`93.2.2寄稿
一昨年(1991/平成3年)は、名作「南国太平記1 」の作者、直木三十五(なおきさんじゅうご)の生誕100年にあたったので、甥の植村鞆音(ともね)の編による、「この人、直木三十五2 」という回想集が出ました。
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本名、植村宗一が「植」の一字を分割して姓を「直木」とし、新聞に文壇の評判記などを書き出したのが31才の時だったので、「三十一」と名を付けて、筆名とし、三十五で打ち止めにしたと言う事は、よく知られた話です。
友情に厚かった作家菊池寛は、直木の死の翌昭和10年に、直木評価の一証として、今に続く「直木賞」を設けました。
この仲の良かった菊池と直木が、昭和7年秋に「宮本武蔵」は、強いのか弱いのか。大人物なのか、そうでないのか,,,について論争をしたことがあります。
直木は佐々木小次郎の方が強い...、例えば塚原卜伝(ぼくでん)は真剣での勝負が19回、戦場に出たのが37回、木剣による試合にいたっては数100回、矢傷も6ヶ所、倒した相手は202人、と証拠を挙げて、卜伝の方が、武蔵より強いとし、その上で、武蔵は人物が傲岸不遜(ごうがんふそん=おごりたかぶっていること)である。書、画など書遺したものもつまらぬ、二刀流は剣の道としては邪道である、社会的地位と名声に難がある。門弟らに傑物(けつぶつ=飛び抜けて優れた人物)がいない、との5点をあげて、武蔵を否定しました。
一方、武蔵の側に立った菊池も、これに対して種々、論を繰り出すのですが、このとき消極的に(とみえるのですが)ながら、菊池と共に、武蔵を弁護したのが、吉川英治でした。そして、吉川は、昭和10年から14年にかけて,大作「宮本武蔵」を発表します。
さて,吉川は,武蔵と巌流、佐々木小次郎との対決をどう描いたか。「(武蔵の)櫂の木剣が、ぶんと上がったのである。六尺近い武蔵の身体が,四尺ぐらいに縮まって見えた。足が地を離れると,その姿は,宙のものだった。『ーあッっ』巌流は、頭上の長剣で大きく宙を斬った。....その瞬間に、巌流のの頭蓋は櫂の木剣の下に、小砂利のように砕けていた。」―円明の巻ー
「(武蔵)は小次郎の体のそばに膝を折った。左の手で小次郎の鼻息をそっと触れてみた。微かな呼吸がまだあった。武蔵はふと眉を開いた。『手当によっては』と彼の命に一縷の光を認めたからであると同時に、かりそめの試合が、この惜しむべき敵をこの世から消し去らずに済んだかと、心もかろく覚えたからであった。...『おさらば』...」
以上の如しです。因みに私のもっている「宮本武蔵」は嬉しいことに、新聞連載時の全挿絵画を収めた全六巻本(中央公論社)です。
ところが、今年に入って1月8日のテレヴィ「歴史発見」で作家の笹沢左保が、吉川描く所の武蔵とは正反対の武蔵を論じました。
「武蔵勝利の秘密〜仕組まれた巌流島ー」と題されたこの番組の内容は、「宮本武蔵の引きつれた一党が、小次郎をなぶり殺した」というおどろくべきものです。
笹沢は熊本の大名、細川家の家老沼田父子の遺した「沼田家記」なるかんぶん12年(1672)の資料(これは先頃新聞にも出ました)をもとに、これを論証します。
「家記」によると、「武蔵方弟子共数人」つまり武蔵は数人の味方を潜ませておいて、試合にのぞみ、小次郎を倒す。ところが、「小次郎蘇生で、小次郎は生き返る、息をとりもどす。すると、まわりに潜みかくれていた弟子共が現れてよってたかって小次郎を「打殺」打ち殺し、止めを刺した...というのです。
「手当に依っては」と相手の生命の助かることを願って「心もかろく」立ち去る吉川武蔵とは、雲泥(うんでい=大変な差)の差です。
さて、事の当否は、いずれ発表されるであろう笹沢の作品をみてからにすることにして、ここで、すぐれた武蔵論を一冊おすすめしましょう。
実証的方法による論考で、稀にみる伝記研究家とうたわれた森銑三(せんぞう)の「宮本武蔵の生涯3 」です。
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一言でいうと、森は吉川に対して非常に点が辛い。例えば吉川の「随筆.宮本武蔵」なる本に対して、「『随筆宮本武蔵』の本文は、丁寧に読んでもみないが、随分ひどいことが書いてあるらしい」と言った調子です。
森が吉川を難ずる点を一つあげると、「...武蔵が幼名(ようめい)を武蔵(たけぞう)と言ったなどとしてある。...幼名の文字はその読みだけを変えて通称とするなどという例が故人にあるかどうか....」といった具合です。
吉川英治の宮本武蔵に対しては、作家の杉浦明平、武田泰淳、歴史家の高橋磌一といった人達の、主に思想面からの批判がありますが、森の吉川批判は、あくまでも歴史上の資料による批判です。一読に価すると思われますが、一つ気になる点があります。
と言うのは、この本は「本書は年少の諸君のために、武蔵の一生を務めて平易に叙して見たのであるが....」と(アンダーライン山下)森がいう通りのものですが、今の年少の読者に果たしてこれが平易に見えるかどうか...が心配なのです。しかし武蔵を話題にしておいてこの本をさけるわけには行きません。
さて、最後にテレヴィの「歴史発見」を観ることが出来たと言う事で、私はアシスタントの、明朗闊達(めいろうかったつ=明るくて、こせつかないこと)な、エクボ美人の優子君に礼を言わねばなりません。と言うのは、家にテレヴィを置かぬ主義の私の勝手を聞いて、私が観たい番組だけをダビングしてくれるのが、他ならぬ優子君だからです。
追記 本年1月23日(土曜日)の読売新聞(夕刊)に依ると、昭和5年に「卑怯な手段」として全国高等専門学校の剣道大会で禁止された「二刀流」が、その技の消滅をさけるため解禁になりそうだ...ということです。「二刀流=邪道」とした直木三十五が生きていたら、何と言うでしょうか。聞きたいものです。