第422回(ひまわりno238)おなら考.加藤拓川.奥本大三郎の思い出etc

2021.5.8寄稿

4歳の孫(女)がおならをして、澄ました顔で「お尻の言葉よ」と言った、と言うお祖母さんの嬉しげな投書が出ている。こましゃくれた孫だなあと感心しながら、いつぞや読んだ女子高生の投書を思い出した。

友達4人でバスに乗っていたら、真向かいに乗っていたお爺さんが大きなおならをしたので、皆して笑ったら、お爺さんが立ってきて「屁ごときでケタケタ笑うもんじゃない」と怒られた、損した、と言ったものだった。「損した」が笑わせるね。

私が高2のとき千歳町にあった本屋「日進堂」で立ち読みをしていると、20歳位の見たことがないような美人が入って来て、私の隣で同じく立ち読みを始めた。ところがややして彼女は音ナシのおならを一発かました。見たことがないような美人から、これ又かいだ事のないようなおならを食らわせられて、かいだ事はないが、これはスカンク並みだと思いつつ、私はいきなり立ち去ったら彼女が傷つくと思い漸しガマンした後、静かにその場を離れたが、彼女には彼女なりのガマン出来ぬ理由があったに違いない。この時のスカンクの美女、今いずこ??

今スカンク並みと書いたが、これは玉ねぎの腐ったような匂いで化学的には「ブチメルカプタン」と言う硫化物でこれにやられると,猟犬も1ヶ月は鼻がきかなくなると言う。しかもこれは屁ではなくて、肛門の両方にある臭腺(しゅうせん)から分泌される臭液だそうな。日本にスカンクはいないので、それに匹敵するのはイタチだが……..と言った「屁」の話が尽きることなくでてくるのは佐藤清彦の「おなら考1 」だ。中で「おなら神」を祀る「奈良須神社」なるものが岡山にあるとあって、それが本当にあるのか、ないのかと言う処に加藤拓川なる人物が登場する。この人正岡子規の母の弟で子規には外叔父.拓川(1859−1923)はベルギー大使を務めた後、松山市長になった人で反帝国主義の立場から在郷軍人会への補助金廃止を訴えた傑物だ。

拓川については成澤栄寿の非常に優れた「加藤拓川2 」(高文研,2012刊/¥3000+税)がある。これ、私の「本の話」の愛読者(と言ってくれる)松山の栗原恵美子さんが送ってくれたもの。ありがたい。皆さんも是非読まれんことを。かの高浜虚子は人前で平然と放屁して、ケロッとしていたそうで、人によってはこれを豪放とする人がいるが、私は嫌いだ。それはともかく、コロナ止まらぬ今になっても「屁のつっぱりにもならぬ」事ばかりもらしている菅のインキな面を見ている暇があるなら、こんな時こそ「屁の本」を読むべし。序でにロミ&ジャン・フェクサスの「おなら大全3 」(作品社.1997刊,¥3600+税)も出しておく。これについては2002年1月8日付「本の話」第332回で触れておいた「本の話・続」に所収(残部あり、)読まれたし。


ベランダの前に敷きつめたレンガの間から、スズランが次々と芽生えてきて花を開き始めた。もうすこし楽な所に芽生えりゃいいものを、と思いながら地下のどこをどうしてスキマをを見つけるのかと感心している。ところでこのスズランについて室蘭起源の変わった話がある。秦(しん)寛博(ともひろ)著「花の神話4 」の132Pに「美しき娘の涙」とあるのがそれ。「室蘭がまだ淋しいい魚村だったころ」と書き出されるその一文をかいつまんで言うと、或る日、浜辺に一隻の難破船が流れ着いた。立派な船だが大分傷んでいる、中にぐったりと死んだように横たわっていたのは”目の覚めるような美しい娘”。どこか気品を感じさせるその娘は、実は遠くの”長”の娘だが不義を働いた都て追われた女だった。村の若者たちはこの美女をねんごろに扱う。面白からざるのはもちろん村の娘たち。


