2011.11月寄稿
私が翻訳家としての村岡花子を知ったのは、女の子ではなかったせいか「赤毛のアン1 」を通してではなくて、マーク・トウェインの「王子と乞食2 」と、ウイダー夫人の「フランダースの犬 」を読んでからだった。名前は知ったが、その生涯については全く知らずで、何の根拠もなく、おそらくどこぞのブルジョアの出だろう位に思っていた。
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ところが、これが大違いだった。花子の孫娘の恵理女の書いた「アンのゆりかごー村岡花子の生涯ー3 」を読んで、その大違いに我ながら驚いたが、その分感銘を受けた。なにしろ、花子の父親は葉茶屋を営む商売人であったが、理想家肌で、これが災いして、この父は家庭生活を放ったらかして、人並み以上に社会主義運動に頭を突っ込み、為に一家はまあ、離散と言ってよいような運命と相成るからである。一家の悲惨さは、この本に当って欲しいが読後、つくづく思ったことは、「教育」というものの偉大さだ。
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「花子」と言う白紙の上に、教育の効果が色鮮やかに染み込んでいく様子を見ると、受け手の資質(=条件=頭の良さとか性格の良さとか)はさておいて、教育することされることの大事さ、必要さ、素晴らしさが分かる。読んでよかったーと思える一冊で満足したが、読んで驚いたことの一つに、「小池喜孝」のことがある。
小池が登場する場面は次の如し....「昭和26年(1951)のある日、三笠書房の小池喜孝という編集者が訪ねて来た」。この小池は小学校の先生だったが、独学で歴史や社会を研究していたものの、GHQのパージで首になった、と言う。
この三笠書房は、私の読書人生でも何回か縁のある会社だ。
先ず中学3年の時、三笠文庫で全8巻の「風と共に去りぬ」を読破。そのあと面白かったのが社長の竹内道之助が自ら訳したA.J.クローニンの「城壁」なる長編。1人の医者の成長を描いて、そのヒューマニズムに大いに感動したが、今どきあんなにも人間的な医者はいまいいなあ。
それに「三笠版・世界文学全集」でマルセル・プルーストの本もだしてたなあ...と言う訳で、私も三笠書房好感を持って覚えている。
さて、この小池が花子に「社長が女性読者を視野に入れているので」翻訳文学としてはかつてないほどに多くの女性読者をつかんだ、「風と共に去りぬ」のような作品が他にないかと訊く。最初は「ありませんよ」素っ気なかった花子が、ひょんなことから、カナダのモンゴメリ作「アン・オブ・グリンゲイブルズ」の役を持っていることを話す。小池はその話しを社長に伝えて、無事出版の運美となるのだが、タイトルが問題だ。ゲイブルズはすなわち切妻屋根だが、日本人には余りなじみがな。そこで「窓辺に倚(よ)る少女」との花子の案を、持って帰ったあとで、竹内社長が花子に知らせて曰く「小池が”赤毛のアン”ではどうか?と言っている」と。花子は反対したが、娘のみどりが大賛成で、ここに「赤毛のアン」が誕生。
さて、「アン」はさておいて、小池のこと。三笠書房は昭和32年に倒産。止むなく小池は、と言っても教育への夢未だ覚めずーで、彼は昭和28年に北見の北斗高校の社会科の先生として渡道した。ここに至って私はおそまきながら「あーあの人か」と気付いて、我が家の社会科学、歴史分野を置いてある2階の書庫に行って、小池の本を取り出してみた。ここにあげた3冊の他に2冊ある。
①「常紋トンネルー北辺に斃(たお)れた労働者の碑ー4 」1977/朝日新聞社。
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②「雪の墓標−タコ部屋に侵入した脱走兵の告白ー5 」1979/朝日新聞社。
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さて、ここに挙げた3冊はいずれも「秩父事件」に関するものだ。そして「秩父事件」とは、事典風に記せば、1884年(明治17年)埼玉県の秩父郡で自由党員と農民とが、世直しと、農民救済を求めて蜂起した。負債と重税に苦しむ農民は、「困民党」を組織して秩父自由党と連帯し、困民党軍は大宮を占領し、郡役所に本陣をかまえるまでに善戦したが、ついには軍隊と警察によって解体させられてーとなる。
