`10.4月寄稿
先日、札幌で珍しい本をみつけた。王凱(おうがい)著「紫禁城の西洋人画家ージュゼッペ・カスティリオーネによる東西美術の融合と展開ー1 」だ。「珍しい」と言う意味は、このJ・カスティリオーネ(1688〜1766)なる画家についての、まとまった本が日本には今迄ないと言うことで、美術館や大学の紀要やら、専門的な美術雑誌に載ったいくつかの論考はあるけれど、一般の目にふれるようなものは今迄なかった。(王凱の前著「中国芸術の光と闇」(秀作社)については、私は「本の話」no441/2006.4.2でふれている)
[tmkm-amazon]4887309368[/tmkm-amazon]
では、この人物は如何なる人か?と言うと、「中国歴代の皇帝に仕えたイエズス会の画家」とまとめていい。イエズス会とは、世界史で習ったこともあるだろうが、スペインの貴族出身の司祭イグナチウス・ロヨラ(1491〜1556)が宗教改革に対抗するために創設したもので、中国で最初にイエズス会の布教活動を始めたのは、カスティリオーネの先輩のマッテオ・リッチだ。
又歴代の皇帝と言ったが、カスティリオーネが仕えたのは3人で、それは、清朝第4代目の康熙帝(こうきてい)、ついで雍正帝、そして乾隆帝だ。61年も在位した康煕帝は宣教師が身につけていた新知識を尊重する帝だった。
康煕帝の男30人女20人の子供の中、妾腹の四男だった雍正帝は、宣教師を弾圧したが、カスティリオーネには好意的だった。
そして、次の乾隆帝の宗教活動に対する態度、カスティリオーネに対する扱いも雍正帝と異ならなかったが、カスティリオーネののみならず、中国の皇帝に仕えるためには色々の約束事が西洋人に対して課せられた。
先述したマッテオ・リッチ以来、後続の西洋人達が嫌でもやらねばならなかった約束事を列記すれば、①中国語を身につけること。②髭を伸ばすこと。③映画で見て分かるように中国官吏の制服ー絹製の足首まで届く長い服、丸い帽子をかぶらねばならぬこと。ーそれで、ジュゼッペ・カスティリオーネは「郎世寧(ろう・せいねい)」と付けられた。因みに先輩マッテオ・リッチの漢名=中国名は「利瑪竇(りまとう)」だ。
画家だったカスティリオーネ達にとって、もう一つ大変だったことは、画を描くにも大きな制約があったことで、それは①油彩画は基本的に許されない。②つまり画材と様式は全て中国の伝統に従うこと。③画題、構図は皇帝が決める。④陰影をつけてはならない。⑤肖像は必ず正面からで、頭部は大きく描くこと。etcだ。
これを読んで素人は、言われた通りにやりゃいいじゃないの、と思うだろうが、これが、西洋の遠近画法と陰影画法を学んで来た来たカスティリオーネ他には仲々の枷(かせ)となった。
かくして油彩に代わる水彩で、カンバスに代わる掛軸やら巻物に、人物と言えば皇帝、妃だけで、あとは専ら馬、犬、花だけを描かされたカスティリオーネは、それでもよく耐えて3代の皇帝に愛され、51年の長きを中国で暮らし、1766年7月1日、78歳で北京に死んだが、墓碑銘は、乾隆帝自ら揮毫(きごう)した。乾隆帝は自分の戦いでの勝利の有様をカスティリオーネに描かせたが、最近その「乾隆得勝図禅守80枚、限定100部」が臨川書店より復刻された。おいそれと手の出せぬ高価なものだが、いずれ「ふくろう文庫」に入れたいものだ。
それはともあれ、カスティリオーネの文献は日本に乏しくて、唯一私は1995年に町田市立図書館際版画美術館」での「中国での洋風画展」の図録を珍重しているが、その末巻の文献リストに出ている石田幹之助著「ジュゼッペ・カスティリオーネ伝」(平凡社9/1960)を他から借りてくれと頼んだが、当館の係の返事は国立国会図書館をはじめとして、どこにも見当たらぬーだった。この本、本当に出ているのだろうかー。
と疑うのは、今回紹介した日本で初めてと思われる一冊丸ごとのカステイリオーネについての本と思われる王凱の本の文献リストには、石田の本が出ていないからだ。
ともあれ、この王凱の本で、カステイリオーネの生涯、業績、そして現今の評価がよく分かった。私にはありがたい本だが、冒頭に書いたように、珍しい上一般向きとは思われぬので、あえて取り上げた次第。
ついでに言うと、先記の「洋風画展」図録でセシル・ブールドレとミッシェル・ブールドレの本によって、カステイリオーネを紹介している新関公子が後年に著した「セザンヌとゾラ」似ついて、私は2000年5月19日の「本の話」N0.291で紹介しいておいた。
もう一つ、ついでにと言うと当人に失礼だが、カステイリオーネの偉大な先輩マッテオ・リッチについては、既にジョナサンスペンスの「マッテオ・リッチ記憶の宮殿2 」(平凡社)と、平川裕弘著「マッテオ・リッチ伝3 」全3巻がある。
[tmkm-amazon]4582482112[/tmkm-amazon]
[tmkm-amazon]4582801412[/tmkm-amazon]
カステイリオーネと同じイタリアはアンコーナ生まれのリッチ(1552〜1610)は、やはりスエズス会の神父で、明治末期の中国に西欧の科学知識を紹介した人。この人は、キリスト教のみを良しとせず、中国伝統の祖先崇拝といった宗教的儀礼をも尊重して布教に成功した人だった。スペインの本は難しいが、平川の本は、リッチの書巻を駆使して、描かれるもののイメージがまこと鮮明だ。この本、完成迄実に30年を要した堂々たる伝記文学だ。
もう一冊めずらしい(と思われるのが)「近代朝鮮の絵画4 」
李朝末期の朝鮮を訪れた画家達(日本人30名程に、朝・英・米・仏若干)の先ず作家紹介をし、次いでに作品数点を紹介し、エピソードを並べて。...と言った何やら淡々とした本で、大上段に構えた美術評論といった臭みは全くない。辞典的にも使える本だ。私は取り上げられた画家の顔ぶれが私の好きな画家ばかりであることに喜んでこれを買った。例えば川瀬巴水(かわせはすい)平福百穂(残念なことに百穂(ひゃくすい)に(ひゃくそう)とルビをふっているが、これは単なる誤植だろう)、都路崋香(つじかこう)、それにポール・ジャクレー他々。
[tmkm-amazon]4434131133[/tmkm-amazon]
私は来る5月第四土曜日の第17回「ふくろう文庫」・ワンコイン美術講座」に朝鮮の工芸美を柳宗悦に教えて、柳の民芸運動のきっかけを作った「浅川巧」を語る予定だが、その浅川の話を墓をめぐる話もでている。
これのみならず、取り上げられたエピソードの面白さは仲々にして捨て難く、それに連れて朝鮮事情もよくわかる。一見さらっと見えるが、意外にいい本だ。