2012.8月6日寄稿
拙著「本の話」は2004年5月20日の発行だが、出て間もなく、芦別の元高校の先生と言う人から手紙が来た....中には..山歩きでもしようとカルルス温泉に来て「山静館」に泊ったが、生憎の雨で2日間どこにも出られず、退屈しのぎにロビーに出てみたら、「本の話」が置いてあって、「一読.巻おくあたわず...で非常に面白かった」で「貴方(私のこと)と私「(元先生のこと)は同じような年格好だが、はるかに沢山読まれていて、自分は何と怠惰であったことか、と反省...」云々。手紙を読んで数日後、私はカルルスの件の宿に日帰りで行って見た。
ロビーに「本の話」があるのを嬉しく見て、風呂に入っていると、30代前半か20代後半の小柄の男が入って来た。髪も髭も伸び放題、はどうでもいいが、驚いたのは両肩からひじの辺り、前と背中から腰へかけて、一面の入墨だったこと。向こうも目も合わせぬし、こちらも目をそらすしで、何の柄かは皆目覚えていないのだが、ハハア、これは小柄の自分を大きく見せよう、との威嚇だなとは思ったし、もう一つ思ったことは、これだけの入墨じゃ銭湯には中々行けんわなーと言うもので、宿を出る時見たら、スバルサンバに一切合財積み込んでの旅の様だった。
それから暫くして私は豊浦の温泉「しおさい」に行った.入っていると、長身んで筋肉質の男が入って来たが、二の腕に入れ墨がある.そのの男はサウナに入り、ややして出てくると同時に「しおさい」の職員が2人出て来て、その男になにやら丁寧に言っている。ハハア、出てくれ入れ墨お断りだなーと思って見ていると、案の定その通りで男は「何もしてないのによー」などと不満気言いつつ出て行った。誰かが通報した結果なのだろう。気の毒にと思いつつ上がって休み場に行くと、さっきの入れ墨男が今度は「生ビール持ってこい」とやっている。見ていると、間が悪いというのか、係の女の子の返事が「品切れです」と来た。入れ墨男、聞いて怒るまいことか、「何ー」と唸ったが、どうもイヤガラセではなくて、本当に切れているらしい...で、男は「もう来るか!!」てな文句を垂れつつ出て行ったが、さてこの入れ墨、今年6月4日の各紙朝刊に、例の大阪市長が職員の入れ墨の有無の調査を命じたとの記事が出た。読んで私は直ぐに、ロシアのニコライ皇帝が若年のみぎり来日した折、長崎で入れ墨をしたことを例に上げ、「ニコライのみならず、入れ墨を好んだ異国の有名人は、大阪職員にはなれそうもない」との文章を書いた。それが2ヶ月後の8月5日の「本の話」第604回として出ると、」異国の有名人とは他に誰がいるかーとの質問が来た。答えは簡単、例えば英国のアルバート王子や、ジョージ5世、我が妻さんによると、あのサッカーのベッ亀、間違いベッカムのも相当なもんだと言う。しかしこの答えよりも質問者に知って欲しいのは、あの日本をダメにしてくれた一人たる小泉の祖父さんの又次郎(政治家)全身に「魯知深」(ろちしん)の入れ墨をしてた、と言うこと。
魯知深と言えば「水滸伝」だが、この場合問題は「三国志〉であろうと、「西遊記〉であろうと関係はない。私の関心は、橋本はこのことを知っていたか、又もし、祖父でなく小泉自身が入れ墨していたらどうでたか...と言う点。小泉がまだ全権をにぎっていた時だとしたら、敢えて「入れ墨禁止」などとは言い出さなかったに違いない。と言うのも、ああ見えて実は権力にするよるのも橋本の本質の一つと私は思っているからだ。上には楯つかぬ筈。
「刺青とヌードの美術史1 」
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次は某紙で俳人人気投票をした。1位は芭蕉、私の好きな蕪村は、4位。15位まで出ている。私は蕪村の句も画も好きで、4年前第8回ふくろう文庫ワンコイン美講座で、蕪村を取り上げた時には、ポスターに「一目遭い蕪村さま」と入れたくらいだ。だから蕪村についての研究書、評伝の類は出る都度目を通してきたつもりだ。そう言う私にとって、蕪村関係の本でとりわけ愛情を込めて持っているのは、河東碧梧桐(かわひがしへきごどう)による「画人蕪村」だ。碧梧桐の蕪村研究について、潁原退蔵は「蕪村文献に関する真の研究的紹介はやはり氏(碧梧桐のこと)に始まった言っても宜しかろう」と太鼓判を押す。つまり、私にとって蕪村が大事なれば、蕪村の神髄をえぐり出した河東も大事だ。
その河東碧梧桐って誰?。ドナルド・キーンは日本文学士・近代・現代篇の「子規の弟子達」をこう書き出す。「子規の死後,弟子の河東碧梧桐と高浜虚子の二人が、俳壇の指導者の座を争った」と。
そこで、先の人気俳人の1-15位までを改めて見直すと、ナントナント碧梧桐がおらんのだ。結論ははっきりしている。指導者の座を争って碧梧桐は負けたのだ。キーンの定義を借りれば、「進歩を提唱した碧梧桐と、保守的で伝統重視の虚子」の2人は虚子が勝って、それを又キーン曰く、「虚子は俳句を国民的な娯楽に仕立て上げた〉と。つまり、人気投票に碧梧桐の名が見えぬのは、人気のある、ない―以前に、現代の俳人達が碧梧桐を知らぬ。或いは知っていても、読まぬからだ、と私は考える。そしてそのことは、余りほめた話しではないと思う。
碧梧桐の列に連なると言っていい(と思うが)のは、萩原井泉水とその弟子足る尾崎放哉と種田山頭火だ。「碧梧桐無視はよくないのう」...と一人憂えている所へ、正津勉(しょうづべん)の本が出た。「河東碧梧桐2 」正津の腕前は、前にも「河童芋銭〉で知っている。この本、碧梧桐を次回のアンケートでは人気俳人の中に入れる力を持っているーと私は思う。
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バイオリニストの諏訪内晶子は、其の容姿(関係ないか)も音色も好きだったが、去年7月、7千万円の所得を隠した、それも、海外公演などで得た所得の大半、おおよそ7千万円を意図的に申告しなかった。それに較べると詩人バイロンの娘レディ・アン・ブラントが昔持っていたというストラディバリウスを日本財団が所有していて、これを売リに出し、12億7500万円で落札され、この金額が震災支援として提供されたと言う話は清らかでいい。
「堤琴有情3 」
清らかと言えば、もう一つ、陸前高田の津波で流された松や楓を使ってバイオリンが作られ、国内外の演奏家1000人に弾き継がれていると言う、「千の音色でつなぐ絆」の話。最初の演奏者はイスラエルのイヴィリー・ギトリス。バイオリン音楽史の誉れむべき一頁に加わるべき話だ。これに「東洋のストラディバリ」こと陳昌絃の話も足しておこう。
「海峡を渡るバイオリン4 」
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今日は8月6日オリンピックに因んでロンドンの話しをと思ったが、又にしよう。