`93.3.17寄稿
「あるひわたしたちがばんごはんをたべていると。〜」と、女の子が語り出します.何でも、片方の目がつぶれた、だけどとっても立派な「猫」が入って来た....と言うのです。女の子のお父さんは、この猫に「タンゲくん」という名前をつけたそうです。この猫は、一体いずくより来たり、いずこへ行かんとするのか???いやー、面白い!!実にいいので、まわりの女子学生に見せました.すると皆、異口同音(=口を揃えて同じ事をいう)に「ヒャー、可愛い〜」の連発です.最も、今どきの大学生諸君は、手持ちの言葉の数が足りないので、時と場合を問わず、何に対しても「異口同音」になるのです....それはさておき...「タンゲくん1 」
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「どうだい、いいだろう」「うーん、いい〜」「本当にいいな、やっぱり、姓は丹下、名は左膳だ」と私が調子に乗ると、キョトンとした彼女らは、異口同音に「それって、何ですか」と来ました。「何ですかって、丹下左膳をしらないの?」「知りません。人名ですか?地名ですか?」そして「とどめ」の一刺「どうして、タンゲくんとつけたんだろう?」
いやはや、彼女らは本当に知らないのです.驚いた私は、当るを幸い薙ぎ倒しーではないー行き会う学生に、片っ端から聞いてみました。だめ!!男女を問わず皆知らないのです。
丹下左膳を知らぬから、彼らは理の当然のことに名優、大河内伝次郎(おおこうちでんじろう)をも知りません。ヤヤヤ、危うし、丹下左膳!!
「丹下左膳」は「右目はつぶれ、その眉から頰にかけて一筋の深い刀痕」の片目で、おまけに、立ち会いの際に相手から「右手はどうした、両手をだせ」と言われると。「出したい右手はござらぬのだ」と答えるように、片腕です。そして、着ている白の紋付には「しゃれこうべ」(=どくろ)が染抜いてあるというのだから、まことに不気味です。この妖気漂う怪剣客を生み出した作家は林不忘(ふぼう=本名、長谷川海太郎)で、書かれたのは昭和2年から8年.映画で左膳に扮したのが名優にして、怪優の、塩辛声でなった、大河内伝次郎と言う訳です。
長谷川海太郎は、あと2つ「谷譲次(じょうじ)」と「牧逸馬(いつま)」の筆名を使って前者では在米日本人、いわゆる「めりけんじゃっぷ」の世界を、後者では家庭恋愛小説を書きまくりました。その作品の量たるや、「一人三人全集」ぜん16巻となるほどのものです。
この作家の全容をとらえるにいいのが、室謙二の「踊る地平線−めりけんじゃっぷ―長谷川海太郎伝ー2 」です。彼の数多い作品を読む前に、いい手引きとなるでしょう。「丹下左膳3 」
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「谷譲次」「牧逸馬」の作品は、社会思想社の「原題教養文庫」に多数入ってます。
さて、海太郎には函館生まれの3人の弟がいて、これがいずれも傑物(けつぶつ=すぐれた人物)です。
先ずは二男で画家の「潾二郎(りんじろう)この画家の「猫」を宮城県立美術館で見た時の気持ちの良さと言ったら忘れられません。然しこの猫「タンゲくん」と違って、両目はあるのですが、実は右の「ひげ」がありません。「ひげ」を仕上げぬうちに、モデルの「猫」が死んでしまったからです。こうして、あくまでも実物を眼にせぬうちは、何ものをも描こうとしなかったこの寡作(少ししか作らない)な画家は、当然世に知られることが少なかったのですが、小柳玲子の編集でいい画集が出ました。静寂、清冽、誠実、透明と言った言葉ばかりが連想されて来る作品が満載で、見ていると心が鎮まります。「長谷川潾二郎4 」
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次は、三男のロシア文学者、濬(しゅん)少年の頃、ハリストス正教会の坊さんからロシア語を学んだ濬は、中学を終えると、ペトロパウロスク(カムチャッカ)に行き、イクラ作りの労働をし、冬には函館に戻ると言う生活を4年したあと、昭和4年、大阪外語大学のロシア語科に入学します。卒業後は満州で働きながら旺盛な文学活動を展開し、翻訳も手がけます。その、代表的訳業が、亡命ロシア作家バイコフ、猛虎を主人公にした名作「偉大なる王(わん)5 」です。
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この無類に面白い動物文学は、今は残念ながらありません。然し、戦前になされたこの長谷川訳を表紙がぼろぼろになる程愛読したロシア語学生がいました。彼は後年、自ら訳したものをワープロ製の本にして,孫や甥姪に「お年玉』として贈ります。訳したのは今村龍夫。ほほ笑ましくも、幸せな「産物」が,今は中央公論社の「中公文庫」に入ってます。我々本好きにとっても、素晴らしい贈り物です。ついでに、ロシアのタイガーの秘めたる魅力の種々相を描いた「樹海に生きる6 」も紹介しておきましょう。[tmkm-amazon]4122017300[/tmkm-amazon]
最後の四男が、作家の長谷川四郎です。黒沢明が映画にしたアルセーニエフ原作「デルス・ウザーラ」の翻訳者です。私はこの人の作品が好きで、ほぼ全作品を愛蔵していますが、その作品におとらず彼の手になる翻訳物も大事なのです。何しろ、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語をこなす人です...いろいろなものを訳していますが、私が好きなのは、フランスのジョルジュ・ヂュアメルの「パスキエ家の記録」ぜん10巻。昭和25年刊。
古本でこれを買うためにカメラを質に入れたのも今ではなつかしやです。
万事落ち着いた目を持ったこの人の作品の、粋を集めたいい本が出ました。長兄,海太郎を偲んだ「随想丹下左膳」も入ってます。「丹下左膳」について四郎曰く「まことに名作の命は長いというべきだろう」
「長谷川四郎7 」
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さて、異口同音の新人類の群れる中、左膳は無事に活路を開いて、いきのびる事ができるかしらん。
つけたし...左膳についての説明を聞いた女子学生の1人が、私に問うには、「それじゃ左膳と銭形平次とではどっちが強いですか?」
長谷川濬は甘粕大尉の最後を看取った人でもあるんですよね。
小谷様
遅くなりましたが山下さんからの回答が来ましたのでごらんください。小谷様のご指摘の通りで間違いございませんと書かれております。
山下さんからの返信