第184回 柳宗悦と民芸の旅

`01.6.29寄稿

知り合いの夫婦が別れる、別れないで、やり合っている.相談されたので聞くと,事の顛末(てんまつ=いきさつ)は次の如し。亭主の方は、オートバイ気狂いで、妻君にいわせると、あろうことか,,,部品の分解やら何やらを全て,風呂場でやると言う.洗い場が油やら、ボロ切れやらでベトツイテいやだと言う.聞いていて、私もかなわんな,,,と思う。妻君の方は「お茶」の免状をもっていて食器なぞも、凝りたい方。そこで色々選んで買ってくる。これが亭主には無駄使いに見えて、ガマンがならぬ。亭主のせりふを使うと、「凝る必要はない。食えりゃ何だっていい」となる私の答えは,,,と言うより、私ならこうする。つまり、亭主には風呂場を使わせて,,,早い話が、整備工場にしておかせ、自分は銭湯にいく。して又、自分は好きな器で食べて亭主には犬にでも出すような,,,昔各家庭で、犬の餌を入れるのによく、穴のあいたアルミの洗面器や鍋を使っていたっけが、あれ流でやる。

もし、犬と一緒だとはアンマリだと、文句をたれたら、「容れ物がない、両手で受ける」と喜捨(きしゃ=ほどこし)を受ける有様をうたった種田山頭火(だったか)の歌を紹介してやる。

とは言え、亭主は一応世捨て人ではないのだから、まあ100円ショップで売っている器の大きなのを一個与えて、「大は小をかねる」だからそれ一つでかわりばんこに、、飯の次には汁、汁の次には菜と、食わせるとよろしい。要するに、お互い、ゆずれぬものはゆずれぬのだから。

私自身は、食えりゃ何でもいい組では断固ない,,,。私は肩もこる方だが、食器にも凝る。酒と同じこと。酔えりゃ何でもいい,,,とは断固思わない。

私は化学合成品みたいな酒は,,,断固飲まない。只でもイヤだ。

話を戻す、イヤ、本筋から始めると,,,私は19才の時に、日本民芸協会主催の民芸品の展示即売会を、日本橋白木屋で見て,以来そのとりこになった。「民芸」とは柳宗悦(やなぎむねよし)らによって,大正末期に造られた言葉で,庶民の生活の中から生まれた郷土的な工芸を指し、実用性素朴な美とが愛好されるものだ。

と言う訳で,私は世帯をもってからは,旅行と言えば大体、民芸品を目指す旅を計画して来た.その結果はといえば,例えば弁当箱だが,,,私は室工大の30年間とこの市立図書館へ移っての年月、週5日昼は日替わり弁当だ。「日替わり」と称しても、中味は大して変化なし,変わるのは器の方、つまり,旅先で買い集めた「漆塗り」の弁当箱を使って,今日は川連塗り,明日は後藤塗りと楽しんでいるので,,,.川連(かわづら)は秋田の地名だが、いつどや帯広在住のK子から電話が来て,「こけしもらったら,背中に”秋田川・連」(あきたかわれん)と書いてあるのだけど,何のことかしら」と言う私は「変わった所で切るな!秋田・ドットかわづら・と読んでうるしぬりの木工品やら,食器やら,こけしで有名なところだよ」と答えたがおかしかった。

こけしは今おいて、昔、デンマークのものだと言う、奇妙な酒杯を見た事がある。円錐型の盃の下に1m程の先のとがった棒がついていて,ナントこれは戸外で酒を飲む時に使うもので,酒を飲んでは卓に置く代わりにグサット地に刺して立たせておくものだと言う.名は忘れたがいい趣だった。

私はぐい呑みも盃も時に応じて使い分けるのが酒の文化だと思う。食えりゃ何でもいい,酔えりゃ何でもいいと言うのでは食の文化酒の文化は成り立つまい。

しかし,柳の提唱した民芸運動も今ではかなりガタが来ていてそんなことがあったことを知らぬ人が多い。

そう言えば,先日会合があって,一応名のある店で会食となった折、二間続きの和室の床の間などには、会津は本郷がまの鰊鉢1

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九州は日田は小鹿田(おんだ)の「飛び鉋(かんな2 」の技法の大皿,卓上には島根は出西(しゅっさい)焼きのとなりの湯町焼きの

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黄釉(黄色いうわぐすり)の大皿などがあったが、誰も気付かぬようなので,私は出過ぎたことと思いながら,一通り説明した。これらの器、いずれも,柳がその美を激賞したものだ。

話をしながら,私は,雪深会津の冬、本郷がまを訪ねて主人の宗像(むなかた)さんと話をかわしたこと,一面のレンゲ畑の間の道を歩いて出西がまの主人多々納(たたない)さんに会いにいったこと、湯町焼きの巨大な登り釜を見たときのおどろきなど,,,色んな旅と人を思い出していた。

さて、柳の民芸論を知るには,柳の著作を読むのが一番だが,(例えば柳宗悦著「民芸四十年3 」/岩波文庫)

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批判の多い現状からして私は井出直樹.人間復興の工芸を先にすすめる。これを読んで感ずるところあるならば、青柳恵介.民芸買物紀行を参考にして、一二度試みの旅をしてみては??

「朝鮮の土となった日本人は4 」は柳の教えに従って、いや同調して朝鮮で活躍した「浅川」についてかかれたもの。ここに人間がいる、と言う実感がわく素晴らしい本だ。

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「韓国民芸の旅は5 」「朝鮮の土となった日本人を読み病こうじて、韓国まで行ってみようかと思う人の為の本。

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只てさえ「犬食い」のはやっている時代に「食えりゃ何でもいい」式思想が加わったんじゃ,文化が消えるもんな.私はそれはいやだね!!

  1. 井出直樹.人間復興の工芸―民芸を超ええてー.平凡社ライブラリー(1997) []
  2. 青柳恵介.民芸買物紀行.新潮社(1991) []
  3. 柳宗悦.民芸四十年.岩波書店 (1984) []
  4. 高崎宗司.朝鮮の土となった日本人.草風館; 増補三版版 (2002) []
  5. 高崎宗司.韓国民芸の旅.創風館(2001) []

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