今までチヤホヤしてくれていた男共が誰も振り向いてもくれぬ。憎きはあの娘、、、、となって遂に村娘達は美女を殺して死体を川に捨てる。殺される娘はこの時涙を流したが、その涙から咲いたのがスズランでその花は川原を埋めつくした。以上だが、2013年に出た時直ぐに買って読む迄、私はこの話聞いた事がなかった。室蘭の浜辺と言ってもイタンキ浜か、追直しの浜か、ポンモイの浜か、電信浜か、祝津の浜か、亀田の浜か,増市の浜かが判然とせぬ。それに室蘭には川と言えば知利別川が一つあるだけだが、これはまま細流の部類で 人が浮かぶほどの川ではない。つまりこの話あまり室蘭的ではない。もう一つ分からぬのは、巻末にズラリと挙げられた参考文献の中どれにこの話が出ていたのかが分からない。とは言え、本の中に「室蘭」が出てくるのはそう滅多にあるものではないから感謝の意を込めて此処に紹介しておく。因みに5月1日は「スズランの日」又アイヌ語のスズランは「セタプクサ=seta-pukusa](萱野茂のアイヌ語辞典、三省堂、萱野は二風谷出身の元国会議員、40年余りの昔、私は萱野の家に行って話し込み時間が経ってしまって日高線の駅まで送ってもらったことがある。

「朝日」に14回連載された平野レミの話を面白く読んだ。面白いは面白かったが、話柄(わへい=話す事柄、話題)が、10年も前に切り抜いておいたものと殆ど同じ、言葉使いもまるで変わらずで、多彩な人生であろうこの人は案外人生経験は単調だったのかもしれないな、と思ったりもした。失礼で生意気なことを言ったが、それは勘弁してもらうことにして、10年も前の切り抜きを挟んでおいたレミの父親平野威馬雄の本を出そう。G.V.ルグロ,平野威馬雄訳「ファーブルの生涯5 」ちくま文庫がそれ。解説した奥本大三郎はファーブルについての本は昔も今も続々出ているが「いずれも、晩年のファーブルに親しく接したルグロ博士のこの著作をこえることは出来ない」と評価する。奥野は1999年に「博物学の巨人、アンリ・ファーブル6 」(集英社新書)を出して、中で昔の「叢文閣」版の「昆虫記」に触れて,第7.8巻の訳者「木下半治」第10巻の訳者「土井逸雄」については未詳と書いていた。

「木下半治」は私がこうの時に読んだ岩波文庫のジョルジュ・ソレルの「暴力論」の訳者で東大卒の法学博士、東京教育大の教授だった人。又土井逸雄は私が大学の2年の時に買った全3巻の「シャルル・ルイ・フィリップ」という今は余り読まれない作家の2巻目を担当していた訳者。それで、私はこの事を奥本に知らせたら、すぐに礼状が来た。その後2004年京都大学から、上田哲行の全504頁の「トンボと自然観」が出たので読んでいくと「昆虫記」について書かれた所に木下、土井については「山下敏明氏の文章それを知らせてくれた京都大学学術出版の高垣重和さんに感謝」と出ていて私はびっくりした。「読んでくれている人もいるんだ」と言う事で、私のささやかな読書歴の中で嬉しく、楽しい思い出となっている。

帯広の輓馬競争でへたり込んだ馬の顔を蹴り上げた騎手が非難されている。当たり前だ。遠藤ケイの、諸国の職人の生態を描き尽くした「男の民俗学大全7 」に「輓馬の池」の異名のある騎手の事が出ている。この男の馬への愛情溢れる一生を描いた「輓馬烈伝」を帯広の関係者一同コピーして熟読玩味すべし。馬もたまにはいじめる騎手を後ろ足で蹴ってやるべし。!!

  1. 佐藤清彦.おなら考.文芸文庫(1998) []
  2. 成澤栄寿. 加藤拓川.高文研(2012) []
  3. ロミ&ジャン・フェクサス.おなら大全.作品社(1997) []
  4. 秦寛博.花の神話.新紀元社(2013) []
  5. G.V.ルグロ,平野威馬雄訳.ファーブルの生涯.ちくま文庫(1988) []
  6. 奥本大三郎.博物学の巨人、アンリ・ファーブル.集英社新書(1999) []
  7. 遠藤ケイ.男の民俗学大全.ヤマケイ文庫(2021) []

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