第116回  酒、ソバ、寿司、風呂

シャンソン歌手の石井好子を、私は好きになりません。本場仕込みか何か知らないけれど、声量が少なくて、どうしても、上手だ、とは思えないのです。しかし、嫌いな理由は、「歌」、よりも、彼女の「ソバ」に対する発言にあります。

いつであったか、或る週刊誌が、東京名代の「ソバ屋」の特集をしました。それに「薮」であったか、「並木」であったか、「砂場」であったか、・・・・の「盛りソバ」、が出ていて、それは写真で見ると、「盛りソバ」と言うよりも、「平ソバ」とでもいいたい位のもので、つまり呆れるほどに量が少なく、「せいろ」の上に、ソバをすのこ状に置いたようにさえ見えるもあろうことか、石井はそれを評価して言ったのです。」日(いわく)、「ソバの間からしたのせいろが見える上品な盛り方だ、せいろが見えるから、一層、食欲がそそられて、もう一枚、一枚とたのみたくなる。」

私は、“東京の味”なるものに満足したことは滅多にありませんが、中でも腹が立のは、名代と称するソバ屋の盛の少なさです。

つまり、値分、出されていないな、と言う不満です。¥600〜¥800もとって、山盛りと言うならともかく、—として、とにかく少ない、ソバは高血圧に良いと言いますが、あれをみると、血圧がさがるどころか、頭に血がのぼります。

ところが、石井は、それを、言うに事欠いて「上品な盛り方」だと言う、余といえば余りな!!」こう言う時、北海道弁では「何こくが」、と言います。

と言う訳で、長年、「てやんでえ」と思ってましたが、椎名誠も、ソバの盛りの少なさに怒っているのを、最近知りました。彼は、東京のみならず、全てのソバ屋に対して「こころして、モリソバの量の増大改革にはげめよ、全国のソバ屋め!」と激しく言葉を投げつけています。

そして、只一軒、長野県は上田市の「刀屋」なるソバ屋の盛をほめています。私も其処で食べたことがありますが、その盛ぶりは天下一品・・・・なにしろ、丼をさかさまにしたような形で、ソバが盛り上がっているのですから。

まあ、ソバ好きの御面々、椎名の一文の入った「蕎麦」を、読んで御覧じろ!!

因みに、私の好物は「蕎麦」と「寿司」ですが、この寿司の方も、仲々満足出来る店はありません。満足どころか呆気にとられる程ひどい店が沢山あります。

今はないけれど、東室蘭駅前にあったNに入った時です。誰もいないのかな、と思っていると、トイレの扉があいて、男がズボンのチャックをしめながら出て来ました。それが主人で、そのまま、手を洗わずに、茶を出し、握り始めたには、参りました。

浜町の「鶴の湯」の前にあった店では、カウンターにとまった蝿を、布巾でビシッとたたいてつぶし、その布巾でカウンターを一なでしたあげく、布巾を洗いもしないのです。

青森は八戸の寿司屋では、最後にカッパ巻を注文すると、手巻でよこしたので、それを手にしたま々、連れと話をしていると、「お客さん海苔がしけっちゃうよ、早く喰な」とやられたには腹が立ちました。

作家の北杜夫にたたかれたのは、小樽の寿司屋Mですが、水族館に近い或る店では、ナントと自慢気にパイプをくわらせながら、握る職人がいて、往生しました。たたかれるべきはMばかりではありません。

それはともかく、こう言う寿司屋共には、日本橋の吉野寿司の主人であった吉野曻雄(ますお)が書いた「鮓、鮨、すし1」を読ませたものです。特に、「近代のすし調理師に望むこと」の箇所を。[tmkm-amazon]4751100386[/tmkm-amazon]

この本は又、寿司好きが、いい寿司屋をみつたければ、是非とも、読むべき本でもあります。

酒、寿司、そば、の次に私が好きなのは風呂(温水)です。しかし、私は、脱衣場はベタベタと汚いわ、中は騒々しいわで、今、流行りの、郊外型の大浴場には行きません。

行くのは専ら、客ガラガラの清潔きわまる町中の風呂屋の方が、山間の湯のようにのんびりとすいているのです。

清潔と言えば、私の知り合いの短大出の女は、ヒトの入った湯は家族でもいやだと、家でも一番風呂に入るのだそうで、「それじゃ会社の旅行は?」と聞くと、客室の風呂で済ます 。「じゃ結婚したらどうするんだ」と言うと「何が?」ときます。「亭主と一緒に風呂に入らぬのか」と返すと、「ゲッ—!!やめてよ、結婚なんかしないもの」ですと。

清潔でもう一つ、白鳥台の「千代の湯」でのこと。開湯同時のに入っていい気持ちでいると、小学3年位の男児が来て、そのまま入ろうとするので、「ダメダメチンチンとケツ(尻)を洗ってから入れ」と言うと「どうして?」と聞きます。

「どうしててなあ・・・・」と続けようとすると、30代のえらい肥った男が入って来て、みると、オッ、オッソロシイ!!背中、肩、腕と総入墨。それが「何ぐずぐずとしる」とどなるや、先の坊主をかかえて、共々にザブーン。

これでは“どうして?”て聞く筈だわさ、と私は言葉を呑み込んでしまいました。

風呂好きと言われる日本人の感覚も大いに様がわりしている様で、そんなこんな思いながら、「入浴の解体新書」を読みおえる所です。夏休み、頭も身体も、充分に休め、かつ養いましたか。②2

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  1. 吉野曻雄.鮓、鮨、すし.旭屋出版 (1990) []
  2. 松平誠. 入浴の解体新書.小学館 (1997) []

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