`93.3.2寄稿
大学受験が終わった日、姉の友人の河村さんは、私を「エンペラー」に連れていってくれました。「えっ、高校生をエンペラーに??」と驚かないで下さい。この「エンペラー」は、ラブホテルではなくて、神田の古本屋街、波多野巌松堂の裏手にあたりにあった(ある?)「名曲喫茶」の「エンペラー」です。私は,無論のこと,ベートヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」(=エンペラー)をリクエストしました。
「名曲喫茶は」と言うのは,昭和20年代後半から30年代前半にかけて流行ったもので、「LP」「古典音楽』を,次々に聞かせてくれる喫茶店です。どの店にも,一杯のコーヒーでねばりながら、楽譜をそれらしくにらんでいる者や,指揮者のように、陶然(とうぜん=うっとり)として、腕を振り上げている者など、つまりは、気障(きざ)な連中がいたものです。
それにしても、「エンペラー」が、ラブホテルの代名詞格になったとは、世の中変わったものだな。
我が家には、大人の腰の高さ程もある、小型冷蔵庫大の電気蓄音機(いわゆる電蓄)があって、子供の頃には、それで、兄や姉が蒐めて来るレコードを楽しんでいました。いうまでもなく、「sp」の時代ですから、例えば、ドヴォルザークの「新世界」なぞは、確か、6枚組でアタッシュケース張りの、立派なケースに収まっていました。
さて、東京で下宿生活がはじまってからは、「古典音楽=クラシック」を楽しむために、名曲喫茶によく通いました。銀座並木通りの「ウイーン」、上野御徒町の「ローマ」、神田や新宿の「ランブル」なぞ、なつかしい店の名前です。
その頃、音楽之友社から「音楽文庫1 」
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が出ていて、カラソフスキーの「ショパンの生涯と手紙」とかヴィゼワとサン・フォア共著の「若きモーツアルト」とか言った、面白い本が入っているこの文庫を私は好きでしたが、音楽鑑賞の際に、最も頼りにしたのは、堀内敬三の「音楽の泉2 」でした。
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これは、昭和21年9月1日に、NHKが始めた音楽番組で、毎日曜日の朝「シューベルト」の「楽興の時」を主題曲にして、名曲を流し解説するもので、その解説があとで、本になりました。
今、棚から「音楽の泉 」の第5巻を出してみると、昭和30年6月25日初版、8月10日再販で、「1955年(昭和30年)9月6日、室蘭市大町、弘文堂にて求む。敏明」と書いてあります。私はまだ高校生でした。
解説者、堀内は序文で「この放送は、全然音楽についての知識のない方にも良い音楽を味わって頂けるように、企画しましたので、」と述べましたが、それが幸いしてか、「初学者のためにしている放送が、多数の専門家にも聞かれているのは私としても、大変張り合いがあります」という結果を生みます。事程左様に、この番組は、誰にとっても、楽しく、明快で、有益でした。
さて、このように、世界の名曲を、日本人に普及するに力のあった、この堀内敬三の伝記が、長男の和夫によって書かれました。題して「『音楽の泉』の人、堀内敬三3 」。
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風邪薬のあの「浅田飴」の息子として、神田に生まれた、音楽好き、機械好きの敬三が、マサチューセッツ工科大学を出て帰国して以来、放送事業に携わり、世にも優れた音楽の啓蒙家(けいもうか=無知の人を正しい知識に変える)となった一生を、和夫は愛情込めて、しかも非常に客観的に、時代相をもしっかりと見つめて描きます。円満な教養人、堀内を語って、過不足無しの出来です。
多才な堀内は、慶応大学の応援歌「若き血に燃ゆるもの」や、蒲田行進曲などの作曲もしましたが、又年少の頃から、沢山の外国の名歌を訳していて、それらは竹久夢二の画をつけて、楽譜として売り出され、評判になりました。会社の名をとってこれを、「セノオ楽譜」と言いますが、それらを集成した本があります。
「堀内敬三詩集ー夢に見る君ー」です。収めるところ28曲「カロ・ミオ・ベン」、「サンタル・チア」「ホフマンの舟歌」,,,誰でも一度は歌ったことのある、或いは今でも歌っているなつかしい曲が並んでいます。敬三の歌詞の中で、私の一番好きなトーマ作曲の「君よ知るや南の国」も入っていて、嬉しくなりますが、ゲーテ詩集のフランス語訳から、これを訳したのが敬三17才の時だったと言うのですから、その才能には驚くよりあきれます。見て楽しく、歌って楽しい本です。楽譜付きなのがありがたい。
さて、「夢に見る君」に対して、楽譜ヌキ、夢二の画を主体にして、名詞、(名作詞)名訳を蒐めた一冊があります。名作詞、名訳、名曲39曲+夢二の画39枚、加えるに、19曲を収めたCD1枚付ーというもので、
矢沢寛編「宵待草―竹久夢二、歌の絵本ー4 」です。¥3800と高いのですが、愛蔵するに価します。
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※つけたし
14.5年前のことです。室蘭の近くの有珠町(洞爺湖の入り口)に、口語短歌の指導者格だった故藤田晋一さんが家を建て、その一室に夢二の本やら、軸物(じくもの=かけもの)を展示して「夢二荘」と名付けました。
或る夏の日、本好きの学生達とヒロ子、チカコのメンバーで「夢二荘」に行くことになりました。集合場所の有珠駅で待っていると、遅れて現れたヒロ子が、しょぼんとして、「いくら山下さん達と一緒でも、今度のゆめじばかりは駄目だ、と父が言うので、同行出来ぬ」というのです。
「夢二」のどこが悪いのだと内心思いましたが、色々聞いてみて、事の次第がわかりました。「夢二荘」の少し先に、連れ込み宿=ラブホテル「夢路」なるものがあって、「山下さん達とゆめじに行きたい」とヒロ子から言われたお父さんは「夢二荘」の存在を知らずに、この「夢路」と思い込んだのでした。ヤレヤレ