`94.11.17寄稿
私は読む本は全部自分で買う主義ですが、かと言って貸してくれるのを拒(こば)む訳ではありません。P.リードの「生存者」(平凡社今は新潮文庫)もそうして読んだのですが、あれは何年前だったろうか。貸してくれた千香子がもう二児の母となり、既に家も建てましたから、二昔も前に違いありません。「生存者1 」は1972年に、ラグビーチームを乗せたウルグアイ空軍の飛行機が、アンデス山中に墜落し、乗員45人中16人が助かったものの、実はこの生存者が仲間の死体を食べることで、70日間生き延びたと言う事件を扱ったノンフィクションです。
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飢えに苦し者はついに仲間の死体に手をつけますが、それでいながら、計機に体をはさまれて、痛みの余りに自死しようとする副パイロットにピストルを渡しません。
カトリック信者に取っては、自殺は罪だからです。では、人間を食べるのは罪ではないのか?罪ではないのです。「キリストの肉と血を思えば良い。神が僕らに与えて下さった食料なんだよ。神はぼくらに生きよ思(おぼ)し召していらっしゃるんだ」と言うのが理屈です。そして、かくして生き延びた者たちを、モンテヴィデオ大司教も「道徳的には私は全く問題ないと思います。生存がかかっていたのですから....と弁護します。「生存者」を読んだあと私はこの事件を扱った映画も見ました。山を下った青年たちのインタビュー会場への意気揚々(いきようよう)たる(?とみえた)登場ぶりとそれを迎える人達の熱狂ぶりが、私には実に異様なものに思えました。
まあ、我々流に言うならば、「餓鬼道」(がきどう)におちたとも言うべき彼らの非道の行為を容認するキリスト教の理屈は「何て調子がいいんだろう」と思ったことです。
話は変わりますが、私のいる「室蘭工業大学」からバス停で3つ.4つ行った所に「文化女子大学室蘭短期大学」があります。1980年、新設予定だったこの大学の文芸科の先生に内定していた1人の男が、大学側の希望で。博士課程を修了すべく、「パリ第9大学東洋語学校日本学科」に戻りましたが、結局この就職話は、ダメになりました。
と言うのも。この男は1981年6月11日に、下宿に招いた同級生のオランダ人留学生、ルネ・ハルラヴェルとをライフルで射殺し、全裸にして屍姦の上、解体し、臀部、乳房,大腿を切り取ってフライパンで焼いて食べてしまったのです。これでは就職どころの騒ぎではない。この事件については安田雅企の詳細なレポートがあります。「パリの留学生人肉食事件2 」
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さて,ブライアン・マリナーはその著「カニバリズム3 」の序文で「〜知能指数が天才レベルに近い1人の日本人学生が留学先のパリで,アパートにオランダ人ガールフレンドを夕食に誘った。彼女は自分がその夜のメインディッシュであるとは思いもしなかった。〜これは愛情をそそぐ対象を何もかも自分のものにしたいと言う欲望のもっとも極端な例といえるであろう」と書きました。
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片やキリストに許されて食い,片や愛情故に食う。W・アレンズは「人食いの神話4 」で「食人」に疑問を呈し,結論として,人間の営みのなかには「食人」はなかったとしましたが、ブライアン・マリナーは,豊富(と言うのも変ですが)な「食人」の例を並べて,アレンズを否定します。
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如何なる理由で,或いはいかなる理由をつけて人は人を食らうか・・・・を案ずる前に、この気持ちがよいとは言えないけれど面白い(と言っては誤解をまねくか?)マリナーの本で,人を食う人間がいると言う事実に目を向けることが先のような気がします。