`92.12.24寄稿
『かつての国民的教材「最後の授業」が`89年を境に、教科書から全く姿を消してしまった。一体何が起こったのか?』と言う、実に読むもの興味をそそってやまぬ文句を、帯にのせた本が出ました。書名も、いかにも謎めいていて、『消えた「最後の授業」ー言葉、国家、教育ー1 』、著者は府川源一郎です。
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この「最後の授業」とはなにか?...となれば、短編集「月曜物語」の巻頭を飾る名編です。物語の場所は、プロシア軍に占領されたアルザスの小学校、語は今日以後は、使用禁止となるフランス語の「最後の授業」で教師アメルが、フランス語の美しさを、縷々(るる=こまごま)述べたあと、黒板に「フランス万歳」と書いて、絶句する、..というもの。
では、「月曜物語2 」とは何か?...となれば、フランスの作家アルフォンス・ドーテ(1840〜1897)作短編集で、かつ代表作。
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全体は「幻想と歴史」「空想と追憶」の二部に別れ、収められた41の作品が、ほとんど「普仏戦争」(ふふつ=プロシア対フランス)を題材としており、どれもが、悲痛、感動、こっけいをないまぜた傑作です。日本では,森鴎外が初めてドーテの作品を紹介しました。
さて、「最後の授業」は、昭和2年(1927)に教材として採択されて以来、途切れた時期はあるものの、昭和61年(1986)まで、優に50年間も、国語の時間に教えられて来た、というのです。
私には教科書で習った記憶はないのですが、中学2年の時に、自分で買った桜田佐(たすく)訳の岩波文庫で読んで、「純粋」に感動した覚えがあります。
今、私の本棚には10冊余の文庫本のドーテが並んでいるのですが、近頃では、本国フランスでも、さして、はやらないと聞くドーテの作品が50年余、教材として使われ続けた、というのは何としても、驚きです。
そこで、久しぶりに、「月曜物語」を取り出して見ると、なつかしや、中から「切り抜き」が2つ出て来ました。
①は、1982年4月8日付け、朝日新聞(夕刊)にのった『教材としての「最後の授業」』で、
②は、岩波書店刊の雑誌「図書」の1982年6月号にのった『「最後の授業」始末記』です。
この2つの文章の著者は田中克彦(言語学者)ですが、この田中こそ、「最後の授業」が消える要因の一つとなった(といっていいと思いますが)本を書いた人です。それは、何故か、そしてその本とは何か?
府川は書きます。『1981年、田中克彦の「ことばと国家3 」が岩波新書の一冊として刊行されました。この本が国語教育界に与えた衝撃は大きかった。と言うのも、田中はここで長期安定教材だった 最後の授業」を一刀両断のもとに切り捨てたからである。』
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如何なる理由をもって、どう切り捨てられたのか?田中のあげる理由に加うるに、他のどのような要因があって、長いこと一代の名品とされたものが、突如として教科書から消えたのか?
その「謎」を、府川は、周到(しゅうとう=手落ちのないこと)の上にも周到、明解の論理をもって解いていきます。実に面白い。
もとより、小説を読むようにはいきませんから、Xmas.だ,忘年会だ、の後の頭には重いかも知れません。しかし、考え尽くされた正しい理論の明晰(めいせき)さといったものが与えてくれる快感を味わうことができます。
さて、今は12月24日の夜8:30.今期「最後の授業」を終えて、大学の図書館も至って静かです。夜間開館の手伝いもしていてくれる応用化学科2年生、173cmの長身をほこるブルック・シールズばりの大型美女、淳子君も、そのせいかカウンターでねむたげです。