`11.1.15寄稿
松たか子主演の「告白」なるDVDを観た。観たはいいが、その全編をおおう「おぞましさ」にウンザリ。天才を自認する中学生男子が、己の天才を、自分を捨てた母親及び社会に誇示して、もって己の存在感を確かな物とすべく、彼が魯鈍(ろどん=おろかでにぶいこと)と看做すクラスメートの男児を誘って、担任女教師の幼女を殺してみせる。この2人が自分の子供の殺害者だと知った女担任はこの2人の中学男子に、エイズ患者の血液を入れた牛乳(ヨーグルト?)を吞ませ...と筋は進んで行って、結果、女担任は復讐を成し遂げる。
殺人者たる中学男子2人の家庭をも巻き込んで、アレヨアレヨの展開で、所々に「少年法」に対する批判らしきものをも見せながら...と言う訳だが、この話、全体に復讐譚を読み終えたあとの、或いは観終えたあとの爽快感と言うものが全くない。感ずるのは“おぞましさ”だけ
本屋で、この原作(文庫版)を手に取ってみると、オビに「本屋大賞読書賞(でいいのかな)受賞」とあり、中をチラッと見ると、08年版・ミステリーBest1なぞと出ている。
そりゃ、秋葉原タイプ、宮崎タイプ、宅間タイプの人間が増えて来ているは承知しているけど、なんでこんなにも“おぞましい”ものがベストセラーになり、かつ又映画化されねばならぬのか、私には理解出来ぬ。
スマップ(とやらの)中居君(とやら)が出た「摸倣犯」を観た時も、同じような感想を持った。天才を自認する男が、その天才を実証すべく、完全犯罪を目論むと言ったものだったと記憶しているが、その時と今回ももう一つ感じたことがある。
それは、この2作を含む、この「て」のものが、皆亜流ではないかと言うことだ。何の「亜流」かと言うと、(私だけの感想だが)フランスのポール・ブールジェ(19世紀末-20世紀初頭)なる作家の「弟子」なる作品の亜流。
この小説は、師の教説を信奉した若者、即ち弟子が、その教説の正しさを実証しようとして、家庭教師として住み込んだ家の娘を、その実証のため実験代として選び、あげく、その娘を自殺に追い込むという筋のもので、大学生になって読んだ私は、その実証主義者たる弟子の態度に、内心唖然としたが...この実証と言う態度、己の存在の価値を実証するために、人を殺しても平気という。この、実証精神のとりあげ方が、私には,今現在の「告白」やら「摸倣犯」にあるような気がする。
もちろんこの2作の原作者は,ポール・ブールジュなんてしったこっちゃなかろうが、たまたま「弟子」を読んでいた私には「弟子」的なるものと同質のものを、この2作に感ずるのだ。「弟子」の場合には、このよこしまな説教を吹込んだ師の反省と悔悟と、自分の説教の否定とがあって、読むものは救われたが、この“救い”が「告白」にはないと私には思われる。
しかしまあ、本屋の店頭には、又DVD屋の店頭には、この“おぞましさ”だけみたいなものが、山と積んであるな。ついでに言うと、時代小説・歴史小説と名乗るものの、数多さに驚く。
まあ、“おぞましさ”一辺倒のミステリーはさておいて、ミステリーの元祖とも見放すべき黒岩涙香にちょっと触れてみよう。と言うのは、「英文学の地下水脈1」なる本が、第63回「日本推理作家協会賞」を取ったからで、一応大学で英文学を専攻した身としては、この本、看過出来ぬ。殊にも、中の第二部第六章の、(ウイリアムスン「灰色の女」と黒岩涙香の「幽霊塔」をめぐって)の箇所。
このタイトルの文章が何故気にかかるか?と言えば...この「幽霊塔2 」の原作者は長いこと謎だった。
明治・大正期にジャーナリストとして鳴った黒岩涙香が欧米の探偵小説を翻訳・翻案したことは誰でも知っているだろうし、その代表的作品が「鉄仮面」であり「巌窟王」であり「噫無情(ああむじょう)」であることも、よく知られたことだ。只、上記3点に比べて「幽霊塔」の独自なるところは、これが涙香の口語体文章としての最初の訳だと言う点で、尚かつ、これが涙香の探偵小説の頂点に位置する傑作だとされる点だ。只問題は、この作品のいわゆる「種本」が長いことわからなかったことだ。
伊藤秀雄の「黒岩涙香3 」では、こう説明されているだけー『原作者は英国・ベンジスン夫人(Mrs.Bendison)原作は文字通り「幽霊塔」(The Phantom Tower)と言われているが、これ以上のことは寡聞にして知らない』。
しかし、それが1986年に晶文社から出て、第40回日本推理作家協会賞を受けた「明治の探偵小説4 」を経て、現在では、大正10年に浅草富士館他で封切られた「灰色の女」(ア・ウーマン・イン・グレイ)が幽霊塔の原作者だと判明した。原作者A.M.ウイリアムスン(1869-1933)。ここまで判明するのに約一世紀かかっている。
先ず、かの江戸川乱歩は涙香作品中この「幽霊塔 」をもっとも好むとして、あとでリライトした位だが、アメリカの探偵小説史にはベンディスンという作家はどこにも出ていないーと嘆いていた。しかし1980年代半ばに、大衆文学研究会員の藤井茂夫なる人が、「灰色の女」に気付いた。ところがこの「灰色の女」の原書が見つからない。それが2000年の春になって、小森健太朗によって原書が見つけられた。
かくして、江戸川乱歩他、明治文学研究家の柳田泉や木村毅が明らかに出来なかった「経緯」が明らかになった。小森はこの忘却された傑作に目をとめた涙香の眼力を評価しているが、全く正しい。「おそましい」だけの当代ミステリーより、乱歩が舌をまいた傑作を勧めたい。