秩父困民党の代表的人物は田代栄助、井上伝蔵、加藤織平、落合寅市ら、これを支えたのは、ざっと一万人。「天朝様=天皇に敵対するから加勢しろ」とて乱を起こした。これを映画化したのが2004年の9月に封切られた神山征次郎監督の「草の乱」私も札幌まで観に行ったが、これは余計な話。
実は「秩父事件」が歴史学の対象となったのは、秩父市出身の歴史家・井上幸治の「秩父事件6 」(中公新書/1968年刊)の刊行がきっかけだ。
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そのあと井手孫六の「秩父困民党群像7 」(角川文庫)が続き、
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小池の本が出る前後の1974年は、事件の90周年と言うこともあって色々な関係本が出た。当時私が読んだだけでも順不同に、1975年浅見好夫の「幻の革命(( 浅見好夫.幻の革命.埼玉新聞社(1975))) 」(埼玉新聞社)、田島一彦の「秩父困民党に生きた人々8 」(1977/徳間書店)、森山軍治郎「暴徒−現代と秩父事件9 」(1976/同志社大学)、中沢市郎「自由民権の民衆像−秩父困民党の農民たちー10 」(1974/新日本出版社)、と様々だ。他にも秩父の教会のカトリックの司祭だったアルベール・コルベジェの「火の種まき−1884年・秩父事件ー11 」(1983/あかし書房)もあるし、困民党百年記念として24年振りに復刊となった色川大吉の「困民党と自由党12 」(1984/揺籃社)なる名論文もある。
ところで、秩父事件の関係者の中で、一番劇的な生涯を送ったのは何と言っても井上伝蔵だ。伝蔵は蜂起が失敗すると、地下にもぐり、潜行すること実に35年。これを追いに追ったのが、小池喜孝だった。小池の「秩父颪ー秩父事件と井上伝蔵ー13 」(1974年8月刊)
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が出る前,同じ年の1月に北大図書刊行会から出た「民衆精神史の群像ー北の底辺からー」当時北海道専修大学(短大)の助教授だった森山軍治郎は、「〜ぼくが井上幸治先生を北見に案内するようになったと言うのも、小池先生がすでに何年も前から伝蔵の調査をすすめていることを聞いていたからである。小池先生の調査を出発点としなければ、こんなに短期間に潜伏35年のうち20年間の足跡が明らかになることはなかったであろう。」官憲に追われつつ、35年も足跡をくらまし続けた伝蔵の生涯は、アレクサンドル・ヂュマの伝奇小説顔負けの面白さだ。「小池先生の文章は繰り返しが多くてくどい」(と記憶しているが)のが難だが、読むべし、読むべし。当宇治室工大の物理の助教授Mは、「高校の教師でも、こつこつやれば目立つんだね」とふざけたことを言ったが、当のMは、論文一つ残さず無名で死んだ。
それにしても、村岡花子の伝記で小池に行き合うとは!!。改めて小池の本を良く見たら、著者欄に「〜出版社員をへて〜」とあって、三笠の字はなかった。
- 村岡花子訳.赤毛のアン.新潮社(1980) [↩]
- 村岡花子.王子と乞食.岩波書店(1958) [↩]
- 村岡恵理.アンのゆりかごー村岡花子の生涯.新潮社文庫(2011) [↩]
- 小池喜孝.常紋トンネルー北辺に斃(たお)れた労働者の碑.朝日新聞社(1977) [↩]
- 小池喜孝.雪の墓標−タコ部屋に侵入した脱走兵の告白.朝日新聞社(1979) [↩]
- 井上幸治.秩父事件.中公新書(1968) [↩]
- 井手孫六.秩父困民党群像.新人物往来社(2005) [↩]
- 田島一彦.秩父困民党に生きた人々.徳間書店(1977) [↩]
- 森山軍治郎.暴徒−現代と秩父事件.同志社大学(1976) [↩]
- 中沢市郎.自由民権の民衆像−秩父困民党の農民たち.新日本出版社(1974) [↩]
- アルベール・コルベジェ.火の種まき−1884年・秩父事件.あしか書房(1983) [↩]
- 色川大吉.困民党と自由党.揺籃社(1984) [↩]
- 小池喜.秩父颪ー秩父事件と井上伝蔵孝.北大図書館刊行会.(1974) [↩]