`99.3.13寄稿
私は、棟方志功の画も人間もあまり好きではありません。画の方は、輪郭がはっきりせず、ごちゃごちゃという感じの線の処理が大して上手いとは思えないのと、人間味の方となると、・・・・
棟方志功と、稲垣足穂(いながきたるほ)、作家の2人が初めて会った時の話です。器械とヒコーキと天体が好きで、更に「少年嗜好症」のヘキを持つタルホは、よく知られた奇人型の人ですが、この人は、余程の事がなければ、常に裸でいた人で・・・・ そこへ、これも奇人型の志功が現われた。志功は、タルホに抱きついてホっぺたをなめたあと、自分も裸になって座敷の中をグルグルとまわりながら踊り始めた、と言うのです。それを見たタルホもやおら立ち上がって、盆踊りよろしく踊り始めた。志功についていった人が呆れて見ていると、志功が時々タルホをうかがう。タルホは我関せず(?)踊っている、志功は仕方なく踊り続ける、今度はタルホが志功をうかがう。志功は、全然気付かず(?)に踊り続ける・・・・ そして、うかがいつ、うかがいつしている中に、両人共、汗だくになって畳の上にへたりこんだと言うのです。
この話の書き手を今私は思い出せませんが、この話、貴方面白いですか? 私はこの両者の「うかがう」と言う動作が気に食いません。これでは計算上の奇{人/行}です。
「棟方という奴は昆虫のような触覚をもっていて、触覚の先を動かして自分の敵か味方かチャンと見分けしているのだ。体は小さいが顕示欲の強いあの男は人前に出ると、それを満たそうとする心が強く、だから声も高くなる。変わり者でも本能のままふるまうなら素直でいいのだが、効果を計算してスポットライトをあびるから、キザになり、やりきれない。」
これは太宰治の棟方志功評です。
さて、同じ奇人でも、「本能のままふるまい」版画を創ることのみに生きる力をそそいで死んでいった人、谷中安規(たになかやすのり、明治38〜昭和21、1897〜1946)についての本が出ました。
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吉田和正の「かぼちゃと風船画伯1 」です。谷中に「風船画伯」なるあだ名をつけたのは、これも奇人と言われた作家、内田百聞ですが、そのいわれは、この本を読んでくれればわかります。ついでに言うと、私は、この内田もうさん臭い奇人だと思っています。
志功のライバルだった(とは、私は実は思いませんが)安規の人生は吉田の本にまかせるとして、どんな版画を創ったのかは、
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料治(りょうじ)熊太編の「谷中安規版画天国2 」を見て下さい。下にあげたのは、見本のつもりです。
私は、安規の生活振りにはヘキエキしますが、人間も作品も志功よりはずっと好きです。
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古都、京都が第二次大戦でアメリカの空爆にさらされなかったのは「推古彫刻3 」などの著書を持つ、美術学者ラングドン・ウォーナーが、戦火から守るべき日本の文化財を並べた「ウォーナー・リスト」の中に京都が入っていたから─── という話は有名ですが、別に、「歌舞伎」を守ったアメリカ軍人もいました。
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救ったのはかのマッカーサーの副官をつとめた「フォービアン・バワーズ4 」で、救われたのは「歌舞伎」です。
敗戦国日本に対して、占領軍最高司令官マッカーサーは、「〜封建主義に基礎を置く忠誠、仇討ちを扱った歌舞伎劇は現代的世界には相容れない。反逆、殺人、詐欺等が公衆の面前で正当化され、個人的復讐が法律にとって代わることが許される限り、日本国民は現代世界の国際関係を支配する行動の根源を理解することは出来ないであろう。」と言って、歌舞伎を禁止した・・・ しようとした。それを救ったのが、音楽家で日本通のバワーズでした。まことに面白い本です。そのバワーズはマッカーサーについて、「マッカーサーは文化の野蛮人。劇場に入ったことは一度もない。シンフォニー・オーケストラを聴いたことは一度もない。バイブルを除いて一冊も本を読まない。見るのは映画だけ、それも西部劇ばかりだ。」と評しています。
国であれ、道であれ、市であれ、トップに一冊も本を読まぬ野蛮人がいちゃかなわんなぁ。
’99.3.12(金)