第121回 河盛好蔵

`97.12.10寄稿

高校2年生の時に、大岡昇平、伊藤整、 河盛好蔵が室蘭に講演に来たことがあります。

最初に登場した河盛は、自分の名は、「かわもりよしぞう」 が本当なのだが、誰も、そう読んでは呉れず、「こうぞう」と読む。挙句の果ては、仲間うちでは、「こうもりこぞう」などと、何やら、義賊めいた呼び方をされる時がある、と述べて、会場を沸(わか)せました。

私は、この河盛の書くものが好きで、この「あんな本、こんな本」の第32回(‘94年4月16日分)でも、とりあげたことがあります。

それは「〜さて、本好きな私にとって、いい人間(ひと)とは、まことに単純ながら、いい本を惜しげなく教えてくれる人です。フランス文学者にして、文芸評論家の河盛好蔵は、無論、本を通じてですが、いい人の中でも最良の一人です。この読巧者(こうしゃ=上手な人)から、私はどんなにか沢山の本を教わり、楽しんできたか知れません。」と前置きして、河盛が内外の作家とその著作について語った、実に楽しい随想集「文学空談1」(文芸春秋社)を紹介したのでした。

[tmkm-amazon]B000JADQC0[/tmkm-amazon]

ところが、日付がはっきりしないのが残念なのですが、この文章を書いたあとに、或る書評紙に、下にのせた文章(切り抜き、コピー)がのりました。

この(恍惚漢)と名乗る人の言い種(ぐさ)は、悪口としても、かなりのものだ、と私には思えますが、当然のことに河盛贔屓(ひいき)の私としてみれば、何もボケ呼ばわりすることはなかろう、と実にムッとしたものでした。

さて、ここで、かくも害悪視され、ボケ老人扱いされた河盛が、本年95才になってから、おどろくなかれ、京都大学から、「文学博士」号を授与されました。

京都大学に提出した論文は、二つあって、一つは、1978年に河出書房新社から上梓(ぼうし=出版)した「パリの憂愁−ボードレールとその時代−2 」です。

これは、正当にも、第6回の「大仏次郎賞」を受けました。当時の選者の一人、英文学者、中野好夫の評言を借りると、「〜ボードレールの生きた時代を徹底的に究明し、結局は詩人の詩魂に迫るとでも言うか。〜見事な労作。〜研究書など四角ばらず、物語として読んでも実に楽しい。」と言うもので、当時読んだ私も、改めて、河盛へのファン度を深めたものでした。

もう一つの論文は、今年の5月に新潮社から出た「藤村のパリ3  」です。

今流に言うなら、姪と不倫を犯し、それを主題とした小説「新生」を書く前に、パリへ脱出した島崎藤村の足跡を追ったものです。芥川龍之介は、この、藤村のパリ行きについて「老獪(ろうかい=経験を積んで悪賢いこと)な奴だ」と評したものでした。

私は、高校2年生の時に、黄色いカバーの新潮社版5巻本で、この「新生」を読んで、少年期特有の一種の潔癖(けっぺき=不潔を嫌う)感から、一時、藤村を嫌いになったことがありましたが、今思えば、我ながらまあ、可愛いものです。

私事は、さておき、河盛は、この2論文=二著で、目出たく「文学博士」となりましたが、先にあげた悪口記事で、宇野千代との対談をからかわれているかに見える、瀬戸内寂聴が、最近、河盛と対談したあと、「95才で頭脳の明晰(めいせき)さ、感受性の豊かさは、三十代の者でも及ばない」と言っています。

悪口を書いた「恍惚漢」氏、これをもって、ナントスル???

因みに、この「藤村のパリ」、箱入り、フランス装で350頁、¥3.200 ・・・いささか高価とも思われますが、既に2刷の由。質がひどすぎる本ばかりが売れている昨今、稀なるも、嬉しい現象と言わねばなりません。

’97.12.10(水)

  1.   河盛好蔵.文学空談.文芸春秋(1965) []
  2. 河盛好蔵.パリの憂愁−ボードレールとその時代.河出書房新社 (1978) []
  3.  河盛好蔵.藤村のパリ.新潮社 (1997) []

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください