第202回 接吻と時代考証

`02.6月4日寄稿

流行歌や艶歌について、本当か嘘かわからぬが、よく言われることがある。それは、港とか、涙とか、霧笛、とか言った言葉を適当に並べると、一篇の詩が、たちどころに出来上がると言う話だ。そう簡単にことが運ぶ筈はないと思いつつも、あまりに陳腐な歌を聞くと。何となく、これは単なる語句の並べ換えだ、と思う時がないでもない。これに似ていると思われる話が、世に「ハーレークイン社シリース」で知られる小説群だ。何でも、噂では、このシリーズの諸作、メロドラマ風の言葉をコンピューター操作で組み変えて、組み替えし一つのお涙ちょうだい小説に仕立てるのだと言う。まさか!!と思うけれども、次から次へと出現する三文小説を見ていると、案外そうかも知れぬと言う気もする。何しろ、アメリカと言う国は、例えば名作「異端の鳥』を書いた、コジンスキーと言う作家の作品など、何人ものゴーストライターを一度にやとっての合作だった、なぞとあとで分かる始末だから、読者こそいい面の皮だ。

ところで、この「ハーレークイーン社が」この3月に世界20カ国、約6600人に「公の場で許される愛情表現は?」のテーマでアンケートを取った。

その結果はと言うと、世界平均的43%の人が「情熱的なキス」との回答だったのに、わがつつましき日本人はこの回答立った5%で、最低だった由。逆に「軽いキス』なら良し、とした日本人は78%なのに(そんな子供じゃあるまいし)と言ったかどうかは、知らねども、世界の方は40%と低かった由、さらに「手をつなぐ」はどうだ??となると、それなら言いと言う日本人が92%で、せかいは、84%。もう一つ「公の場所での愛情表現をば土台、どう考えているのか?と言う設問では、「新鮮」でいいじゃない!!と言うのが世界で大勢なのに、日本の男性は逆に「罪の意識」を感じる、との答えがトップだった由。どこまでもいじましくも後ろめたい諸君よなあ!!。

私は、このキスについては、又、別の思いがある。と言うのは、これの日本語「接吻」のこと...だ。この「接吻」の「吻』の字が見たところ常用漢字にないのだぞ。だからして、今は「接ぷん」と書くこれは一体何じゃらほい...どころではない。呆れてしまって、ホイ何じゃら???。

いいですか、「吻」とは、くちさき。くちびるのことだ。これをお互い接する、或いは合わせるからこそ、「接吻」なのだ。それが何だ「接ぷん」だと。「ぷん」とは何だ、「ぷん」とは??「接ぷんして!」「ふん」てなものか?こんな具合で、漢字検定に合格した女性なぞ迫ってごらんなさい。粉砕されちゃうぞ。

てなことを書き出したのは、当館の久保館長が、6月1日発行の図書館だより「ひまわり」20号の企画対談で、NHKの「利家とまつ」に触れ“まつが利家のほっぺにブチュとやった場面”に“戦国時代にそれはありかよと思ったね”と憤慨しているからで、これはまこと分別ある意見と言わねばならぬ。

私自身は松島7子だか8子だかに全く関心はないので、松島菜々子が172センチもある大柄女優だなんてこともちっとも知らないが、館長の文化史的疑問に答えるために2冊の本を紹介しよう①「接吻年代記1 」は、「接吻」についての本で一番詳しいい本②「接吻文化史2 」も「世界性語辞典」の著者でもある大場正史のいい本。

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大場にはもう一冊「接吻」(昭和33年、東京ライフ社刊)がある。この大場の別の業績似ついて、前に書いたものがあるので左に③にのせる。

ところで、「接吻」は安政2年(1885)の「阿蘭陀字彙(オランダじい)」に「クス」の訳語として出現.但し読みは「あまくち、くちすう」「キッス」の訳語に「接吻」を採用したのはヘンドリック・ゾーフの「欄日対訳辞書(1833)が初めて.文禄4年(1595)1月秀吉が息子秀頼に対して送った「やがて参りて、口を吸いべく申しそうろう」なる一文は「接吻」文化史上有名な文献だが、まあ、親子のチューだからして、余りネチッコクはないわな。

久保館長は又、秀吉の「墨保一夜城」を事実として扱う「武功夜話」を偽書と断じる、藤本と、鈴木の本を紹介していたが、この城造りの話はインチキなれども、上の手紙は本物。

さて「まつ」の「ブチュ」だが「日本人は接吻を性交の一部とみなすことによって人前でのそれは避けたのであ〜」と「好色艶語辞典」で笠間良彦がまとめたように、これは時代考証のミスと言うものだろう。

時代考証と言えば、久保館長は又「利家とまつ」の武士の名前の呼び方がおかしいいと憤怒していたが、これ又御もっとも。こう言ったことでは面白い本がある。江戸研究家「三田村鳶魚(えんぎょ)の「大衆文芸評判記」と「時代小説評判記」の2冊(全集代24巻、中央公論社)

「出鱈目ばかり書いている」と鳶魚にやられた連中と著作は次の如く、皆々ケチョンケチョンにやられている.

一例「宮本武蔵」に登場する「野武士の女房お甲が寝白粉をつけている」のをこの時代白粉をどこで買ってくるのか...から始まって、吉川英治の無知振りが示される。

「宮本武蔵」に関しては「小説渡辺崋山」で「毎日出版文化賞」を受けた杉浦明平も、吉川が戦争中時代に応じて何度も「武蔵」の筋を書き換えた無節操振りを難じていたが...読者よ、呑気に、余りな馬鹿小説ばかり読まされていたんじゃよくありませんぞ。

つまりは、何人も、久保館長の如く、憤然としてチェックしつつ読み、かつ、観るべし!!

付け足し ① 映画の中のキッス最多回数はケイリーグランドとイングリットバーグマンの「汚名」回数忘れた

② 私が見たキッスの最長記録は...ブタペストでドナウの船遊びで、乗船する時致しておったのが、2時間あまりたっての下船のときにまだやっとった..やつ。

  1. 椿文哉.接吻年代記.近代文庫社(1949) []
  2. 大 場正史.接吻文化史.生活社(1955) []

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