2012.6月寄稿
前回は,拙著「本の話」の愛読者と称してから「ふくろう文庫」に、と贈られた「臥雲山荘―水郷の数奇屋ー」なる一書を紹介しつつ,伊予が生んだ蘭学者の話しをしたが,その後来た恵美子女史の手紙の中に「泰山は土壌を譲らず」の言葉が引かれてあって,私はそれで或ることを思い出した。
まだ室工大在職中のことだ。いつもの如く、或る日,或る晩,学生達が来て酒を飲みながら話しをしている最中、何がきっかけかは忘れたが,私はこの「泰山〜」を口にした。正確には、「泰山は土壌を譲らず,故に大なり。河海(かかい)は細流を選ばず,故に深し。」
口にはしたが、聞いている学生らが、皆キョトンとしているので、私は概ね次の様な説明をした。泰山は(東岳)はいわゆる中国五岳の一つで、袋山、太山とも書く.ここは漢の時代から、皇帝が封禅(ほうぜん)の儀式を行う所だ。封禅とは、まあ早い話しが、皇帝が泰山まで出かけて、天やら、山やら川を祭ることだ.又、五岳というのは中国人が霊山として信仰する五つの山のことで、あと四つは衡山(南岳)、華山(西岳)、宣山(北岳)、嵩山(中岳)だ。
因みに、日本の渡辺崋山は、この「崋山」を取って付けた画号で、途中から草冠を山冠にかえたんだぞ。
そして、この言葉の意味は「泰山が大きな山となったのは、どんな小さな土くれをも包容したからだ。ひいて度量の広い人は、どんな小さな意見をもよく取り入れて、大をなす、と言うことだ。そして又、この言葉を発したのは李斯(りし)という人だ。
李斯は御存知のように、始皇帝に仕えた宰相で、「焚書坑儒」で思想を統一し、又文字を統一して、「小篆=しょうてん」なる漢字の書体を決め、と辣腕を振るったが、最後は政敵におとし入れられて刑死した人だ。この李斯が先の名文句を発する場面は、かの「史記列伝1 」に出ている。始皇帝をいさめる一場だ。
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「私の聞き及んでおりますことに”土地広ければ穀物多く、国大きければ人民多く、兵強ければ士勇みたつ”されば太山は小さき土くれもよそへ譲らぬ。ゆえにあれほどの大きさとはなりえた。黄河や海は細い流れとてよりごのみはせぬ。ゆえにあれほどの深さとはなりえた。天下に王たる者はもろもろの民草をしりぞけぬ。ゆえにその徳を発揮しえて。〜」とまあ講釈していると、学生の1人がようやく納得した顔になって、あー「大山鳴動してねずみ一匹」の山か?、と言ったものだ。聞いて私は唖然とした。
と言うのは泰山=大山で、ねずみ一匹の時にも泰山と書く。
しかし、泰山は中国の山だが、ねずみが出た山は中国の山ではない。よって、この諺は中国種ではないのだ。これは誰もが知っていると思いきや...で、先の学生の発言に私は驚いたのだ。
確かに口調は中国調ではあるけれど、この諺、実はラテン語で、出所はホラティウスの「詩論」なるもの。ホラティウスはローマの詩人(前65〜前8)、「詩論」は息子にあてた詩についての書簡。「山々が陣痛を起こして、あほなネズミが生まれるだろう」で、前触ればかり大袈裟でで、実際にはごくつまらないものが現われること、を言う。柳沼重剛「ギリシャ・ローマ名言集2 」によると、この漫画めいた原文を「大山鳴動して〜」という堂々たる漢文調の日本語に名訳した人が誰かは、分からない由。
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この話、初耳で、本当かや?と疑う人は、例えば諸橋轍次の「中国古典名言辞典」を初めとして,諸々引っ張ってごらん。中国物には出てないから。
学生達は皆呆れていたが、ひょっとすると今でも、これ中国種と思っている人がいるやも知れぬと、思い、書いてみた。色々思い出させてくれた栗原恵美子女の手紙に感謝せにゃ!
話しを変えるが、8月28日から一週間、「市民美術館」で「ふくろう文庫〉特別展をやることになった。念のため改めて会場を見て来たが、頭の痛いことが一つ。二つある会場の入って直ぐの四角い部屋が暗いこと。この照明では掛け軸の山水画や、綿密な絵巻物は無理と気付いた。何を展示すれば?と頭をひねっていて、ひらめいたのが浜口陽三「パリと私3 」の作品、25組で僅か750部出たもの。仙台の建築士で私が仲人した根元邦篤君の寄付のおかげで買えたもの。
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浜口陽三は、いわゆるカラーメゾチントなる版画技法の開拓者でフランス、アメリカ、ドイツを転々としながら、元来は白黒で成り立つメゾチント(銅板)に色を取り入れる技法の開発につとめた。「黒」を背景にわずかに、それでいて妙に鮮烈に浮き上がる「赤」や「青」の美しさは、輝く会場では勿体ない、闇の中に浮かぶ更なる闇といった趣の陽三の作品を並べようと決めた。
ついでに奥さんの版画家・南佳子の画集も置いて置こう。で、7月28日の第27回「ふくろう文庫ワンコイン美術講座」のテーマも、「・浜口陽三と南佳子」と決めた。8月の特別展の予習のつもりで是非御来聴あれ!!