山下敏明さんのあんな本、こんな本

司書独言(177)

2016.9寄稿

◯月◯日 「糺す」は(ただす)、罪や真偽、事実などを問い調べることで「糺の神」=偽りを糺す神がいる所が、京都の「糺の森」、これを祀るのが下鴨神社だ。文学好きなら、「新古今」の「偽りを 糺の森のふゆだすき 掛けつつ誓へ われを思わば」

つまり、「偽りを糺すこの神に、私を好きだと誓ってください」なる歌が頭に浮かぶ筈。この神社、今世界遺産なのに、何をとち狂ったか、境内にマンション8棟を建設中で、周辺住民がこれを阻止すべく提訴中。京都市ともあろうものがこの態度では「古都」の名が恥ずかしい。神社と市側には文化尊重の気のかけらもなさそうだ。目下京都観光の中国人の自転車のマナーがどうのと騒いでいるが、「糺の森」の破壊の方が問題重いのでは!!。神主連中に神罰のくだらないのが不思議だ。霊力もおちているのか。それと、歌人だの歌学者だのと名乗る人達、どうして住民に加勢しないのだろう。

◯月◯日  1976年から週刊少年ジャンプに連載されて来た、秋本治の「こち亀」が終了とのこと。私は少年ジャンプを手にしたことはないから、「こち亀」も目を通したことはないが、名前ぐらいは知っているし、2010年、心ある人達から「マンガ焚書条例」と揶揄された性表現を規制する都青少年健全育成条例が、石原都政によって出された時、秋本が「漫画から翼を奪う」として反対した行為も知っていて、偉いもんだと感服していた。それにしても、「太陽の季節」で障子におったてた逸物を突き刺すバカ行為を描いた石原が、よく恥ずかしげもなく漫画やアニメの性描写を規制しょうなぞと来たもんだ。我が身を省みるナンテことは石原にはないんだな。だからこそ、今また豊洲問題で「ダマサレテイタ」なんて無責任な言が吐ける訳だ。因みに、5月に出た赤田祐一他の「定本消されたマンガ」(彩国社)は如上の問題について、考える役に立つ本だ。

◯月マル日 9月末、呆れたのは東大の医学系と生命科学系の論文で「ネイチャー」などに出た計22本に不正疑惑が発生した云々のニュース。丁度、黒木登志夫の「研究不正」(中公新書)を読了したばかりだから、追加資料としてこの記事同書に挟んだ。ところで不正、怪しいと言えば...いつぞや入院中だというS氏の奥さんから、「顔色がいいけどサプリメントは何をのんでいるの?」と訊かれた。司書たる私の知識では supplementは書物の補遺、雑誌の付録で、質問の意味が分からぬ。で問い返すと、どうも健康飲料or 食品を意味しているらしい、となれば、私はその類のもの全く食べた事も飲んだこともない。

◯月◯日 いつか納豆ダイエットが捏造だとの騒ぎがあったが、幼少時は無論、大学時代の自炊生活では尚の事、年中納豆を食べてきた私としては、健康云々で食べてきた訳ではなくて、美味しいから食べているだけで...面倒だから結論を言うと、私は健康情報の類には全く関心がないと言うこと。で、それでも訊きたがる人には、例えば松永和紀の「メディア・バイアスーあやしい健康情報とニセ科学」(光文社新書)を教える。その記述が全て正しいかどうか私は論評できないが、私の理屈なしの健康食嫌いの説明には、有効な有難い代役だからだ。

◯月◯日 9月9日、渡辺淳一文学館が中国企業に売却されたと新聞に出た。「失楽園」が最初に訳されて以来、渡辺の人気が中国では絶大だと言うのが背景にあるとのこと。私は渡辺作品は余り読んでいないが、2つ思い出す事がある。一つは私が高2の時、札幌豊平でりんご園をやっている叔母の家で一夏を過ごした時の事、従妹から聞いた話で...高校時代変わった女生徒がいて、この女生徒は絵も描き、詩も作りとなかなかの芸術肌、札幌雪まつりが始まったばかりで、今のように団体が作る巨大な雪像はまだ余りなく、個人出品のものがむしろ多かった時に、この女生徒は乏しい雪あかりの中で、一人夜遅くまで凍えながら、自分の雪像にのみを入れていた、etc.で、最後に阿寒湖に入って自死したのだと云々。従妹の語り口は巧みなもので、聞き惚れてしまったが、この女性徒が渡辺の「阿寒に果つ」のモデルなのだ。

◯月◯日 もう一つは、「失楽園」が出た頃、東京近郊の某市の図書館での出来事。この図書館には、5人なら5人という一定のリクエストがある本は購入するとの内規があって、出た途端にベストセラーになった「失楽園」を他人より早く読みたい連中、それも女性達が順番の来るのを待ちかねて、組んでリクエストした結果、「失楽園」上下200セット、つまり400冊たまってしまったという珍事があったことだ。聞いていて私は、某市の女性達が、ポルノに等しいと言われた「失楽園」を読んで、何を得たのか?悶々とした結果人口増加都なれば、町興しの一つとなったやも知れぬが、〜と思った〜と書いて思いだした事がある。それは「失楽園」を評した某の事。某はこの作品を論評する中で、作中の或る性技について、”自分にはとても無理”と言ったのだ。どこから見ても精力絶倫なんて誰も思わぬ某が,訊かれもせぬのにこの馬鹿セリフ、語るに落ちるとはこの事か?。土台文学作品を評するに、己が貧弱な精力の度合いを持ち込むとは、馬鹿も極まるというものではあるまいか。性技コンテストではないのだぞ。しかしまあ、濃厚な金瓶梅や紅楼夢をさておいて、「失楽園」が好まれると言うのは、何か取り柄があるのだろう。中国人は渡辺を目して「情愛大師=恋愛の大家」と呼ぶそうだが、となると、安倍の武張った外交でギクシャクするより、情愛を通じて両国民友好の方が、はるかに実がある事になろう。私は渡辺を「外交大家」と呼びたい。

 

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