昨年の7月から、奇数月の第四土曜日に「ふくろう文庫ワンコイン美術講座」なるものを始めたが、早いものでこの7月の「蠣崎波響(かきざき・はきょう)―松前藩の家老にして一級の画人・文人」が第13回目となる。第12回目には「小川芋銭」をやった。
日本画家の「小川芋銭」〔おがわ・うぜん、明治元年(1868)年〜昭和13年(1938)年〕は東京に生まれたが、あとで茨城県の牛久(うしく、現在は市)に移った。と言うのは父親が藩主山口の牛久藩の武士だったからで、いわゆる廃藩置県なるやつで帰郷し、百姓になったからだ。本名は茂吉(しげきち)だが、号が芋銭(いもせんでも、うぜんでも、どちらでもよし)。
変わった画号だと思うが、これは徒然草(つれづれぐさ)に登場する盛親(じょうしん)なる坊主に由来する・・・が、この徒然草に登場するところ、諸書には第6段なぞと書いてあるものもあって一致せぬ。確実なところは第60段に登場が正しい。
さてこの盛親は芋が好きで好きでたまらぬ。何しろ仏典を講義する時でも、芋を食いながらしていたと言うのだから、よく信者からとがめられなかったものだ。そして芋好き高じて呆れたことに、師匠の遺産たる200貫の銭に加うるに、のこされた寺まで売っぱらって銭に代え、これで腹一杯芋を食う算段をしたと言うから、まあ、これはこれで立派か!?
ところで、わが芋銭も芋好きで、一説には自分が稼いだ銭で好きなだけ芋を、と望んで「芋銭」と付けたのだという。ここで注意すべきは、この「芋」なるもの、北海道人たる我々は、ついこれをジャガイモと思いかねないが、これはジャガイモにもあらずサツマイモにもあらず、「里イモ」なのだ。もっとも、これ又一説には芋銭の好んだのは実はサツマイモだと言う。
ところで、芋銭の芋が『里イモ』だと分かったところで、言っておかねばならぬ、いや、言っておいた方がいいくらいの感じで言うと、この「里イモ』は、実は日本民族学の上では仲々にして大変な存在なのだ。と言うのは、ここに「餅なし正月」なる言葉があって、これに「里イモ」がからむ。どう言うことかと言うと、今、我々の殆どは正月には餅を食べる。正月なるものはいわゆる「ハレの日」=「神々と共にある日」の中では一番大事な日だ。
この日には,繰り返すが、あなたも私も、まあ当然のことに餅を食う。しかし、この時にあって餅はなくてもいいが、里芋は必ず用意されてなくてはならぬとする地域が全国的にある。用意されなくては、どころか”正月には芋をこそ食うべきで、餅を食ってはならぬ”とさえ言うところもないではない。つまりこれは稲を栽培するよりも前に、山芋、里芋などを栽培していたのではないか?と言うことだ。
この事をはっきり主張した学者が坪井洋文でその主著が「イモと日本人」なのだ。①1
この説を平たく言えば、日本に最初にあったのは「畑作農耕文化」=「焼き畑の文化」で、そこではイモ類が栽培されていた。そしてこのあと、芋の他にひえだのあわだの麦だのと来て、最後に稲が登場して、この稲がまことに美味であきぬので、これが食生活の上でも行事の上でも主役になって、芋が主役からおろされたのではないか。即ち「米による芋の敗北」となる。
この坪井説に対しては、安室知(やっすむろさとる)が「餅と日本人」(雄山閣)で、そうとは言えぬーとの論をはったりしているが、とにもかくにも、この「芋論」大事なことなのですよ。興味のある向きは、上に挙げたような本を読んでみて下され。
さて、日本画家「芋銭」は、「河童の芋銭」と言われる程にに「河童」を描いた。そして、この「河童」なるものが又、芋同様に、一筋縄ではいかぬ問題を多々秘めておる。と言うのは、この河童、日本だけのものと思いきや、さにあらず。石田英一郎なる学者の「河童駒引考」(岩波文庫)によると、河童の話はユーラシア全域にあるそうな。しかしそうだと分かっても、この短い文章の中で河童の起源を初めとする諸々について語ることはとても出来ぬから、そうしたことは諸書にまかせて、ここでは「河童」とはどうして出現したのかを、私が一番好きな説で紹介しておく。
これは「河童は人形から生まれた」とする説で、「人形化生説」と言う。左甚五郎でもだれでもいいが、つまりは名工である親方が,城作りでも,橋作りでも、を請け負ったとする。その時,人手が沢山欲しくて藁人形を作り,これに命を吹込んで大工に変え、それらの助力で無事工事を終える。
そして、この用済みとなった人形を元の藁人形に戻し,川へ流そうとしたところ、わら人形達は、「この先どうして生活して行けばよいのか」と親方に尋ねる。親方の答えは「人の尻でも食え」であって、これが「河童が」人の「尻こ玉」を食うと言う理由になる訳だ。
これをもっとつめて、これはある種の技術を持った非差別民たちではないか、とする説もある。何にしてもこの『河童」が含む諸問題は、とてものこと「屁のカッパ」と言ったような軽いものではない。
「河童」の文献と言うと、②石川純一郎の「河童の世界」、③大島健彦「河童」をあげる人が多いが,私は④大野桂の「河童の研究が」一番まとまっていると思うがね。
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ところで,良書2冊「河童百図」と「小川芋銭―聞き歩き逸話集ー」の入手については,探書ベテランの墨谷真澄さんに、いつもの如くに世話になった。サンキュウー!!
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