`92.4.30寄稿
昭和25.6年だったと思いますが、室蘭で初めて(?)のプロ野球の試合が、新日鉄球場でおこなわれました。試合の前日、浜町の東宝劇場(現アーケード街、中央ビル)で人気選手が、舞台上からサインボールを観客に放るというイベントがあり、その際、選手名を書いたプラカードを持って、各選手の前に立つ役に、北辰中学校の野球部員が狩り出されて、私も出ました。当時、東宝劇場の周りは「私娼街」=(売春街)でしたから、開幕を待って、廊下に並んでいた選手達に、窓の外から、客待ちの娼婦たちの矯声(きょう声=なまめかしい声)があびせられました。
選手達は、我々中学生の目を気にしてか、素知らぬふうでしたが、只一人「青バット」の「大下」だけが、笑いながら気楽に、娼婦らと言葉をかわしていました。それが、娼婦はいやらしいもの、私娼街には子ども達は近づかぬこと、などと教えられていた私の目には、すこぶる「ふしだら」なもの見えました。自分がどの選手のプラカードを持ったのか、と言う事なぞ、一切忘れましたが、この「大下」の態度だけは記憶にのこりました。
然し、自分が年をとるに連れて、いつしか「大下」と「娼婦」に感じた嫌悪の念は、偏見以外の何者でもなく、真面目ぶった他の選手が、むしろ不自然で、「大下」こそが「人間」として自然だったのではないかと、思うようになってきました。この思いが間違ってなくて、「大下」こそが「人間」そのものだったのだ、と納得出来るいい本が出ました。辺見じゅん「大下弘1 」がそれです。
- 辺見じゅん.大下弘 .新潮社 (1992) [↩]