`99.10.6寄稿
下図は寛政11年(1799)に、幕府から東蝦夷調査に来た松平忠明の一行に「絵図面師』として参加した谷元旦(げんたん)が描いた下絵を基にして、兄の谷文晁(ぶんちょう)が完成した物で、描かれた山は今の「羊蹄山」(ようていざん)だ。
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谷文晁は渡辺華山などのお師匠さんとして、今に有名な画家だが、この人の「日本名山図会1」がありがたいことに文庫本で出た.タイトルは今風に変えられて「江戸人が登った百名山2」
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私は32歳の頃に、友達3人と登ったが、台風めいた暴風雨におそわれて、死ぬ目に会った。必死になって山小屋へ辿り着いたが、その晩は、外で天幕を張っていた連中が、暴風雨を避けて皆、入り込んだので、体を横たえるなど,もっての他で夜の明けるまで、ひざをかかえたまま、うずくまるような形でいたのだった。夜が明けたとて、雨も風も止まず,帰るしかないと下山したが、登りの道が皆「川」となって...今思い出してもぞっとする。
何でこんな嫌な思いで話をするのかと言うと,先月、羊蹄山の登山ツアーなるものに参加した京都の女性2人が,嵐の中、避難小屋から約2km上の山頂付近で遺体となっていたと言う事故があったからで,,,。
この2人,(64歳と59歳)はウインドブレーカーを着て、風を避けるようにして,岩陰で,凍死していたと言う。私は恐ろしかったと言う記憶しかない羊蹄山ーそれで、昔読んだ,高沢光雄「羊蹄山登山史3」を改めて読み返したところだ。
暗い話はこれ位にして、明るい(と言っても,何が明るいのだと聞かれれば困るが)ポンペイの本に移ろう。誰でも知っているように(と言っても、知らぬ人もいないではないから,,,),,,ポンペイは pompei=イタリアは南部、ナポリから車で30分位の所にある古代都市。最盛期の紀元79年ヴェスヴィオ火山の大噴火で、一瞬の間に(と言うとオーバーだが)埋もれてしまった所。18世紀以来発掘が行われ、今では町の姿が灰の中かから当時のままで現れて、昔の生活様式や、美術工芸を知る絶好の史跡、かつ観光地となっている。
年配の読者なら、この噴火に材をとった、リットンの「ポンペイ最後の日」を思い出すだろうが、私も中学2年生の時に、この小説を読んでポンペイにあこがれた。
そのポンペイの地を踏んだのは20代になってからだが、そのとき左図の「犬に注意」のタイルを土産に買った。ポンペイの市民は家の内外に壁画を描いたり、通路や庭にモザイクで画を描いたりしたが、これは「詩人の家』と称される建物の玄関に作られたものである。
私がこれを買った気持ちは、いずれ、家を持った時に犬を飼って、「猛犬に注意」などとやる代わりに、玄関の床か扉にこれを埋めるなりはめ込むなりして,,,と言う物だったが、家を持たぬうちにこわしてしまって、今や破片だけが残っている。
さて、ポンペイの庭々には先述したように、様々な壁画が描かれたのだが、中でも世に有名なのは「愛欲」を題材としたものだ。,,,とは知っていても.今迄日本では、それをまとめて見ることは出来なんだ。
それが今度「絵」と「落書き」を一緒にした、仲々に興味深い本が出た。題して「ポンペイ.エロチカ4 」
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世は移り、人は生き死にすれど、変わらぬは色恋の世界,,,で、”真っ白な胸のフォウルトーナとやった/六度やったことをここに記す。,,なんて、おったまげた元気印の落書きも出ているぞ.上品振った「いいふりこき」、(=見栄っ張りや、かっこうつけ屋〈方言〉)には、すすめないぞ!!
最後は永井荷風の名作「濹東綺譚5 」についての安岡の実に泌々とした読み解き.6 荷風はいいなあ
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