土岐の汚名は消えない。安部一派は盛んに「歴史が証明してくれる」と力んでいる。それは逆の意味で正しい。私思うに確実に彼らの汚名は残るだろうから。安部一派はそれに価する。土岐は気の毒。...で教訓。心にもないことはせぬこと。

昨年末、「もんじゅ」廃炉を求めて12府県106人が規制委に提訴した。これより前2001年5月には、「知恵」をつかさどる「文殊菩薩」の名は使わないでーとの呼びかけが奈良の市民グループから出たことがある。もっともだ。「文殊」の知恵をもってするならば、もはや「核」は人間の知恵では処理できぬと悟っていい筈だが。

愛用する「暮らしのなかの仏教語小辞典5 」の「文殊」の項を見ながら、つくづくそう思う。


  1.  ひのまどか.ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ.リブリオ出版(1992) []
  2. ひのまどか.モーツアルト.新潮文庫(2015) []
  3. 土岐善麿.鶯の卵.筑摩書房(1985) []
  4. 永田和宏.近代秀歌.岩波書店 (2013) []
  5. 宮坂宥勝.暮らしのなかの仏教語小辞典.筑摩学芸文庫(1995) []

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