10年ほど前札幌のそば屋でのことです。注文した酒とそばを持って来た30代と覚しき女は、えらく肉置(ししおき=肉付)の豊かな女で、今の言葉で言うならば、巨乳の持ち主でしたが,ユニフォームのTシャツの生地をつきあげる感じの、そのたわわに実った胸の、二つの小山の先端に、「S」「M」の二文字が踊っています。
「ハテ? SとM .こりゃ何だ???−エッ!!サド.マゾか!するてえとこの店はムチうたれながらそば食べて、合間々々に、”ヒェッー”とか”グッー”とか言わなくちゃならんのか??」と、一瞬恐怖にかられ、かつ食い気をなくしましたが、気を取り直して聞いてみると、何と、店の名が「そば紋」で、つまりはその頭文字でS.Mなのでした。
そば屋にローマ字の頭文字はないだろう、と呆れましたが、その後、このユニフォームが姿を消したところをみると、客にも店員にも不評だったのかも知れません。
「S」と「M」と言えば、前にとある雑誌の人生相談欄でお目にかかったものですが…
「〜倦怠期を乗り切るのには、夫婦生活にも、多少の工夫が必要で、例えば、サド、マゾの要素を取り入れて悪いことではありません。何ならたまに丹那さんに縛ってもらったりするなぞも、一つの方法です、−との先生の忠告にしたがって、私、夫に縛ってもらいました。だけど、どうも満足感がありません。と言いますのは、夫は縛るときにはとても熱心で、おまけに早く、かつうまいのですが、縛り終えると,つくねんとしているだけなのです。どうしたものでしょうか?更なる御教示をお願いいたします。因みに、我が夫は、運送会社で梱包の仕事をしています。〜」
これでは、縛るのは御手の物の筈だ、と納得しながら大いに笑わせられました。さて、縛りと言えば、「伊藤晴雨」なる名を思いうかべます。
昭和43年に、学芸書林から「埋もれた資料でつづる”日本人”の新しい伝記」と銘打った「ドキュメント日本人」(全10巻)と言う非常に個性的なシリーズが出ました。①1
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その6巻目「アウトロウ」に登場したのが伊藤晴雨で、「今昔*談(ぼくのおもいでばなし)」なる自伝を載せています。(注 *は「竹」かんむりに「愚」の漢字。パソコンでフォントがなく、済みません。)
その自伝のコメントは次の如し−「伊藤晴雨(1882−1963)、12の年に彫刻師内藤静宗の内弟子奉公に出され、年季があけて、下絵かきになったのが二十四才。芝居の絵看板を描きその後「毎夕新聞」の演劇記者になって雑誌「歌舞伎」に劇評を連載、坪内逍遥を驚かす。最初のモデル「嘘つきお兼」は竹久夢二のもとに走り、次の佐原キセ女は真っ裸にして雪の竹薮に寝転がせ、「雪責め」のスケッチを仕上げる。後、そのキセ女が臨月になると裸身を「逆さ吊り」にして撮影。〜」
つまりこの人はサド的責め、それも「縛り」の画家として知られた人でしたが、この人は、実はこれだけの人ではなくて…他に新聞記者、挿絵画家、そして江戸風俗考証家の顔を持った多才の人でした。
この人を扱って雑誌「芸術新潮」が昨年4月号で特集をしました。題して「特集、幻の責め絵師、伊藤晴雨−責め苛(さいな)まれる女性を、終生描き続けた伝説の”責め絵師”の全画業!!」
これは仲々いい企画で一見の価値があります。さて、最近、この伊藤晴雨を主人公にした実に面白い小説が出ました。朝日ソノラマ刊「外道の群れ」がそれです。
作者は、嗜虐的(しぎゃくてき=残虐なことを好むこと)官能小説の傑作「花と蛇」や「夕顔婦人」などを書いた団鬼六ですから面白くないはずがありません。②2
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サド、マゾに関係無く、「人間」に興味を持つ方は是非々々お読みあれ!!そして、団が前に書いた「伊藤晴雨物語」も河出文庫に収まっていますから序(ついで)にどうぞ!!団鬼六「伊藤晴雨物語」 河出書房 ’87 ¥440‐
③3
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序と言えば、昨年出た,団のもう一冊の本も紹介しておきましょう。
「SMに市民権を与えたのは私です」というフルッタタイトルの本がそれです。これが又、法外な人間が次から次へと出てくるわ、きてれつな事が次々と起きるわ、で滅法面白い。私はためしに、面白人間の箇所に付箋を(ふせん)をはりながら読んでみましたがたちまち、付箋だらけになった位です。
団鬼六「SMに市民権を与えたのは私です」剄文社 ’95 ¥850‐
④4
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その例を一つ
「〜変り種は私と同じ法学部で四六時,退屈して喫茶店であくびをかわしっこしたり、アルバイトにクラブでドラムをたたいたりしていた高島忠夫が、どういう心境の変化か、突如新東宝のニューフェイスを受けてパスし、上京して3年後にはもう主役級のスターとなって売り出していた。〜」
※ (何故、この箇所を引いたか?……実は私は、大学生時代、若き日の高島忠夫にそっくりだと言われていたのです。呵呵(かか)……お許しを!!)
まだ紙面に余裕があるので、先にあげた晴雨の自伝から、晴雨が第三の女房について語ったところを引きましょう。
「〜幸いにして第三の女房はいたって温良貞淑〜後三年にしてこの女は発狂してしまった。医師の診断によれば梅毒性から発したものだという。〜あとで判ったのであるが、女はもと家庭の事情から、北海道室蘭市の幕西遊廓で娼妓をしていた〜」
この幕西(まくにし)遊廓、私達子供にとっては、室蘭八幡宮の祭礼の時だけ神輿(みこし)をかつぐことによって入ることの出来た街でした。
・団鬼六「外道の群れ−責め絵師伊藤晴雨をめぐる官能絵巻−」朝日ソノラマ ’96¥1500‐
⑤5
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