2015.2.30寄稿
2月、聖路加病院の例の長老/日野原重明先生が「梅」について書いている。自宅にある2本の古梅に絡めて,毛沢東の詩を引用するのだが、その日本語訳の後半は「美しいけれども、それによって、春の美しさを独占し世にときめこうというのではない。ただ、来たるべき春のさかりを予告しているだけなのである。やがて爛漫と山に花が咲き満ちたとき、先駆者の役目を終えた彼女、梅は,実を結び、他の花に囲まれながら満足の笑みを浮かべているだろう」....この引用のあと、日野原は「中華人民共和国主席として権力を振るった政治家と、この詩を比べて、毛沢東とはどんな人物だったのだろうと興味が湧いてきます」と加える。
興味が湧いた結果、日野原が毛沢東伝の」類を読まないはずはないから、その結論、つまり彼が毛沢東をいかなる人物と判断したか知りたいのだけど彼はそれを言わない.トボケているのか、毛沢東をかう人を敵にしたくないのか。
ところで、先に引用した翻訳は武田泰淳/竹内実共著の「毛沢東、その詩と人生1 」(文芸春秋)によるものだが、この本、私の記憶では,毛沢東の詩心なるものを褒めたたえて、これほどの文雅の心を持った政治家は日本にはいない、と言った調子のものだった。
確かに先の詩を読めば「〜独占し、世にときめこうと言うのではない〜予告しているだけなのである〜などと、如何にも謙遜な梅の姿を自分になぞらえているかに見える。武田と竹内(実)の本に先立つ竹内好は自著で、やはり毛沢東の詩人としての質を「彼の文章はいかにも生き生きとしてみえる」といい「彼の人間性に残虐を立証する要素は一つもない」と断言して見せた。
しかし、はたしてそうだろうか。毛沢東は非人間的な独裁者スターリンと違う温情あふれる国民の指導者だったのか?。冗談じゃない、と私は思う。
1958年の鉄鋼増産の「大躍進」の失敗、数千万人の餓死者を生んだ経済政策の失敗、そして文化大革命という狂気の運動。去年の1月、紅衛兵のリーダーだった宗彬彬(そうひんひん)らが、自分達がかつて攻撃した北京師範大学付属高校の先生たちに謝罪したが、私に言わせれば、先に謝るべきは毛沢東だ。毛沢東主義とスターリン主義の近似性を指摘したのはアイザック・ドイッチャーだが、まあ、難しげな本を読まなくても、例えば京夫子(チンフーズ)の「毛沢東、最後の女2 」を手にしてご覧。毛沢東が想像を絶する好色家で、とてものこと、清楚なる梅に自分になぞらえることなど出来ぬ、とてつもなく悪逆の人間たることがわかる。
序でに毛沢東を支えた秘密警察の長の人生を描いた「龍のかぎ爪康生(上下)3 」(J・バイロン、R・パック共著/岩波現代文庫)を読んでごらん。非人間的な機構がどれ程、恐ろしい人非人を生むかがよくわかる。序でに...従来、名著とされてきた武田泰淳の「司馬遷」について、「私は何の学術的価値も認めない〜」としたのは、「史記、再読」(中央公論)の著者・加地伸行だった。私もそう思う。先に挙げた武田の「毛沢東〜共々、名著扱いをするのは止めたほうがいい。
4月3日、残業代も払わず24時間働かせることができる「残業代ゼロ」制度を導入する法案が国会に提出された。世の中にはお上の言うことには全く疑問を感じない、素朴なのか、単なる能足りんなのか、わからぬ人がいて、早速「生産性が高まる」なぞとの、私には理解出来ぬコメントを出すのもいる。このタダ働き奨励の法案を聞いて思い出した歌がある。
それは「月月火水木金金」。国民学校生の私も昔、結構歌ったが、これは大正11年、ワシントン会議で軍縮条約が結ばれ、軍艦所有が米5,英5.日3の比率となった時、日本海軍が量より質だとて、土曜日・日曜日返上の訓練を始めたことから生まれた言葉の由で、それを歌った歌の題名が、すなわち「月月火水木金金」。高橋俊策作詞、江口夜詩作曲の1940年作。「朝だ夜明けだ、潮の息吹〜」と始まって「〜海の男の艦隊勤務、月月火水木金金」で終わる。然るに戦争最中の悪ガキはこれを改作して、「けつけつかいかいノミ(蚤)くった」と歌った。
因みに私は5人兄弟の中でノミを捕まえるのが一番上手かった。まあとにかく、そうやって頑張って戦いに敗れて、ようやく週休2日となって、生活を楽しもうと思ったのもつかの間、またしても24時間働けとは!!だと私は呆れるけどね。序でにもうひとつ。アメリカにくっついて、世界中どこでもアメリカが戦争をおっ始めたところで、戦争を助けるetc.のいわゆる”戦争立法”、これで又思い出した話ががある。
薮内喜一郎作詩,古関裕而作曲、1937年「露営の歌」で「勝って来るぞと勇ましく」と始まるご存知の歌。これを庶民は本音で、どう変えたか。「負けて来るぞと勇ましく、誓って国をでたからは〜退却ラッパ聞くたびにどんどん逃げ出す勇ましさ」。
とまあ、こんな歌を集めたCDブックス「昨日生まれたブタの子がー戦争中の子どものうたー」を出した笠木 透が昨年末亡くなった。このCDブック、No,8「平和の暦」まで出ているそうだが、「文化で闘おう」との言葉で歌ってきたこのフォークシンガーがいなくなったのは残念だ。それにしても「戦争」に行きたい人間っているのだろうか。
書評欄で知ったイアン・ブルマの「廃墟の零年19544 」(白水社)を注文しようかなと思っているところだ。評者は中島京子で、この人映画「ちいさなおうち」の原作者。中島のまとめによると、「廃墟の〜」は世界中が「廃墟」となったような1945年(即ち日本敗戦の年)に各地で何が起こったのかを、人々が遺した記述を元に綴っていくもの....で、例えばの箇所が私の目を引いた。「たとえばフランスでは、1945年5月以降、約4,000人の男女が暴力的な粛清で亡くなったという。興味深いのは”ドイツ野郎の女”を一番熱心に迫害したのは通常、戦争中に勇敢な行動で際立っていた人々ではなかった」ことだ。「報復とは、危ない時には抵抗しなかったという罪の意識を隠蔽する一つの手段であある」。
本当にそうだと同感しながら、2枚の写真と1冊の本を思い出す。写真①は、ドイツ野郎と通じて生まれた赤ん坊を抱いた若い女が、頭を丸坊主刈りにされ、住民たちに小突きまわされながら追い立てられる図。②は戦中,ナチ協力の密告女を告発する女の図。今①がみつからないので②を出しておく。本の方はヘルガ・シューベルトの「女ユダたちードイツナチ時代の密告10の実話ー5 」。他者をおとしいれることに伴う快感を味わった女たちはどうなったか?。時代がきなくさいだけに他山の石とすべき内容のほんであるぞ。
ヨルダン西岸をイスラエルが占領した1967年以降、80万本のオリーブがチエンソーで切り倒され、パレスチナ農民が困り果てている由。平和のシンボルとして国際連合の旗にも使われているこのオリーヴ....(=ユダヤ人)こんな馬鹿なことを続けていると,又矢張りユダヤ人てのは...てな具合に嫌われはしないか、他人事ながら気にかかる。オリーブ油で気をしずめてもらいたい。