2017.5月寄稿
「ひまわり」の5月号で、私は「横浜事件」について書いた。もう忘れた人もいるだろうし、又読んだ後捨てた人もいるだろうから、(改めて)再録する。「ひまわり」5月号(第192号)の「あんな本・こんな本」から。
「共謀罪」が閣議決定されたことで、全国紙をはじめ地方各紙も反対の論陣を張っている。そんな中、「横浜事件」の被害者・木村亨の妻女が、この法律は「治安維持法と重なる」と危惧するのを読んだ。ところで「横浜事件」とは....希代の悪法と言われる「治安維持法」のもと、神奈川県の特高警察が拷問(4人死亡)で自白をでっち上げ、司法も追認して作り上げた戦時下最大の言論弾圧事件。総合雑誌中央公論が潰された。これについては何冊もあるが、黒田秀俊の「横浜事件 (黒田秀俊.横浜事件.岩波書店 (1987) )) 」と、先ほど挙げた犠牲者・木村亨の「横浜事件の真相1 」を出しておこう。
以上だが、この5月号が出たあと、6月2日の衆議院法務委員会で、この治安維持法への認識を問われた金田勝年法相が、呆れた答弁をした。曰く「治安維持法は適法に制定され、勾留、拘禁、刑の執行も適法だった」。現代史にいささかでも知識のある者ならば、この答弁が如何にムチャクチャなものかは直ぐ分かる所だ。が、もし、「治安維持法」は初耳だとか、うっすらと知っているがよくは知らぬという若い人(とは限らずお年寄りでも)がいたら、今からでも遅くはない、潮見俊隆(うしおみとしたか)著「治安維持法2 」や小樽商大教授•荻野富士雄の「特高警察3
」(いずれも名著、そしていずれも岩波新書)を手にとって欲しいい。読めば金田ほどのボンクラでなければ、この法律が金田の言うものとは全く異なることが理解できる筈だ。この2日の答弁の後、今度は8日の同じ答弁では適法と断言したこの治安維持法によって裁かれた「横浜事件」について、この事件を知っているかと問われた金田は、又々呆れたことに「詳細について承知しておりません」と述べた。これは、安倍が「ポツダム宣言」をよんだことがあるかと問われて「つまびらかにしてはございません」(とか)言ったのと同じで、つまりは知らないのである。「つまびらか」を漢字で書けば「詳らか」で、意味は詳細で、金田と同じ言葉。知らないと言いたくなくて、一寸ばかり難しげな言葉を使って見せただけ。
もっとも、つまびらかもへちまも、これ又初耳という人のために書いておくと、「ポツダム宣言とは」とは、1945(昭和20年)年、ベルリン郊外potsdamで、米・英・中国(のちにソ連も参加)が発表した対日共同宣言。日本に対する戦争終結の条件を示したもの。
余談だが、この宣言ののちに出たポツダム命令によって学制がが変わって繰り上げ卒業となった時、正規の大学院を経ずに博士になった連中を、多少揶揄的に「ポツダム博士」という。
それはともあれ、金田が詳細には知らぬと言った「横浜事件」とは、改めて説明するならば、1942−45年、中央公論社や改造社、朝日新聞社などの言論・出版関係者ら60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県特別高等課に治安維持法違反容疑で逮捕された事件の総称、ということになる。
この事件は時の権力によるでっち上げ事件だから、当然のことに捕まった人達にしてみると、冤罪(えんざい=無実に罪)で、元被告らは1986年から4度にわたって再審請求をし、3次と4次は再審を認めたものの、すでに治安維持法は廃止となっているからとて、裁判側は有罪、無罪を示さない「免訴」の判決で逃げた。
さて「横浜事件」の当事者達が口を揃えて、この悪法「治安維持法」と似ていると危惧する「共謀罪」が6月15日早朝、参議院本会議で強行採決された。全国から抗議の声が起きているが、今からでも遅くはない、前者の轍を踏むことのないよう、「横浜事件」に学ぶことを勧めたい。
5月号ではタイトルのみを示した木村の本と、新たに「横浜事件-妻と妹の手記-4 」を出しておく。「前者の轍〜」云々とは、轍はわだちで、前の者と同じ失敗を後の者が繰り返すこと。もちろん安倍一党と共謀罪賛成派に向けて言う言葉、そして治安維持法を知らぬ人にも。
ところで、この治安維持法が映画にも及んでできたのが1939年(昭和14)3月に国会に上程され、4月5日に可決された「映画法」。この時政府が提唱したスローガンは「日本映画向上発展」のために作られる「世界最初の文化立法」というもの。
しかしこれ、ヒトラーのドイツが1934年2月に発布した映画法の猿マネ。全25条に及ぶその映画法の出だしは、「朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル映画法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ発布セシム、御名御璽(ぎょめいぎょじ)」と言ういかめしい者。朕はもちろん天皇、御名御璽は天皇の署名と判コ。
これはむろん権力が映画統制のために作ったものだから、全体の半分以上が罰則の規定だった。この時敢然としてこの悪法•暴法を批判したのは、東大ドイツ語学科出身の映画評論家・岩崎昶(あきら)。彼は「この法の立案者は、この法を以って何処の外国の模倣でもないと、主張しているが、これは疑いもない事実であろう。地球上のどの国でも、懲役と罰金とによって映画の”質的向上”を図ったり、”国民文化の進展”を企て得ると考えた法律などあるまいからだ」と皮肉り、更に文化的大衆のための立法であるから「〜映画及び文化一般に対する愛情と尊敬とを、要求したいのである」と加える。
「共謀罪」他キナクサイ事ばかり続く昨今、この岩崎に学ぶべき事は多い。因みに、私は映画についてはこの岩崎と、今村太平を信頼して読んできた。今村についてもいずれ語ろう。今は岩崎の評伝と著作を出しておく。岩崎は戦後右翼の暴漢に斬られたが、一命をとりとめた。」
「キネマに生きる評伝・岩崎昶5 」
「占領されたスクリーン6 」