`10.11月15日(月)寄稿
これを書き始めている今日は11月15日(月)。来週土曜日の12月27日は「第20回ふくろう文庫ワンコイン美術講座」で「司馬江漢1 」を取り上げる。今年第4期の第5回目で、今年はこれが最後の講座。来年は又新し題目で同じく5回を考えている所。江漢と言えば「地動説」を連想する人が多い。なにしろ江漢本人が、我が国で地動説を唱えたのは自分が最初だ、とのたもうているから、そう思う人が多いのは無理もない。
しかし、これは間違い、と言うより、これはの江漢ホラ話だ。このホラ故に、江漢と言う名にもかかわらず、江漢に好感を持たぬ人も数多(あまた)いるが、これはまあ、自業自得で仕様がない。本当のところ、江漢が「地動説」をを知ったのは、長崎詞の「本木良永」がオランダの地図学者・ブラウが書いた天球儀と地球儀の解説書を翻訳した「新製天地二球用法記」(1792)なるものを読んだからである。
更に又、志築(しづき)忠夫なる天文・物理学者がいて、この人はニュートンにもとづいて、「暦象新書」なる本を書いた。
もちろん「地動説」について語ったのである。これを読んだ大阪の町人学者・山片蟠桃(やまがたばんとう)「地動説」を一般に説いたから、言うなれば、江漢は同じく「地動説」を普及した人間であると言うのが正しい。そして又その普及者たる役目は彼のみではないと言うことだ。「山片蟠桃と大阪の洋学2 」
如上の事からして、私は「地動説」云々の点では,江漢を余り評価するつもりはない。又、江漢がフランスのショメールの本から得た知識で、日本で初めて「銅版画」の製作に成功した事からして、「本邦銅版画の創始者」と自分から名乗ることにも、そんなに興味はない。
私が江漢に一番共鳴し、かつ感歎するのは、彼の人間観だ。彼は自筆「春波楼筆記(しゅんぱろうひっき)」なる随筆の中で、こう述べる。「上(かみ)、天子将軍より、下(しも)、士農工商・非人・乞食に至るまで、皆もって人間なり」
これは徳川幕政下、封建の世における発言としては、やはり大胆な思想と言わねばならぬ。因みに、この「春波楼筆記」は公に出版されたことはなく、おまけに自筆本は大正時代に消失し、写本は行方不明という数奇な運命にあった本だが、今は吉川弘文館が出した全100巻余の「日本随筆大成」で読む事が出来る。夏目漱石はこの本が好きで、正岡子規に手紙で、自分が言いたいことを、江漢が既に言っている、と言った感想を述べている。
は又、「無言道人筆記(むごんどうじんひっき)」なる本の中でも、「喰うてひる、つるんで迷う世界虫、上天子より下乞食まで」と、まことにあたり前ながら、痛烈なことを言っている。ひる=屁をたれる、つるむ=sexであることは言うまでもない。只、今当たり前ながらと言ったが、発信している時代が時代なのである。序でに言えば、この「人は皆平等」の思想も、やはり又江漢のオリジナルのものではない。「解体新書」を残した、蘭学者・杉田玄白も晩年に書いた「形影夜話(けいえいやわ)」なる覚え書めいたものの中で、「古(いにしえ)も今も、何処の国にても、人間というものは、上天子より、下万民に至るままで、男女の外別種なし」と言っている。ここにも、人間平等の意識を持った人がいた訳だ。
事の序でに、山片蟠桃にもちょっと触れる。この人は升屋という商家の番頭だった。この人の経歴は長くなるから、要は大阪の町人だと覚えてくれればよし、として、この人が言うには、日本人が、天皇は天照大神の子孫だ、つまり、天皇は太陽であるから、天下の下国(ばんこく)を照らすことになる。だから外国人はこれを崇拝してしかるべき、なんて考えは愚の極みだ、云々となると、世に大東亜戦争と読んだ時代の「八紘一宇(はっこういちう )なんてものは、外国人には寝耳に水的な、しかも、チンプンカンプンなものなのだーと言うことだ。
因みに八紘とは天下、一宇とは一棟の家のことで足してつまりは天皇の下、世界中皆一家族言うこと。こりゃ無理だ。
さて、人間平等主義に話を戻すと、誰しもが連想するのは、かの福沢諭吉だろう。だって、何しろ「天は人の上に人を造らず...」との名言?を残しているからだ。しかし、この言よしとして、彼のこの思想は本物か?となれば、これがちと危ない。「福沢諭吉のアジアの認識3 」
と言うのは、福沢は、西洋にくらべて日本は「半開」の国であるとし、朝鮮、中国は「遅鈍(ちどん)」「野蛮(やばん)」と見なしていた。そして、朝鮮を指して曰く「〜抑々国は〜亜細亜州の小野蛮国にして、其の文明の有様は我が日本に及ばざること遠しと言うべし〜」と。
ところで、福沢が「学問のすすめ」の冒頭で述べた「天は人の上に人を造らず...」は実はアメリカの「独立宣言」の一説から借用したもので、福沢のオリジナルではない。借用はまあ佳しとして、良くないのは、こう述べた当の福沢が、「人の下に人を...』どころか、朝鮮人や中国人をどうも人間として見ていなかったのではないか、と言う点だ。
これについては、福沢の数々の著作の中から、福沢の朝鮮、中国、そしてアジア全体に対する差別的言動をえぐり出した安川寿之輔の本にまかせておこう。
先ず中国人に対して「朝鮮...チャンチャン〜皆殺しにするには造作もなきこと」「老大腐朽の支那国」「清兵...豚尾児、臆病」etc.
朝鮮人に対しては「朝鮮....人民は牛馬豚犬に異ならず」「朝鮮国は、、,四肢麻痺して自動の能力なき病人の如く」etc。 そして台湾に対しては「未開の蛮民...車夫馬丁の輩...」etc.
「 「征韓論」の系譜 4 」
そう言えば、私が室工大在職中、一番最初に来た中国人2人を「チャンコロ」と呼んで、問題を起こした学生課の男がいたっけな....。
司馬江漢をきっかけに、人間平等主義について思いをめぐらし、アジア全体から好感をもって迎えられるような人間が1人でも生まれてくれれば、話す甲斐もあると言うものだ。