第219回 眼鏡の社会史、文化史

`03.9月6日寄稿

もう10年前になろうか、ある目医者に行って驚いた。何がって?あの視力を計る時のこと、昔なら、こちらの視力が弱ければ「もー一歩前に出て!」とやられたのが。「これで見えませんか?それじゃ」と言って向こうが、と言うのは、看護婦の方が、表を持って、自分でこちらに近づいたのだ.つまり、客あしらいが変わった.と言う事で、客を動かすのではなくて、「お客さんはそのまま、そのまま」となった訳だ。私は30才を過ぎるまで、肉眼であの表の一番下まで見えた。しかも両目とも。それが急に近視になり、乱視になり、職場の野球大会で、センターにいて、投手の投げる球が、捕手のミットにおさまるまで、きれいに見えていたのが、そうでなくなった。

どうしてか?「司書」に転じてカード並べを始めたからである。著名カード.書名カード.件名カードなどを、心の中で、アカサタナ.ハマヤラワ.ンと念じつつ、並べている中にすっかりダメになってしまったのだ。

とは言え、私はメガネをかけて本を読んだことはない。今にいたるも肉眼で本を読む。そのかわり私は机に向かって真正面から読むタイプで、ベットに寝転がってとか、タタミに腹這いになって、とか言う芸当は丸きりで出来ぬ。

さて、近視、乱視、して又メガネの話になったのは、本館発行の会報「ひまわり」の9月号に当館の柏木さんが、新たな書き手として登場して、「文庫短新」と題したその第1回で「眼鏡屋直次郎」なるねじめ正一の小説をとりあげていて、その

粗筋を紹介するに、曲亭馬琴が、主人公の浜田屋なるメガネ屋の職人、直次郎に相談に来る云々を〜と言う辺りで、そうそう、メガネとくれば、先ずは馬琴が出てくるわなあ〜と、〜 白山晰也の「眼鏡の社会史1 」を頭に浮かべたのだった。この本の第7章は「近世文芸における眼鏡の諸相」と題するもので、その①が「滝沢馬琴と眼鏡」となっているのである。

馬琴が両目とも見えなくなり、書き続けていた「南総里見八犬伝」の第9輯巻之46から、嫁の路(おみち)に原稿書きを任せた、と言っても、この嫁様、無学文盲に近い女であって、それに向かって口述筆記させるのだから、無茶も無茶と言うものだが、刻苦勉励してよく、馬琴に応えた、つまり必死になって字を覚えた。当節の!“小学生にも分かるようなやさしい文章を書いてくれ”と言った新聞の軟弱振りと、なんと隔たった話であろう(おっと、忘れる所、馬琴は左目が衰えて行く時に一両一分でメガネをあつらえた)

白山は「文芸と眼鏡」の関係を第12章でも取り上げていて、題して「眼鏡の流行と普及」その②が、「ステータスシンボルとしての眼鏡」で中に「文芸作品に見る眼鏡の日本人」なる一節があって、「ハイカラ節」(ソング)なる歌などが紹介されている。

ゴールド眼鏡のハイカラは   都の西の目白台

女子大学の女学生  片手にバイロン.ゲーテ.の詩口に唱える自然主義

早稲田の稲穂がサーラサラ    魔風 恋風 そよそよと

目白台は言わずと知れた日本女子大.稲穂方はこれを下から仰ぎ見る座布団帽の早稲田大学. 金ブチメガネのハイカラ日本女子大は早稲田大学の学生にまかせることとして、ヨーロッパで13世紀に発明されたメガネは当然のことに、「博学のシンボル」とされた。逆に言えばメガネをかけてない人間は、本を録に読まぬウスラトンカチとされた訳だ。しかし

メガネをかけている人間がいつもいつもいい目を見た訳ではない。と言うのは、本を読んで理解し、得た知識で物事を比較し、結果批評精神が旺盛になった人間=思想家=大方メガネをかけている...このタイプを権力側(こちらは、国民を専制的に支配し、人心操作を専らにしようとする訳だが)は嫌う。つまり、メガネ組は支配者の目論見(もくろみ)をいちはやく察知し、支配者が隠している本当の目的について世人に解説しそれを暴くことが出来る。独裁者がメガネ組を恐れるのも、故なしとは、しない。

かくして、毛沢東指揮下、文化革命の中国でも、スターリン体制下のソビエトでも、人種差別の最たる国南アフリカなどでも、独裁者と、それに目くらましされた馬鹿共が、メガネをかけた反体制派たる、思想家、歴史家、作家、芸術家、出版人達を狩り立てた。

グルジアやら、アルジェリアでは、こうした構図にのっとって、インテリ(知識人)に対する迫害がヒンピンと起きた。独裁者の方も、その辺のことは承知していて、例えば、ヒットラーは近視だったけれども、メガネをかけて写した写真は全て発禁にした。...てなことがアストリッドヴィトルズの「メガネの事典2 」にある。

そう言えば、ジャック・カロー(Callot.Jacques.1592-1635)なるフランスの銅版画家の作品「聖アントニオの誘惑」の中の悪魔もメガネをかけていたな、たしか。「ルネサンスの謝肉祭3

知識人を悪魔=悪者視する下地はこんな昔からあったんだ。と言う訳で、日本では一冊しかないカロの本を序(ついで)にあげておく。この反骨の銅版画家は生まれ故郷のナンシーが戦争に巻き込まれ陥落した時の状景を描けとルイ13世に命じられたがこれを断った、と言う人だ。メガネ一個にも、世界の歴史が宿っている。

 

 

 

  1. 白山晰也.眼鏡の社会史.ダイヤモンド社(1990) []
  2. アストリッドヴィトルズ.メガネの事典.はる書房 (1997) []
  3. ジャック・カロー.ルネサンスの謝肉.祭小沢書店 (1978) []

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください