第414回 (ひまわりno230)「黒い雨」裁判 井伏鱒二

2020.8.9寄稿

2020年7月30日、各紙に「”黒い雨” 裁判・全面勝訴」の文字が躍った。「黒い雨」とは、原爆で発生した大火によって噴き上げられた放射性の灰やちりを含む粘っこい泥雨のこと。

この雨、8月6日の原爆投下45分後の午前9時頃から激しく降り始め、黒い積乱雲が北北西に移動するにつれて、同日午後4時頃まで各地に雨をもたらした。当時は壊滅した広島中心部を含む長径19K、短径11Kのだ円形区域に大雨がふり、それにより外の長径29K、短径15Kの範囲は小雨だったとされる。ところが、1987年になって気象学者の増田善信理学博士は、諸所の資料を再検討した結果、上記の定説にズレがあることを突き止め、結果、降雨域は爆心の北約40K,最大の東西幅約25Kで、従来の約2倍の範囲、局部的には広島の南の仁保、安芸郡の海里の各地域にも雨が降ったとの結論を発表した。一方「黒い雨」裁判とは「黒い雨」を浴びたのに国の援護対象から外された地域の人達8千人が、広島県と広島市とに、被爆者健康手帳交付却下処分の取り消しなどを求めたものだ。この訴えは2015年に起こされたが今迄にすでに16人もの原告が死亡している。さて、広島地裁は冒頭で書いたように、84人全員を被爆者として認定した。つまり全員を「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するとした訳だ。これを受けて、この勝訴を応援して来た人達、例えば「原水爆禁止日本協議会」は8月8日になって国に対し、この地裁判決を受け入れ控訴をしないよう求める要請書を出した。一方安倍は例によって何事にもそうであるが、”控訴断念”の意を示していない。どこまでも非人間的な奴だ。

我が家の第2書庫(2階)に入る廊下に、日本の小説家で私が殊に好む作家を集めた棚をおいている。50音順に並べてあって、石川淳で始まり和田芳恵で終わる。石川淳の次は井伏鱒二で全集の他に単行本がおそらく全部並んでいる。中に「黒い雨」がある。これは重松静馬の日誌が土台になっている。重松は本名でかまわないと言ったが、そうもいかないから逆さにして「閉間重松(しずましげまつ)とした」と井伏は言う「萩原徳司、井伏鱒二、聞き書き、青弓社1 」重松は自分のつけていた被曝の記録(日誌)が「原水爆禁止運動の何かの役にたつのではないか」と思って、井伏にこの日誌を活用してくれないかと頼んだのだ。重松については井伏は又「平和、反核の運動に熱心な人で、荻窪駅で署名運動などしたときは、ここへ大分人を連れてきたよ」とも語っている(萩原書)「黒い雨2 」について井伏自身はどう思っていたか、詩人で独文学者の神保光太郎に井伏は言う「あれはルポタージュです。あんな前例のないことは空想では書けないもの」「僕はルポタージュとして、戦争反対の気持ちで書いた。だから事実を尊重した」あれはベトナム戦がさかんなころ、戦争反対の気持ちも含めて書いたのだが、戦争推進者に対して全然無力です」

かく言う井伏に対して神保光太郎は「シンガポールで一緒にいたころからあなたは、なにをおいても事実が大切だ、と言う意味のことを絶えず言っていましたね」とこと応える「井伏鱒二、対談集、新潮社3 」。ここで神保が「シンガポール〜」と言っているのは、太平洋戦争中に井伏も神保も軍の徴用を受けてシンガポールに行かされ、神保はシンガポール日本語学園を主宰していたときのことを言っている。このシンガポール時代のことを書いた井伏の「徴用中のこと4 」(講談社)だ。面白い本だから序でに出しておこう。

さて、世の中ままならぬもので、この「黒い雨」は盗作だとの論が出た。これについては甚だややこしいので東郷克美編「井伏鱒二の風貌姿勢」(至文堂、平成10年。¥2,250)中の高橋真理の論考に委ねるとして、片腹痛い(というのは私の個人的感情だが)のが、あの猪瀬直樹。猪瀬は自著「ピカレスク・太宰治伝」で井伏は「素材活用のレベルをはるかに超えて”黒い雨”は重松の日記そのものとも言えるのだ」として、井伏は盗作した、と断定する。これに反論するのは2001年にその日記を筑摩書房から出した岐阜女子大学名誉教授の相馬正一。相馬は言う「小説と日記を詳細に比較すれば、井伏が事実と虚構の問題をいかに突き詰めて作品化したかがよくわかる」と。

序でに言って大江健三郎も(むずかしい論の紹介は今さけるとして)井伏盗作に反論して「揺るがぬ”黒い雨”」と題する一文の中で「”黒い雨”はさらに深く読み取られ、その世界的な評価はさらに重いものとなるであろう」と断言する(飯田龍太他、尊魚堂主人ー井伏さんを偲ぶー。筑摩書房平成12年、¥2,800)

猪瀬と言えば、都知事のとき(?)か、赤字の夕張にやって来たときの態度に呆れ果てて腹が立ったことがある。まだ夕張市長が今道知事の鈴木ではなくて、年輩・温厚そうな藤倉だったが、イノセは市長室に入るに、半コートを脱がず両手をポケットに突っ込んだまま、立っている藤倉に座ることもすすめず、アゴでしゃくる様な物言い方を続けたのだ。その威張りくさった態度と顔は「醜い」の一言で、まあ下品な麻生の親族みたいだったなあ。それにしてもナニユエ、ああ威張りたがるのだろう。

映画監督の今村昌平は「黒い雨」を映画化したいと井伏に願いに行ったとき、60歳過ぎた身でありながら緊張して少々ふるえたと書いて、更に土産の焼酎を出すと一口飲んでみて「こりゃウイスキーみたいだな」という井伏を見て「変わった爺さんだなあと思った〜」と憎まれ口を叩いているが、結果カンヌ(だったか)で受賞した.原爆に病んだ矢須子役を33歳で演じた田中好子は55歳で死んでしまった。

さて今日は8月9日、原爆を投下されて75年、そのくせ戦争したい安倍は核兵器廃絶にも協力せず、コロナは広がるばかり。この国が賢明になれるのはいつなのだろう。書き終えて目を上げると庭一面の百合に黄アゲハと紋白蝶が来ている。気持ちが救われる。

  1. 萩原徳司.井伏鱒二、聞き書き.青弓社(1985) []
  2. 井伏鱒二.黒い雨.新潮社文庫(1970) []
  3. 井伏鱒二 .井伏鱒二、対談集.新潮社(1993) []
  4. 井伏鱒二.徴用中のこと.講談社.(2005) []

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