`00.9.29寄稿
東京は渋谷の駅を降りて、青山学院大学へ向かう坂を「宮益坂(みやますざか)」と言うが、登りきって一寸行った辺りに「中村書店」という、詩の本を集めている本屋がある。(今もあると思うが)
大学一年の時、この店を覗いて私は三冊の本を買った。一冊は詩集を目玉とする店の店主らしいおすすめで、ロートレアモンの「マルドールの歌」。あとの二冊は一寸高かったが限定本で、一つはデュム・ド・アポロ原作、帆神熙訳「太陰(イシュタール)の娘、サロメ」。もう一つはジュリアン・ビザロウ原作、同じ訳者で「マドリッドの男地獄」。この二冊とも、風俗文献社発行の豪華美本だった。これは私の選択。
店主がすすめてくれた「マルドロールの歌」については、①1 にフランス文学者で、昨年に慶応大学の塾長をつとめた佐藤朔の思い出話が載っている。
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「〜青柳瑞穂君は文人気質で、書画・骨董を愛好し、さらに酒をいたく愛し、同好の士と共に飲み、且つ、語る集いの世話役をつとめていた。〜昭和27年になってロ−トレアモンの「マルド−ルの歌」を突如として翻訳したのには驚かされた。〜青柳君が何故ロートレアモンのような激烈な詩人を翻訳する気になったのか聞かずじまいだった。」
私が買ったのは、駒井哲郎のエッチング(銅版画)五枚入りで、木馬社から出た限定本だ。「こまいてつろう」(1920〜76)は元東京芸術大学教授で、ルガノ国際版画展入賞などの銅版画家。ロートレアモンは1870年に24才で謎の死を遂げたフランスの詩人。「マルド−ルの歌」で現在入手可能なのは次の三点。
イ)マルドロオルの歌(青柳瑞穂 訳/講談社文芸文庫/¥854)
ロ)マルドロールの歌(栗田勇 訳/角川文庫クラシックス/¥580)
ハ)マルドロールの歌(前川嘉男 訳/集英社文庫/¥514)
ちなみに栗田は、私が大学でフランス語を習った人。前川は青柳の弟子である。
青柳瑞穂(1899〜1971)と言っても、今の人は知るまいが、私のフランス文学の書棚には青柳の翻訳したものが幾冊も並んでいる。例えば
アンリ・トロワイヤ/全四巻
ジュール・ロマン/フシケ三部作
M・Du・ガール/ジャン・ババロアの生涯
J・グラック/アルゴオルの城
P・ガスカール/種子
J・J・ルソー/孤独な散歩者の無想 などなど。
中でも私の好きなのは、ラクルテルの「反逆児」だ。
と言う訳で、青柳は慶応の仏語の講師をつとめたフランス文学者なのだが、もう一つ大事な顔があって、それは「古美術鑑定家」という顔だ。
なにしろ昭和12年、青梅街道の古道具屋で目をつけた肖像画が、ナントナント、かの光琳が描く所の唯一の肖像画で、モデルは「藤原信盈(のぶみつ)」。これ即ち京都の銀貨鋳造人の中村内蔵助なる大富豪。この画は目下、重要文化財。
更に昭和14年には、浜名湖の近くの田舎で、見つけた壺が平安時代の物と分かり・・・と言った具合で、これらの発見にまつわる話を書いて「読売文学評論賞」を受けたのが②2 だ。
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そして、この文学においても美術においても、目利きだった男について語った面白い本が③と④。③3 は 孫で実に辛口。
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④4 は甥で、穏やかで、懐かし気。
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さて、フランス文学の中で青柳が最初に好んだのは、アンリ・ド・レニエで、レニエを青柳に教えたのは野尻清彦、つまり大仏次郎らしい。
アンリ・ド・レニエ(1864〜1936)はフランスの詩人で、我が国にも「深夜の結婚」「燃えあがる青春」などが紹介されているが、青柳の訳としては⑤ の「水都幻談5 」(平凡社ライブラリー48/¥777)が入手可能だ。
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レニエの作品は、鴎外の手によって紹介されていたが、レニエの作品を日本の文学青年達に広げるにあたって、大きな影響を持ったのは永井荷風で、荷風は。レニエの「生きている遺伝」を殊の他好んだ。の第一章は、「青柳瑞穂は、つとに荷風やレニエの関係に言及した文学者の一人である」として、先述の「水都幻談」の訳を引きながら荷風vsレニエを論じた「原風景としての故郷」は、いい論文だ。
間もなく「読書週間」だが、レニエにしても、荷風にしても、青柳の翻訳にしても、もう少し読まれてしかるべきだなあ。
「トンデモ本」ばかり読まれるのでは「日本人=脳軟化症」てなことにならないか、しらん。