岩波書店から宅急便で我が家に本が届いた。岩波にはダイレクトメールで本は注文していないな、変だな、と思いつつ開いてみると、出て来たのは「知床・北方四島ー流氷が育む自然遺産ー」著者が本間浩昭で「ああ、本間さんからか」と分かった。
本間さんは毎日新聞社の記者で何年前になるか、室蘭にもいた。今は根室にいる。この人は今言ったように新聞記者ではあるけれど、どうも、そっちは副業のように見える人で、では本業に見えるのは何かと言うと、完全なアウト・ドア派で、ナチュラリストとでも言えば当たっているのかな。ひじの抜けた、早い話がオンボロのセーターを着て、話すことは、いつも鹿だのフクロウだの、、、で、いつだったか、室工大にいた時だが、電話が来て、夜、本間さんが通っていた本町の居酒屋Sに行った。何の用で?だと思っていたら、鹿の肉が手に入ったからとて、これから焼いて食べようと言う話。私は肉は食べたくない派だから、ほんの−一切れくらいしか口にしなかったが、参ったのは、それを焼いている間のモーレツな煙。訳の分からぬ匂いが体中に染み付いて、帰宅をして、、、我妻さんにソッポをむかれた。
鹿の話を年中していた本間さんが、しばらくいなかったので、どうしたんだろうと思っていたら、ドイツへ鹿のシンポジュウムに出席云々で行って来たとかで、あとで報告書を送って来た。これ丸善プラネット刊『エゾシカを食卓へ」への基になったものかな。その後又いなくなった時には、中国製のアレ、何と言えばいいのか、羅針盤と暦と一緒くたになったような円盤様のものを土産にクレタから、中国へでも行って来たんだろう。本間さんの行きつけの店Sの夫婦が、これ又アウト・ドア派で、今金のどこそこへ行けば、美味しいクレソンが生えているだの、なんとかの実の酒は逸品だのと言う会話をする人で、そう言えばいつかも呼ばれて行った、その時はマグロだったかカツオだったか、何だか馬鹿でかい魚の頭がデーンとあって、焼いたそれを皆して箸でつつき合ったが、その時も、イブされてイブされて、私には味が分かりかねた。根室に勤務してからは、、、毎日新聞紙上に、ワシだの、アザラシだの、熊だの、いや、いい写真だなーと思うのがあれば、それは本間さんの写真で、、、、でまあ、そう言う本間さんと、北大の大泰司紀之名誉教授が二人して書いた本がが、岩波新書カラー版の本書だ(1)1
-“環境を主なテーマとする「北海道洞爺湖サミット」が7月に迫りました”から、おおくの人に読んでもらいたいとのコメントが入っていたので、喜んで提灯持ちする次第。言い忘れる所だったが、本間さんは、かの『旧石器発掘捏造事件」の取材にも関わって、2001年、新聞協会賞を受けたから、記者の勤めも悪露坂にはしてなかっち訳だ。根室まで呑みに来いと誘われているのに、さっぱり行くそぶり見せずにいて、本間さん、I am sorry!!
本間さんの「新書」を紹介したから、今回は新書と文庫の新刊紹介と行く。
(2)2 これは実は昭和51年の5月に新日本出版社から出たものの改訂版
大野は、本書で「CIA」の事を語るのだが、その「CIA」を定義して大野は言う。「CIA」は米軍機関ではなく法的には”不良外人集団“に過ぎぬのであり〜」云々。「CIA」がらみで言えば、下山事件だ、松川事件だのはさておいて、昔、私が一番ウンザリしたのは、ライシャワーがCIAの要員であり、右翼の児玉誉士夫が、CIAの秘密エージェントだと言う事実だった。アメリカ有数の知日派として、知られたライシャワーは、なにしろ東京生まれの、おまけに16歳まで日本にいたと言う、つまりは東育ちの、ハーバード大学出の外交官.奥さんのハル女は、松方正義の孫。松方と言えば元老で公爵だ。外交官の職業は嘘を付く事だと割り切って見ていても、それにしても、よりによってCIAの要員とは呆れたものだ。ライシャワー以上に呆れの最たるものは右翼の児玉誉士夫で、口を開けば愛国をとなえ、身命をなげうっても日本の為になんて宣うてたのが、CIAから多額の金をもらって–と言うのだから、情けない。
私は昔、丸山邦男と、児玉誉士夫の対談を読んだあとで、CIAの事件を知ったのだが、丸山邦男の前で語り続けた愛国の至情たるものは何だったのか、どの面さげてと言う感じで呆れたものだった。大野の本はちっとも古くなってない。(3)((大澤武男・ユダヤ人最後の楽園・講談社・(2008))) の大澤武男はフランクフルとに住んでいる人。この人の本は九割り方読んで来たが今度の本もいい。「最後の楽園」とは、1993〜33年裏の「ドイツワイマール共和国」でのユダヤ人の活動があらゆる面、政治でも、文化でも、産業でも、絶頂に達したからだ。自分のことを振り返ってみても、私が高校二年生の頃から読み始めたシュテファン・ツヴァイクも、リオン・フォィヒトヴァンガーも、エミール・ルートヴィヒも、皆この時期に活躍した人達なのだ。そして、これらの人を含む全てのユダヤ人が、やがてはヒトラーの手にかかって滅ぼされることになる。これは、いくら学んでも学び足りぬ教訓を含んだ歴史だ。
(4)((南條竹則・悲劇の詩人ダスウン・講談社 ・(2008))) これ、本屋で見つけた時は「おや、オヤ、めずらしいではないの」と思ったもので、、、私は室蘭民放に掲載している本の話の第495回(08.4.27付)で、大江健三郎の新作「藹たしアナベル・リー、さうけ立ちつ身まかりつ」に触れ、このタイトルがE・アラン・ポーの日夏耿之介訳によるものだとして、ポーに関する本に話を持って行き,その線で火野葦平に触れ、この一見武骨な作家が、早稲田の英文科に学んで、「〜ポーとE・ダウスンなる、私も好きなマイナー・ポエットを好み,翻訳も試みてました」書いたのだが、そのダウスンを取り上げた本書には,嬉しいことに第7章「日本におけるダウスンの紹介」の中に、「火野葦平とダウスン」なる一文があって,火野の訳3篇が引かれている。ダウスン好きの私には有り難い本だった。
ところで、洞爺湖サミット、環境だ,食料問題だと言うのだから、集まる連中も,シェフが腕によりをかけたなんて、ぜいたくなものを喰わずに、『梅干しおにぎり」位でいいんじゃないのかね。