`93.2.16寄稿
私の本棚に、式場隆三郎著「ファン・ホッホの生涯と精神病1 」という上下2巻の本があります。上下合わせても、1558ページ、約6kgもある大冊です。昭和7年(1932)に聚落社(じゅらくしゃ)から限定370部で出たもので、私のは第182番です。
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池袋の古本屋でこの本を見つけたのは、私が、大学2年(昭和30年代前半)の時で、¥3,800でした。喉から手が出ましたが、親からの仕送りが月に、¥12,000でしたから、高すぎるのに迷って、私は品川さんに相談しました。
品川力(つとむ)さんは、東大正門前の「落第横丁」にある古本屋「ペリカン書房」の主人で、世に知られた書誌人です。品川さんは、私の話を聞くと、奥から分厚い本を持って来て、「この本でしょう」と確かめたあと、「お買いなさい」と言いました。
ファン・ホッホは画家ヴァン・ゴッホのオランダ語読みで、この本は精神病理学者式場が、精神医学の立場から、ゴッホの芸術と、その創造力とを論じたものです。
式場隆三郎(しきばりゅうざぶろう.1898-1965)は美術評論家でもあって、生涯に約200冊の本を書いた人ですが、放浪の天才画家「山下清」を世に出した人としても有名です。
この数多い著作の中で、式場が最も力を注いだのはゴッホの研究で、その研究の中でも、先にあげた「ファン・ホッホの生涯と精神病」が主著であろうとは、一番面白い本とはどれか、となれば、私の見る所、昭和14年に出た(1939)「二笑亭奇譚=にしょうていきたん2 」です。
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奇譚=きたん、とは「面白く仕組まれた話」(広辞苑)です。
この本は、昭和10年代、(1930年代)東京は深川の門前仲町という繁華街に実在した「二笑亭」と呼ばれる建物と、それを建てた足袋(たび)製造業を営む、渡辺金蔵という人にまつわる話を書いたものです。
この「二笑亭」の外観は、「寺院のような、神社のような、また倉のような、何とも言えぬ異様な」ものでしたが、それにおとらず、間取りも不思議で、その上、登ることが出来ぬ梯子があったり、使えぬ押し入れや部屋があったり、と奇々怪々なものでした。
そして、実はこの面妖(めんよう=奇妙)な家を自ら設計した渡辺金蔵なる人は,ナント「狂人」だったのです。
「狂人」の建てた家と言う事から,精神病学者、式場が登場して、狂った金蔵と,謎に満ちた創造物「二笑亭」のヴェールを除々にはがして行きます。」
この本は古本でも,長いこと,中々入手しがたい本でしたが,平成元年に,50年振りで再刊されました。原本に加うるに,金蔵の四男の談話もあって、まことに盛り沢山なほんです。
それが今度は文庫になりました。「二笑亭」の50分の1の色刷り模型写真もついて、かって隣人達から「お化け屋敷」と言われたこの建物の全体像が、それこそ「目に見えるよう」にわかります。ありがたい本といいたくなる出来ばえです。
さて、摩訶(まか=はなはだ)不思議な家を建てるのは「狂人」に限ったことではありません。
こちらは,フランスの南東部ドローム県は,オートリーヴなる村で,29年間もの長きを、郵便配達夫として働いた,フェルディナン、シュヴァルなる男と、彼が建てた「「理想宮」の話。
1836年生まれのシュヴァルは,配達の途中、石にけつまずきます。その石を掘り出してみて,妙なことにこの男は石の美しさに魅せられてしまい、それからというもの,珍しい石をさがすことに熱中します。
しかも今度は、手押し車で集めたそれらの石を用いて,長い間,夢想していた「宮殿」を建て始めます。
この「宮殿」たるや、熊だの,象だの、章魚(たこ)だのペリカンだの、駝鳥だのといった動物から。アロエ、サボテン、オリーヴといった植物を壁一杯に所狭しとはめ込んだり建てたりという奇想天外なもので、その規模実に,東西26m、南北12mと14m、高さ8-10mに及び,かかった年月33年というのですから,驚く他ありません。
この「宮殿」いや「奇殿」は,1969年、時のフランス文化相にして,作家のアンドレイ・マルローによって重要建築物に指定されました。「奇人」シュヴァルトとその「奇殿」に,フランス文学者岡谷公二が取り組んで出来たのが「郵便配達夫シュヴァルの理想宮3 」です。この本もう少し、宮殿の色刷り写真があればなあーと思いますが、それは望蜀(ぼうしょく=足るをしらないこと)というものでしょう。
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どうです?この2つの建物、訪ねてみたくはありませんか。
*つけたし
10数年前に,義弟が家を建てた時の話です。T大学の建築工学科教授なる人に設計を頼みました。出来上がった図を見て,市役所の建築指導課の人が曰く、“ここの階段、なんとか登れても、降りて来る時は頭がぶつかるなあ”どうやら、角度が間違っていた様で...義弟はこの設計図をキャンセルしました。茶室の「にじり口」のような階段だったのかなあ。