第183回 「sexしちゃった!」で人を愛し、この世を愛そう! 

`01.8月寄稿

或る時、ナントカ婦人大会で、“これからの人生”てな内容で2時間の講演を頼まれた。つまり、老年に差しかかり、夫婦健在なのもいれば、既に伴侶を失って、と言うのもいる、女ばかりの集会で(婦人大会だもんな)...私は思う所を飾りなく述べ、最後にヴィヴィアン・リーの話をした。ヴィヴィアン・リー!!、そう、「風と共に去りぬ」や「哀愁」で世界の男共ばかりでなく、女達の心を“とりこ”にした天下の美女!!。イギリス演劇界の至宝・シェークスピア俳優のローレンス・オリヴィエと共に、“おしどり夫婦”と言われた美女!!...もっともオリヴィエは晩年、若い女優に惚れて、つまりヴィヴィアンは捨てられた。

(なお、「哀愁」は9月の図書館シアターで上映するぞ!。ハンカチ持って見においで!!)このヴィヴィアンが年をとり養老院に入って後、ボケて人前はばかることなく、「sexしたい」と叫んで、...と言う無惨な話を例にして、私は「性は」老年になっても無視出来ぬ大事なものだ...と心すべし、と締めくくった。もっともヴィヴィアンの使った言葉はいわゆる4文字言葉で、sexと言うような生やさしい言葉ではなかったが、私の言わんとした事は、人間の宿命と言うべき、恐ろしい程の「孤独」の寂しさにどう向き合うか...と言うものだったのだが...講演後、私は1人のオバサンから怒られた。「あんな淫らな話をして」と言うのである。

オバサンが言うには、「私は6人(だったか?)の子を産んだが、閨(ねや)の中だって主人に向かってあんな汚い淫らな言葉を使ったことはない」と。

閨とは寝屋で、つまり寝室だが、主人と言い、ネヤと言い、古風典雅を通り超して随分と上品ぶった言い方よ、と私は思ったが、然し私にとっては、この清らかオバサンが、その閨とやらで、うめこうが、わめこうが、どこぞに行こうが、来ようが、知ったこっちゃないのであって...、つまり問題はそんなことではない。

話は変わるが、或女性週刊誌の投書。妊娠中の若妻さんからのもので...、「この頃のガキったら!!、近所の小学6年生の男の子が、自転車ですれ違い様、私の大きなお腹をみて、オッ、オバチャン、sexしちゃったね!、だって。もう全く!!、普段は可愛い子なんだけど!」

これはだけどいい話で、若いのも年取ったのも、偉いのも偉くないのも、sexは、“おっ、sexしちゃったね”なのであって、つまりはsexに淫らも上品もないのである。いわゆる「色ボケ」になった往年の美女ヴィヴィアンの想像絶する業(ごう)のような、触れ合いを求める叫びがどうして淫らだろうか。

どうしてこのオバサンは、この悲しみ極まる話に、せめてものこと「哀憐=あいれん=悲しみ哀れむ心」を持てぬだろう???。子を生むsexばかりが正しいsexでもあるまいが。ところで、世に「かまとと」なる言葉がある。「かまとと」を知らぬと言う程「かまとと」ぶる人はおらぬだろうけど、説明すると「このかまぼこは、魚(とと)か?...と聞くことから...分かっているくせに分からぬふりをすること。なにも知らないような顔をして上品ぶること。又は、おぼこらしくふるまうこと。又、その人」(広辞苑)となる。

東大社会学の教授・上野千鶴子は、民俗学者・赤松啓介相手の座談会の中で、○○○○を連発しているし、作家の瀬戸内晴美(寂聴)も、それ以上に猛烈だが、この少なくとも6度は「オッ、sexしちゃったね」のオバサンは、この人達にも、何と淫らなと噛みつくのだろうか。因みに上野は室蘭で、瀬戸内は伊達で講演して行ったが!!!、オバサン、文句つけに行ったかしらん??

英国のヴィクトリア朝時代は、何故か全国民上品になって、女が裸足を男にみせるなぞもっての他...それが行き過ぎて...テーブルの脚やら椅子の脚やらまで、脚の付け根の□(なに)を連想させるからいけぬとて、全部カバーをする程だった。然し欲情する奴は、何を見たって欲情する訳で、防ぎようがない。

まあ6人の子供を生む行為には淫らを感じなかったこのオバサンも、一種の「かまととと」か、若しくは北海道弁の「イイフリコキのシラミタカリ」なんだろうな。もっとも「かまととは」は静かで無口なもんだが、「自分を正し」として他に噛みつくこのオバサン形は、「トト」は「とと」でも、あの鯨を襲うおっそろしい「シャチ」で、即ち「かましゃち」ではなかろうか!!。イヤ、シャチは「イルカ」の仲間だから「とと」とは違うか?

では「かまいたち」か、いやこれは生物じゃないもんな。まあ、清く正しくおっかねえ「かましゃち」は遠ざけるとして...。

目下,大島渚の「愛のコリーダ」が24年振りに上映中だ。説明の必要はなかろうが、「阿部定」が主人公の映画。無修正版だと女友達が喜んでいたけど、そうではなくて、修正個所がいくらか少なくなったものだ。只、劇中、前にはカットされた「おちんちん」なる台詞が今度は復活した。

「かましゃち」また淫らな言葉だと...いきり立つかもな。しかし定の相手吉蔵本人も切られ、台詞もきられじゃ「おちんちん」も立つ瀬がないな。藤女子大の種田和歌子なる教授も、「愛人のおちんちんを切り取った阿部定から、目が離せなくなっている」と淫らなことを語っている由、「かましゃち」さん、どうする??。と言う訳で4冊紹介する。松島利行著「日活ロマンポルノ全史1 」(講談社/2001/¥2,800)は権威に弱そうな「かましゃち」に対してあらかじめ書いておくのだが、朝日、毎日2大紙の書評で絶賛されてるぞ。

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大島渚「愛のコリーダ2 」(三一書房/1976/¥2,000)はワセツ裁判にかけられものの無罪になった「シナリオ本」

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『愛のコリーダ』起訴にに抗議する会編「猥褻の研究3 」(三一書房1977年刊/絶版)は、大島の弁護に立った人達....懐かしや中山千夏など...の本。

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桑原稲敏著「切られた猥褻-映倫カット史-4 」(読売新聞社/1993刊・絶版)は通読には面白くないが、資料集としては良い本。

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去年(いや今年か)、アカデミー女優賞を取ったジュリア・ロバーツも「エリン・ブロンコビッチ」で「Fuck you」を連発しつつ人間愛でガンバッテいる。淫らと目くじら立てるよりも、人とこの世を愛する方が“マシ”じゃなかろうか。

今頃「かましゃち」「ファックション」してるかな。皆、みんな、やさしくなろう!!。

おっと、危うく書き忘れるところだった。私に言わせると阿部定を扱った映画の傑作(イヤ、日本映画の傑作として十指に入る)と思うのは、宮下順子/江角英明の「実録・阿部定」(日活・1975作/田中登監督)だ。「愛のコリーダ」の及ぶところではない。



  1. 松島利行.日活ロマンポルノ全史.講談社(2001) []
  2. 大島渚.愛のコリーダ.三一書房(1976) []
  3. 『愛のコリーダ』起訴にに抗議する会編.猥褻の 研究.三一書房(1977) []
  4. 桑原稲敏切られた猥褻-映倫カット史.読売新聞社(1993) []

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