`11.5.寄稿
私はインターネットを使わない。いや、そもそも全般的に知的な動作、例えば書くことにしろ、読む事にしろ、について私は甚だ旧守的であって、電子書籍などには、全く感心がないし、電子書籍も持ってないし、だから、当然、字・言葉を知るためには各種辞典を使う訳。書くにも、私は全て手書き.室蘭民腕であれ、北海道新聞であれ、私は手書きを清書した上で、手書きの原稿を送るだけ、だ。この「あんな本・こんな本」は下書き無しでいきなり書く。だから出来上がったのもに✓←このなどと、いろいろ入るのはそのせいだ。只、この文章が図書官報「ひまわり」に載るときは、名編集長の久保さんが、ワープロとやらで、打ってくれて、きれになって出てくる。最初のうち、私のこの字が読みづらかったらしいが、今では、久保さんのワープロ原稿を私がチェックする際には殆ど誤りがなくなって、つまりは久保さんが、私の字に馴れてくれたのだ。
さて、話しを戻すと、私はインターネットを使わぬから、「ウイキペデア」については、既に日米のいくつかの大学が、学生がこれを使ってレポートやら、論文を書く事を禁じており、つまりは、「ウィキペディア」の記載事項は玉石混淆で、全部が全部、信頼するには当らぬ、と見てよい.それが物書きだ、作家だと自称する人間の中ににも、巻末参考文献として”ウィキペディア”からと載せる人がいて、これには呆れる。それはとにかく、インターネットに感心を示さぬ私が珍しく「ウィキリークス」には注目した。「りーく=Leak」とは「漏らす」と言うことで、「ウィキリークス』を設立した中心人物、オーストリア出身のジュリアン・アサンジは、その点を、「あらゆる地域の政府・企業の非論理的な行為を暴こうと望むすべての人々の役に立ちたい」と言い、又「出版活動により透明性が増し、この透明性が全ての人々にとってより良い社会を創造する。より精密な調査が不正を減らし、政府や企業その他の団体を含む、全ての社会的組織における民主主義を強化する」と述べている。「日本人が知らないウィキリークス1 」
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「ウィキリークス2 」
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私は、自分たちの政治的指導者が、他の国の指導者にどう評価されているかについて大いに知りたい人間だが、」ウィキリークスは見事にこれに答えてくれた。但し今の所、外国人ばかりだが、例えばリビアのカダフィについては、「旅行には”セクシーなウクライナ出身の看護婦”が必ず付き添うという。飛行機で海上を飛行する事を怖がり、建物の上層階には泊る事を嫌う」と出、イタリアのベルスコニー首相については、「米国務長官は”無責任でうのぼれが強い現代欧州指導者として無能”と酷評した」と出た。昔なら政治家の死後、何年或いは何十年も過ぎてから日記などが公開されて色々な人物評が出てくると言うものだったが、今ではこの「ウィキリークス」の様に現時点での評価が直ぐに分かる。この「人物評をしりたいと言う望みは、単にゴシップやスキャンダルを知りたいと言うこととは、全く違うと私は思う.その人物を判断するための大事な材料となるからだ。
さて、その人物評、何故か日本の政治家は含まれていない。ウィキリークスが「もらして」いないのか、「もらした」けれども、日本の新聞が出さないのか?。
何にしても私は、例えばあの「靴投げられ男」のブッシュが、自分の目の前で「プレスリーごっこ」をしてみせたお調子者の小泉を、どう論評したか、どういったか、を知りたい。
例えば又「非差別部落出身者を大臣だとして天皇の前に連れて行く訳にいかんわなあ」と言ったようなことを発言した麻生をブッシュがどう評価したか。この麻生も通じてんだかどうだか、矢鱈と両手を広げてみせたり、かたをすくめてみせたり、と偽外国人的ジェスチュアでブッシュ他にしゃべりかけて実に見苦しかったが。或いは又、「トラスト・ミー」と言って沖縄問題を解決するかに見えたと思ったら、「方便」だった、とやらかした、舌を何枚持っているから分からぬ人物に対して、オバマが何と言ったか、を私は知りたい。
もっともこの「て」の人間は最近、頓に多いな。まあ、ともかくウィキリークスには、早いところ我が国政治家についての人物評を「もらして」もらいたいものだ。
因みに、ジュリアン・アサンジは、カフカの「変身」、A.ケストラーの「真昼の暗黒」ソルジェニツインの「収容所群島」などの愛読者で、「既存の権力支配層」に立ち向かうためには彼等の欺瞞と偽善が記録されている気密文書をもらす事以外に方法はない、と言う。これは当節、評価されてしかるべき態度と、私は思う。
話しを変えて、私は鉢物(花)を買いに行く時、ポケットに花の辞典を入れていく。切り花にしても鉢植えにしても、今は新種がどんどん出るので、それが多年草なのかどうか、庭で冬過ごせるのかどうか、を知るためだ。同様に、果物を書く時(と言っても私は余り出て行かないタイプだが)でも、最近の流通経路の広がりで、見た事もない、聞いたこともない果物が沢山入ってくる。それで私はポケットに「365日の果物」と言った本を入れて行って判断する。お菓子もそうで、知らないものは食べながら辞典をのぞく。
と言う訳で、先日、松山市の栗原さんが「伊予名物、柚せんべい」を送ってくれた.栗原さんは、優しくも拙著「本の話し」を愛読していると言って下さる有り難い人だ。このせんべい「田岡稲月堂」の製品。栗原さんは私が書いたものから、私が酒吞みと知った上で、口に合わぬかも、と言ってくれたが、私は毎朝2杯のコーヒーを飲む時に必ず甘いものを食べる。それでこのせんべい実に美味しくいただいた。その時、のぞいた本は中山圭子の「和菓子、夢のかたち3 」。
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そして、日本風俗史学会編の「図説・江戸時代食生活事典」。正月には「ダイダイ」を飾るのが正式だが、ユズで代用もした、とか、輪切りにした柚の実が浮かぶ湯船などの説明のあと「さめかかる肌に柚湯のにおいけり」と長谷川かな女の作品が出ていたりする。そして、そのあとにはゆず餅、まんじゅう、せんべいetc,とくる.私は読み終えて栗原さんからの包装紙の一部(田岡の名の入ったところと、伊予名物のところ)を切り取って、本にはさんだ.栗原さん、感謝感謝!! 「お菓子俳句ろん4 」
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せんべいを味わった次の日、新聞に大阪の和菓子屋4代目が福島出身の工場長が作ったものだからとて、3,500個の「どら焼き」を被災地に送った、とた...
それで、又、どら焼きを焼く火床を「平鍋』と言うが、関西では「一文字鍋」と言う。てなことが「お菓子俳句論」に出ている。
どら焼きもきんつば、田舎まんじゅうも...要するに「アンコ」は大好きだ。