司書独言(209)

◯月◯日/7月6日の室蘭民報にのった東洋経済新報社の調査なるものにびっくりした。何しろ見出しがすごい。「室蘭"住みよさ”全国1位」「高い”快適度”」と言うのだ

これ、読んだ途端に「その通り」と思う市民はいるだろうか。私がこの見出しを見て思ったのは「ナンデ、マタ」だった。つまり、何をもってして室蘭が「全道一住み良い街」と言えるのか、との疑問が瞬時に脳裏に浮かんだのだ。

◯月◯日/それでゆっくり読んでみると、この調査は①安心度②利便度③快適度④富裕度の4つの視点から「犯罪件数」「子ども医療費の対象年齢」「財政力指数」「持ち家世帯指数」「水道料金」「気候」などの22の指標について平均値を50とする偏差値を算出したそうな。そして室蘭市は気候(全国29位)、フーン、とはいかなくなった。と言うのは昔のことを思い出したからだ。何年前か忘れたが、ある時室蘭民報に茨城の人(だったか)の投書がのった。それは「なんとか統計で室蘭は公園の数が全国1番、街路樹の数が1番と知りました。ナントすばらしい緑あふれる都市でしょう。是非住んでみたいです」と言った趣旨のものだった。公園の数が1番とは知らなかったが、その実態はどうか?「公園」とは原則、何平米以上なくてはならぬか?を知らずに言うのだが、私の家のすぐ近くに、千歳町の通称「小公園」の1/4、いやひょっとして1/6位くらいの公園がある。普通の家の1軒がようやく建つか建たぬか、と言った狭いところで、これで「公園といえるのか?」と言った感じの空き地だ。

◯月◯日/また、石川町の道路脇の斜面に「公園」とある土地がある。それはいいが此処かなりの急斜面で、例えばここで人が大地に寝たとしよう。おそらくその人はそのまま丸太を転がすが如くに下までゴロゴロと下ることだろう。また崎守の先に・・・イヤ、例示はここでやめよう。言いたいことは「公園」なるものの勝負は「数」ではないのではなかろうか。今まで結構旅行して各地の公園も見てきたが、いずこもこれが室蘭にあればなあと羨ましくなるものばかりだった。改めて言う。草茫々の猫の額ほどの土地を公園と名付けて数を誇っても、つまらん話ではあるまいか。

◯月◯日/次に街路樹の数が一番と言う話。これが街路樹を植える(あれ、なんというのか)四角の枠の数を言うならそうかも知れぬ。しかしその枠に全部樹があるのか?となると、さてどうか。私が通勤で日常見かけるのは、車がぶつかって木が折れてもそのまま空、風で倒れて抜きとられてもそのまま空・・・で、つまり空の枠が結構あるぞ,どうし直ぐに補充(樹)しないのかと言う事。それで以前市役所にいる顔見知りの室工大土木出身の男にこの事を聞いてみた。すると答えは(今は知らず)その時点で、「緑化係」が3人しかいなくて手が廻らぬことと金がないのとで、とても全市の街路樹の枠を常時満たす事が出来ぬ云々。

◯月◯日/となると、数で1番の公園同様、数で一番の街路樹と言いつつ、空枠だらけの、言うなれば抜け歯だらけの爺さんみたいな街になってしまっているのではないか。となると、してまた市が唱える「花と緑のサークル都市」なんて宣伝文句も実のない誇大な文句になってしまうのではないか。と言う訳で東洋経済新報の言う「人口当たり都市公園面積第41位」てのは、どこの町の話?となってしまう。次は「人口当たりの病床数48位」とくる。これ本当か?と言う話はその実態を皆よく知っているからもうやめる。結論として言えるのはこの東洋新報社の調査なるものは、要するに只の割り算のリストなのだろう。

◯月◯日/街路樹で一つ忘れる所、序でだからこれも気になる事として上げてみる。旧日石本社前の白鳥大橋に差しかかる道路のコンクリート壁の事、ここに何年も前に蔦が植えられた。それがそのまま伸びていれば、今頃は旧室蘭駅前の八幡神社への階段右脇の壁(と言うか崖)が緑したたる蔦でフサフサと覆われているようになる筈だった。ところが雑草刈りの業者はチェーンで雑草も蔦も一緒くたにチーンとやってしまう。だから蔦が折角コンクリート壁の隙間をぬって生い登り出したとなるやチーンとくるので、何年たっても根が残っているだけで、コンクリート壁に緑一点の気配もない。心ない話だ。

◯月◯日/もう一つ、本輪西駅前の国道37号線踏切の前の登別石を組んだ石垣の話。ここ以前はどこの管轄か知らんが、草が伸びだすと人が出て、雑草をきれいにこそげ取っていた。それが何年か前から、手入れ一切ナシ、草伸び放題。この雑草の根が石組みの中で張りすぎて石垣そのものが崩れるのではと心配しているが、役所は何の心配もないのだろうか。

◯月◯日/私は百田尚樹の「日本国紀」について、今まで何度か批判してきたが、ここに至って又変わった問題が起きた。津原泰水なる作家がいる。この人は「日本国紀」がコピペだらけだと言い続けてきた人だが、前に「ヒッキーヒッキーシェイク」を幻冬者から出している。幻冬舎は安倍よりの見城徹が社長の会社だ。さて津原の本は単行本のあと幻冬舎文庫に収まると決まっていたが、津原が先記したように百田の本を批判した途端この文庫本化の話は御破算となった。津原がこの事を告白すると、見城は意外な行為にでた。

◯月◯日/見城は「文庫本中止は津原さんの申し出」だとした上で、実は津原さんの本はそんなに売れていなかったとして実売部数を明らかにしたのだ。業界の習慣では実売部数は非公表なのが常識であるから、見城のこの行為には批判が続出した。作家の高橋源一郎も苦言を呈した由。コピペだらけの百田本はトンデモ本の最たるものだが、百田本人も「フランシスコ・ザビエルとルイス・フロイスを取り違えている」と指摘されると「どっちにしても外人や」と返すトンデモ人物だと呉座勇一が指摘している。

◯月◯日/百田のトンデモ本を出し続ける見城も出版人としてはどうかと思うが、それは今おいて津原の本は、幻冬舎ではなく早川書房のハヤカワ文庫となって無事に今本屋に並んでいる。この間の事情を説明しつつ、この本を批評したライターで編集者の南陀楼綾繁(なんだろうあやしげ)は「しかし、版元を変えて刊行された本文庫は、発売直後に増刷が決まった。それはネットでの騒ぎからの興味で手に取った人たちがこの物語に魅了された証拠なのだ」と言う。

◯月◯日/ところでこの南陀楼綾繁氏がかつて私のことを雑誌で紹介してくれたことがあるので、手前味噌ながら此処にのせよう。これ「彷書月刊」の2001年12月号にのった。この雑誌1985年に始まり、2010年に休刊になった。今では古本屋でも入手困難と思うので、あえて前半と、終刊の時の事情に触れた文章を出しておこう。

「司書独言」のバックナンバーは http;//t-yamashita.info/をみてください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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