`95.1月31日寄稿
前回は、ノーベル文学賞を受けた大江健三郎の恩師、渡辺一夫の代表的著作「フランス.ルネサンスの人々」と渡辺の諸著について、解題的に語りながら,渡辺の人となりと思想を述べた、大江の「日本現代のユマにスト、渡辺一夫を読む]を紹介しました。さて、「フランス.ルネサンスの人々」は1964年の刊行ですが、この時点では、渡辺が紹介論評した12.3人の人物について、日本語で読むことが出来る本は皆無に近いものでした。
ところが30年もの年月が過ぎると、邦語文献が2.3現れて来ました。これは、日本語に頼る読者に取っては実にありがたいことです。
その良い例が、渡辺が先の本の第12章「ある外科医の話」で取り上げた、アンブロワズ・パレです。この[あんな本〜]の初めての読者のために、念ため説明すると、A・パレは16世紀フランスの外科医で、銃創の治療法、血管結紮法、義肢などを編み出した医学史上の偉人です。
渡辺は、パレを描くにあたって、「〜私が意図するのは、アンブロワズ・パレと言う偉大な名前を輸入(傍点渡辺)するために必要だと思われる《見本説明》のページを綴ることに過ぎません〜」と断りました。つまり渡辺は、この時初めて自分が、我が国にパレを輸入するとおもっていたのでしょう。
ところが、あにはからんや、オランダ語訳の「パレ全集」が既に鎖国下の1670年に、我が国に輸入されていて、又又あにはからんや、樽林鎮山なる長崎通詞が、この外科指南書を「蘭学」禁止という制約のため、パレ原書と言うのを秘して、1706年「紅夷外科宗伝」なるタイトルで訳出していた、と言うのです。
これが、我が国最初の西洋臨床医学書の翻訳書だったのは言うまでもありません。
ところが、3度目のあにはからんや、パレの本は更に、江戸で町医者の西玄哲により、京都では同じく、伊良子光顕(いらごこうけん)により翻訳されたと言うのです。渡辺がこれらのことについて一言も触れていないのは流石の渡辺も、医学史までは目がとどかなかったと言うことなのでしょう。
さて、パレの全集渡来300年後、1984年になってこの全集の妙訳が「外科の源流を訪ねて」として、東京都柔道接骨医師会から出版されました。(もっとも私はこの本、入手はしていません)この本の監訳にあたったのが大村敏郎です。
大村は、1989年のパレ没後400年祭を前にして、1987年「医療のシンボルのふるさと」と題した素晴らしい講演をしました。それが一書になっています。「聴診器と注射器のふるさと1 」がそれで、この講演の締めくくりに、大村はパレの生地を訪ねた際の報告をしがてら、パレ全集の我が国への伝来とその各種の訳が、我が国の外科医療に与えた好ましき影響について語ります。この本明快な文章に加うるに、沢山の写真があって、面白いこと無類です。
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そして今度は、1990年になって森岡恭彦編著「近代外科の父、パレ2 」が出ました。森岡は昭和天皇を手術後「余は治療し、神はこれを治癒す(ちゆ)」なるパレの言葉を手記に引用した人です。
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下村はもちろんこれにも書いていて、日本とパレの関係を詳細に論じています。月並みな表現は使いたくありませんが、風百の小説より、はるかに面白いと断言出来ます。渡辺一夫にもこの2冊読ませたかったなあ。
もう一冊読んで欲しいのはジャンヌ・カルボー=藤川正信訳「床屋医者パレ3 」(福武文庫)`91刊¥580です。
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床屋医者とは、1215年宗教会議で、聖職者はウミなどの汚物に触れることが禁じられたので聖職者兼の医者は、床屋に治療を下請けさせたことによる由。イヤハヤ!! 兵庫県地震...一日も早い復興を祈りつつ。