第024回 雪の文化史と言える2冊

`92.12.2寄稿

十二月に入ると私は納戸から額を一つ出して、居間の壁にかけます。中味は藍染の地に、白抜きで

「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ次郎の屋根に雪ふりつむ」の二行詩。

言わずと知れた三好達治の名詩「雪」です。字も達治によるもので、十四、五年前に秋田県角館に行った折、達治が好きと言う、喫茶店の女主人から、譲り受けたものです。毎年、私の十二月にこうして始まりますが、大雪の時などは、嬉しくなってもう一点、加えます。

こっちは、連なる屋根屋根に霏々(ひひ)として降る雪の構図に、やはり上記の詩を彫り込んだ、札幌の版画家、松見八百造の作品です。

達治は、「雪」の詩想(しそう)を与謝蕪村の名画から得たと、達治の伝記を書いた俳人、石原八束(いしはらやっ)が言った、と言う話を、批評家山本健吉が紹介していますが、その蕪村の名画と言うのは左にあげた「夜色楼台雪万家図」です。(因みに蕪村は江戸中期の俳人にして、画家です。)成程成程、江戸期の天才が、昭和の詩宗(しそ)に貴重な着想を与えたと言う、いい話で、蕪村も達治も大好きな私は、この石原の証言に何の異論もありません。ありませんが、実は....実は私には、達治のこの二行詩に通じる、或いは、この詩の境地と並ぶ画は、蕪村の作品ではなくて、「これだ」とひそかに、かつ勝手に決めている画があるのです。

右にあげる画がそれです。小学校の時にこの画を観て私は一度に好きになりました。子供の琴とて、作者もタイトルも覚えずじまいでしたが,高校生になって、版画研究家、藤懸静哉(ふじかけしずや)の本で、この画が、会津生まれの版画家、齊藤清の代表作で「会津の冬1 」(昭和15)であることを知りました。そして、達治の「雪」を読んだとき、即座に思い出したのがこの画でした。

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昭和5年刊の達治の処女詩集「測量船2) 」中の「雪」と昭和十五年の清の「会津の冬」の間には、勿論何の因果関係もありません。

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しかし、下にあげる「会津シリーズ」と呼ばれる作品群を含めて、清の、この深沈とした量感あふれる雪景色を観るにつけ名詩「雪」にふさわしい画は、「会津の冬」と言う私の思いは強まるばかりです。

さて、雪と言えば、江戸の昔、雪も碌に降らぬ大江戸で、雪の事を書いた一冊の本が大評判となり、この本を置かぬ貸本屋からは、客足が遠のいたと言うほどの人気を得ました。

雪の降り方、雪の形、雪の美しさ、恐ろしさ、人々の暮らしなどが、綴られたこの本は、雪国の自然と生活についての貴重な記録として、今も価値を失っていません。この本の名は「北越雪譜(ほくえつせっぷ3 」書いた人は、鈴木牧之(ぼくし)、舞台となったのは新潟県塩沢、今「石打スキー場」のあるところです。

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「熊捕り」だの「雪中の幽霊」だのと、どの話も面白いですが、例えば「なだれ」...「山より雪の崩お鶴を里言葉で(なだれ)と言う、又なでとも言う」...と言う調子が仲仲の名文ですが、読み易い現代訳をすすめます。

岩手の人、高橋喜平はその「雪崩(なだれ)」で博士になった「雪狂い」で何と長男に「雪人」と名付けました。二代目雪狂いとなった雪人は、雪の文様のついた品物ばかりを商う古物商となりました。雪人の蒐め多200点の骨董品をもとに、父親が文章をつけた本が、楽しくも有益な「雪の文様4  」です。「雪の文化史」とも言えるこの二冊、雪の有る無しにかかわらずいずこの方も読んでみませんか。雪の世界の面白さは想像以上で雪狂いとまではいかずとも「雪恋」位にはなってしまします。

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  1. 齊藤清.会津の冬.講談社. (1981) []
  2. 三好達治.測量船.講談社 (1996 []
  3. 鈴木牧之.北越雪譜.野島出版 (1996) []
  4. 高橋喜平.雪の文様.北海道大学図書刊行会 (1989) []

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