第209回 発禁本の価値

`02.12月寄稿

本が好きだと言う人にも色々なタイプがあって、装丁はどうのこうの、と言うウルサ型もいれば、そんなものは関係ないよ、読めさえすればナンデモいいんだ...と言う人まで、千差万別だ。私はそうした両極端ではなくて、例えば単行本と、その廉価版としての文庫本の方を買う。して又、豪華本しかない場合、その装丁及び部数に関係なく、中味が大事とあれば、これは高くても買う。

だから私は、限定本のコレクターとはならないし、言えない.限定本のコレクターは、中身はなんであれ限定番号がついている本を買う訳で、私の方は、例えば詩人・堀口大学の「遠くかそけき」なる詩集が、限定版以外にはないと知ってから、これを買う。

もちろん限定版は嫌いではないが、私は、私が大学の詩集を買うのは、限定版ではなくても、大学の詩が好き、と言うのが最初に来る条件だからだ。

「好色本」或は「艶本」と呼ばれるものにしてもそうで、私が先に手を伸ばすのは、妙な言い方だが「ちゃんとした作家」の書いたものだ。例えば?って。例えば文化勲章受賞者永井荘吉(荷風)のものだ...ね。

そもそも私が初めて限定本を買ったのは、「吾八」と言う有名な店で、大学1年生の時。その頃の店主さんは、これ又有名な今村秀太郎さん。限定本コレクションの世界で、この人の名を知らぬのは、イワユルモグリだが、この時彼は何歳くらいだったのだろう、今の私位かな。それはともかく、その時私は¥1,000持っとった。まあ今に直せば¥10,000位かなあ。詰襟服の私に向かって色々問うたあと、今村さんは、私に2種類の限定本を見せた。一つは「平井通」が出した池田満寿夫の本。「通」は江戸川乱歩の弟だ。池田については言うまでもなかろう。因みに平井の豆本は「真珠社」から出てた。次に出してくれたのは「荷風本「踊子」の周囲1 」だ。荷風の一寸ばかり艶っぽい小説で、そのため、その艶っぽさを過ぎてドギツク書き替えるフラチナ連中が現れて、つまりは原作の「踊子」とは似て非なるニセモノ(=好色本)が何種か現れた。この本は、その何種かと原作の文章を比較考証したもので、面白いことには、その変質させられた文章の所が、緑やら赤やらの色活字になっているという代物で、これが¥1,000ちょっきりだった。消費税なる悪税は当時なかったからね。私はこっちを買った.これは著者、発行者共、佐々木桔梗(ききょう)なる人物で、発行所の名前は「プレス・ビブリオマーヌ」だ。

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この佐々木氏は変わった人で、と言うのも、本当の職業が私立探偵だった。この人に会ったことはないが、電話でしゃべったことは何度かあってその都度電話の向こうで赤ん坊の泣き声がして「こんな美しい本を出すのに、背景はえらく所帯染みているな」と思ったものだった。

佐々木氏の所からはあとで、小村定吉長編詩「奥義曼荼羅2 」なる本も買った。「表紙正絹金ラメ入りブロケード(=金襴織)孔雀模様地・和綴・特性せんいり・限定149部」というもの。おまけに、本物の孔雀の羽がしおりとしてついておった...で。

かくして、私が最初に買った限定本にして秘本は、「荷風」に関するものだった訳。

話変わるが、9月から私は「英仏文学連続講座」を開いて、11月5日室蘭での第3回目は「テスはデス(死ぬの)デス」と題して、英国のトマス・ハーディのことを語った。

ハーディは戦前、戦後、現在と、ずっと続いて我が国では人気のある作家だが、ナントナント戦争最中には、敵の国の言葉=適正語として、にらまれた上にハーディはワイセツとして高等学校(と言っても旧制だが)の教科書から外された。「ダーヴァヴィル家のテス」と「薄命のジュード」が狙われたのだ。それはともかく、私はハーディのしめくくりに、ハーディの思想を継ぐ者として、D.H.ロレンスを挙げ、ついでにロレンスの「チャタレー夫人」が」発禁になったことにふれ、更なるついでに、文学作品が発禁かつ裁判を引き起こした話に触れて、永井荷風の「四畳半襖の下張3 」について語ったのだった。

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週末の9日、今度は苫小牧市立図書館で、私は「ミュッセ、サンド、ショパンのー三重奏ー」と題して語り、この時は、戦前戦後と発禁を繰り返しているミュッセ作「ガミアニ4 」(高城二郎訳/三﨑書房/1968年刊/発禁.今は①「女ともだちの夜」(山本泰三・北宋社/1992年刊/¥1942)②「肉の宴『ガミアニ』」超訳版(山口椿訳・河出文庫/2000年刊/¥581)にも触れた。

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語ったには理由があって、それは、世の中変わったなあ、ようやくそう言う時期が来たなあ、と言うもので、それは今迄文学史の裏街道を歩かせラレていた作品に日の目があたり始めたと言う事実だ。例えば、集英社・世界文学大事(1997刊)には、「ポルノグラフィー」なる大項目がきっちりとりあげられている。至極真っ当な解説がついていて、しかも「〜19世紀の作家や詩人は密かにポルノグラフィーを書いた(アルフレット・ミュッセ『ガミアニ』〜」とはっきり書かれているんだ.私思うには。これは画期的なことだ.と言うのは、今迄は秘して論ずるはおろか、タイトルさえもあげなかったのが、こうして出て、論じられるようになったと言うのが大事な大事な点なのだ。

ところで発禁本−明治・大正・昭和・平成・城市郎コレクション」(平凡社別冊太陽/1999年刊/3冊・①¥2,800②¥2,600③¥2,800)は、コレクター城市郎のコレクションを元に出た本だが、城はこのコレクションを一括1億円で譲りたい由。どこぞの奇特な人が、この貴重な資料の散佚(さんいつ)を防いでくれぬものかしらん?この本、変な色メガネで見るなかれ、「朝日」の書評で松山巌も褒めてた。

「世界艶本大集成」(緑園書房/1959年刊/絶版)もいい参考書だが、いかんせん絶版だから、今一番たよりになるのは「発禁本」だぞよ。



  1. 佐々木桔梗.荷風本「踊子」の周囲.プレス・ビブリオマーヌ(1959) []
  2. 小村定吉.奥義曼荼羅.プレス・ビブリオマーヌ(1959) []
  3. 永井荷風.四畳半襖の下張.大空社(1997) []
  4. ミュッセ.ガミアニ.晶文社 (2003) []

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