`03.4月25日寄稿
前回は長い事品切れだったり、絶版だったりした良書の中、復刊したもの4点を紹介したが、今回は、それと趣が違うものの、書店には出ないために、一般的には入手しにくい本を、紹介する。この4点全て、苫小牧の読書団体「お話ジャングル」の墨谷さんに、入手を手伝ってもらった。
「ふくろう先生と行く文学の森」と題して、私が先生をつとめる文学講座の第二期目は、今月4月から始まった。第一期目と同じく、室蘭と苫小牧の図書館を会場にして、仏文学から2人、英文学から2人を選んで講ずるものである。
第一回は「大翻訳者、堀口大学とフランス文学」であった。
室蘭の時には、このタイトルの上に更に「偏差値ものかわ。堀口大学」ともつけた。
“ものかわ”とは、ものの数ではないよと言うことで,室蘭弁風に言うならば屁でもない。と言う気持ちだ。
これは、堀口大学の家に“入学願書送れ“とか“学校要覧が欲しい”と言った手紙が届く、と言う実話があって、これを聞いた大学の友人の詩人、佐藤春夫が曰く、「そりゃいい話だ。大学の中では何てたって、堀口大学が一番だからね」と言った話にもとづいて、つけてみた言葉だ。
さて、機知と軽味と、エロチシズムをたっぷりと含んだ大学自身の詩と、翻訳詩は共に人に愛唱されて、大学は文化勲章を授章する大詩人となった。
名訳詩集「月下の一群1 」は大正。昭和の詩界に絶大の衝撃を与え、更に、ポール・モーランの小説「夜ひらく」「夜とざす」二作の訳を世に示すや、川端康成が影響を受け、又天才レーモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」の訳は、三島由紀夫に取っての「聖書」となる。などなどの業績を思えば、文化勲章のごときは、当然の帰結と思うのだが、これは結果として言えるのであって、その歩みは決して平坦なものではなかったのは、世の常の如し...で、...と言うのも、例えば、
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大学はかって、早稲田で英文学を講ずる、人読んで「学匠詩人」の日夏耿之助に手ひどい、仕打ちを受けたことがある。元来この人は、西条八十と共に大学と組んで、詩集「パンテオン」を創った詩仲間だったのだが、何がどうしたのか、或る時、大学の詩をけなして、かつ言うことに事欠いて、大学の詩を“共同後架の落書きに等しいもの〜」と断じたのだ。後架=便所であるからして、この評語が、どれ程、エゲツないものだったかがわかる。
耿之助は、大学のエロチシズムあふれる詩をこのように罵倒したのだが、この点を、例えば。丸谷才一は逆に日本文学の伝統のエロチシズムを正当にうけつぐもの」として評価する。
私は丸谷派ですけどね。とは言っても、耿之助は凡庸な詩人ではないのであって、受好者も沢山いる。
そんな耿之助が芸術界の諸家より受けた手紙407通集めた本が出た発信者は126人。「日夏耿之助宛書簡集2 」
交友の広さにも驚くが、手紙本体もすごく面白い。
話は変わるが、私は「松浦武四郎研究会」の会員で、3月下旬には、三鷹の、国際基督教大学の敷地内にある彼の一畳敷の書斎「草の舎(や)」を観に行って来た。北海道から出かけた20人位に、武四郎の故郷の三重は三雲町から、松浦家の子孫と元町長の黒宮氏が、東京からは 東京松浦家の人たちが5.6人参加されて、私は内心驚いた。
この後、一行は間宮林蔵の故郷に行き、林蔵から数えて5台目の子孫に会ったが、その時もらった「林蔵研究会会誌」には、武四郎研究会の会長秋葉實氏が調査の結果探し出した,林蔵とアイヌ人との間に生まれた家系の話が載っていて面白かった...これはまた別の機会に話そうと思う。
さて、今度、武四郎が、上川地方を探査した時の記録についての本が出た。これは、オホーツク沿岸のユーベツは、石狩に匹敵する勢力の場所だったが、場所請け負い人の搾取と迫害によって、ユーベツの一族が、コタンぐるみ上川へ逃避行した...と言うような内容を含んだ紀行文である。執筆者は先記の秋葉實氏。「松浦武四郎上川紀行3 」
これは旭川市が出している「旭川叢書」の一冊で、従来、このシリーズは図書館んどに贈られていたが、財政困難の為、今回この巻から有料になった由、悪しからず...と旭川図書館館長の丸山女史が言っていた。図書館直売と言う訳。
過ぐる2001年の11月1日から11日まで白老の創造空間「蔵」で「生誕百年記念、森竹竹市文学展、写真展」が開かれた。「アイヌを生きる」「コタンの抵抗詩人」が各展のタイトルで写真は掛川源一郎氏によるもの
11月4日には、同じ「蔵」で、「森竹竹市を語る」なるタイトルで講演が開かれ、私も聞きに行った。話者はウタリ協会理事長だった野村義一、コカコーラの伝承者として有名な旭川の杉村京子(キナラブック)、それに短歌をやる布沢幸の3氏だった。この時のまとめは、「報告集」として、2002年2月に出て、私も買った。
ところで、森竹竹市とは、(明治35年/1902〜昭51/1976)白老生まれで、筑堂とも号した歌人であって、国鉄に勤めて、富川、苫小牧。静内のどの駅で働いた後、白老に戻って、食堂を営みながら歌道にはげんだ。遺稿集として「レラコラチ(風のように)」がある。
さて、このたび前記の展覧会を開いた森竹竹市研究会が、遺稿集「銀鈴4 」を出した。
畦地梅太郎(明35/1902〜平成11/`99)は愛媛の生まれで平塚運一などに学んだとは言うものの、独学で大成した版画家だ。山を描いた作品が多くそれらは皆単純かつ重厚だ。人間味溢れる随筆も有名で、ファンが多い。
その畦地は、昭和13年に日本書票協会が出来る前よりエクス・リブリス=EX Libris=蔵書票=書票の製作に取り組んでいた。その畦地の作品を集めた滋味、掬すべき一冊。以上4点いずれも本やにはあらず。全て自分で申し込んで取り寄せるしかないね。しかしそうしなければ本は集まらぬ。丹念に目を配って、面倒がらずに申し込んで...のやり方は個人でも組織でも同じです。「畦地梅太郎書票録5 」