`01.10.1(月)寄稿
他人のことは知らないが、私には絶えず気になルコトがあって、それは、あの人、又は,あの事について、もっと知りたいと思うのだが,仲々適切な本がないなあ,早く、あの人、あの事についてのいい本が出てくれないかなあ、と言う気がかりなのだ、
そんな風に私の気にかかっている各人物の中,4人について,いい本が続いてでたので、私は目下すこぶる幸せだ。と言う訳で貴方にはちっとも気がかりな人物ではなく,じゃによって,いい本が出たと言われても何もハッピーではないことであろうが、私にとっての幸福気分を、ちょっとばかりおすそ分けする次第。
先ずは「奇跡の人塙保己一1 」
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明治4年(1871)に対して,盲啞学校を建てなければならぬと提案した山尾鏞三(ようぞう)なる役人がいた。当時は盲人は無為徒食の輩(やから)であると言うのが一般的見解でああったから、この山尾の様な人物は珍しい存在と言わねばならぬ。この男は造船学を学んだ留学先のイギリスで,耳が聞こえず為に口がきけぬ者が製図の仕事にたずさわっているのを見て,盲人を含む障害者の自立に思いを到るのだが,帰国後、現在の京都府立盲学校と,筑波大学付属盲学校の前身たる学校の創立に尽力する。
しかし、この男は実は「人殺し」の前科ものであった。そして,この男と組んで人を殺したもう一人の男は,伊藤博文であった。ハテ、どこかで聞いたような??
そう、あの伊藤博文である。えっ!!「まさかのかさまびっくらホイ!!」(まさか〜の所は,思いも及ばぬまさか!を通り越しておどろいた!を現す時に我が家で用いる慣用句である、念のため)
だけど,この話は事実で,2人が殺したのは塙 次郎(はなわじろう)、時は文久2年(1862)殺す理由は、この次郎が幕府の命令で「天皇廃位」について調査しているとの噂があり,これは当時,倒幕で天皇を盛り立てようとの2人の思想には許せなかったと言う訳。この2人が次郎殺害の犯人だと明らかにされたのは事件後60年たった大正11年だった
さて、殺された次郎は「保己一」(ほきいち)の息子でその保己一の伝記が入門書として素晴らしい出来の「奇跡の人塙保己一」だ。保己一は5歳で失明した全盲者だが,異常な記憶力で当代一の学者になった人だ.この人の一大仕事が「郡書類従(ぐんしょるいじゅう)なる一代叢書で正篇530巻、続編1185巻と言う恐るべきもの。
吾が国の古書を収めたこの一大シリーズがないのは図書館とは言えぬーと私は思うのだが,当館には端本(はほん)が有るのみ はずかしい。因みにこのシリーズ現在のセット価格は524万円。
さて、先頃、調子者の代議士、鈴木某が”日本は単一民族”と発言して,アイヌから抗議され、その抗議文書をフラチにも開封もせずに突き返し,あまつさえ,アイヌに向かって,勉強が足りぬなどの暴言を吐いた事が報じられているが,古来「攘夷」とは誰を指して言うのか?。
これは関西に拠点を置く王権が,古代の、東北地方に住む住民を指して呼んだもので普通に「エミシ」。平安時代の後期には「エゾ」と読んだ。この「エミシ」は「アイヌ」だ、と断言したのが「喜田貞吉と部落問題2 」の主人公喜田(きた)貞吉(さだきち)なる歴史学者だ。
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最近のミトコンドリアDNAのタイプ調査で「エミシ」が「アイヌ」と同一民族で,縄文人とも同じと判明、但し、北海道のアイヌと沖縄人は違った,,,と同書にある。勉強がたりぬのは鈴木ナニガシの方だ。
この喜田は色んなことに首を突っ込んで、史上有名な論争を数回残した面白い人で、そこが私の興味をひく理由なのだが、例えば「南北朝正閏問題」と言うのがある。つまり、天皇家は今は「南朝」の末だが、足利義満(あしかがよしみつ)の頃武家政権の下では、北朝が正系とされた。時代によっては、「忠臣」も「朝敵」の「不忠の君」になる訳だ。
ところが喜田は「南北朝の天皇」を並立して記述した.因みに現在の教科書はこの並立説をとっている。これが歴史のバランスと言うものだわ。
かように触れればたちまち熱が出るような問題に絶えず真面目に向き合った学者として、この人は当節もっと知られていい。その意味でこれはありがたい本だ。
天皇と言えば、昭和15年(1940年)、我が国は架空の人物、神武天皇を実在の人物として扱い,,,その神武が即位してから2600年たったとして、おおよそ600年のサバをよんで、日本は古い国と、誇った。この時、津田左右吉(そうきち)なる歴史学者の2冊の本「神代史の研究3 」と「古事記及び日本書紀の研究4 」が右翼から狙われて、発売禁止となり発行元の岩波店主茂雄も起訴された。これを世に「津田事件」と言う。
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左右吉の「神話と歴史をつなげてはいけない」との主張が、天皇をないがしろにするものとされたのだった。日本は「神の国」であるとする時代のばかばかしい事件だが、この事件とこの学者についてのいい本が出た。子供向けの本ながら進めるに値する。「歴史学者津田左右吉5 」
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さて、マークトウェーン「トム・ソーヤの冒険」の最初の訳(1919)(と思うが)を出した佐々木邦の初めての伝記が出た「評伝佐々木邦6 」
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邦は私の母校明治学院大学の英文学の先生だったが、私は知らない.ユーモア小説を書きながらも運命論的人生観の小説家、トマス・ハーディが好きだったと言うこの作家に、ハ―ディが好きな私も、多大の関心を持つ.ようやく出てくれたいい伝記だ。