2013.12寄稿
新聞に作家・朝吹真理子の「読書日記」が出ている。朝吹は2011年「きことわ」で芥川賞受賞。私は生活万般流行は追わぬ。主義でなくて、性格からだ。だから,芥川賞にも直木賞にも殆ど留意しない。
また時間つぶしに本を読むわけではないから,両賞受賞の作品も、淘汰を経たあとに読めば充分と思っている。当然朝吹も読んではいない。しかし、この「読書日記」の文書には、二、三思うところがあった。朝吹は祖母を看取った時の事を書いていて...母は対訳付きのブレイク詩集を読んでいた。英語の”遠さ”を口に含めるようにして唱えるとほっとするのだと言う ....と書く。読んで、へえー、ブレイクをねー、と思う。朝吹は続ける…母にとってこの夏の救いは、朝のテレビドラマの”あまちゃん”とブレイク詩集だけだと言っていた....。
我が家にはテレビがないから、この”あまちゃん”と”じぇじぇ”とかを、新聞のテレビ欄でしか知らぬ。けれど、祖母を看取る気の重い時間の中で、”あまちゃん”は分かるが、ブレイクの方はへえーと思う。
話しを変えるが、小谷野敦の「日本の有名一族1 」(玄冬社新書)
<に朝吹家が出ていて、中の一人登水子(とみこ)について「〜登水子が晩年書いた自伝三部作は、庶民とはかけ離れたブルジョアの生活を描いていて、こういう育ちのお嬢さんがサルトルや、ボーヴォワールと親しかったかと思うと鼻白むものがある」とある。先程私が「〜ブレイク詩集を読んでほっとする〜」に感じた「へえー」は、この「鼻白むものがある」の感じに似ている。朝吹本人は,看取りの間に読んだものとして、「西脇順三郎」の作品や訳詩集をあげる。
ここで私は、実に久し振りに西脇のことを思い出した。この詩人の授業を私は1年間受けたが,印象は甚だ芳しくない。もう老年だったせいもあろうが,要するに授業になっていないのだ。ボソボソと一言二言しゃべると廊下に出てボーとして煙草をのんでいるといった按配で…自身が疲れていたのと、ひらめきを感じないボンクラ学生を相手にしていられない,つまりはバカにしていたのだろう、と思う。文学史家・紅野敏郎は「西脇は大学教師としては,ことの他東大を嫌い...慶応始め(の私学で)熱心に授業をした」と“学鐙”を読む」で書いているが,私の見た西脇は全然そうではなかった。
私が最初に読んだ西脇の本は昭和9年、第一書房刊の「現代英吉利文學」で、最後の昭和38年、慶応退官時の記念論文集の「芸文研究」の第14・15合併号も取り寄せて,色々読んで来たが...まあ、この詩人になじむことはなかったので,余り語る資格はない。代わりに工藤美代子の西脇伝(( 工藤美代子.寂しい声.筑摩書房(1994))) を出しておく。
ついでに言うと、この工藤も何点か読んで来たが,先の小谷野が又,2010年刊の「日本文化論のインチキ2」(幻冬社新書)で,
工藤が恒文社(L.ハーン全集の版元)社長・池田恒雄の次女であり、「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長であり,石原慎太郎論も書き、関東大震災の時の朝鮮人虐殺が過大とする本を出し、で明らかに「右翼」的な方向へ動いていることは注目される,としていたが,工藤のその後はますます度を強めているようだ。困ったもんだ。
授業になっていない、で皆川三郎先生を思いだした。シェイクスピアを教わった先生だ。しかし,教わったと書いたが,この先生又面白くない人で、その面白く無さは,一言で言うと,容姿、しゃべり方全てにおいて,生気が感じられないのだ。覇気は要らずとも,せめて生気をと思うのだが、それがない。先生は既に「オランダ商館の日記」の研究を世に出していて,それを知っていた私はきっと面白い授業だろうと思ったのが間違いで,ボソ〜と何をしゃべっているのかという感じ。
最初「十二夜」がテキストで、大山敏子の注釈書(篠崎英文学双書)などで予習して行くのだが,とにかく授業がお通夜に出ているみたいな陰気さで本当に参ったものだ。
この先生も今思うと疲れていたんだろうな。もう一つ思い出を書くと,ゼミの時期になり,私が夏休みを終わって少し遅れて上京すると,希望する他の先生はもう満員で,欠員だったのが皆がいやがった皆川先生の所だけで…又この先生と縁をもったのだ。
それはともかく,シェイクスピアと言えば最近DVDで「もう1人のシェイクスピア」を観た。これはシェイクスピアはいなかった。その作品は別人が書いたものだ、という即ち「シェイクスピア別人説」を主題としたもの。
劇作家のベン・ジョンソンが実際の作者たるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアから戯曲を渡され,上演を命じられる。これが大受けに受けて,観客が「作者は誰?」と騒ぎ立てると,役者のひとりが「私だ」と名乗りでる。その男が「シェイクスピア」。このシェイクスピア別人説は,18世紀以来続いている論議で今に始まったことではない。フランシス・ベーコンとか,クリストファー・マーロウとかの名が別人として挙っている。
「謎ときシェイクスピア」3
私が学生時代、神戸の三の宮のセンター街にあった古本屋「あかつき書房」で買った本で,明治36年刊宝文館、島文次郎著「英国戯曲略史」なる古い本にも、「沙翁(さおう=シェイクスピア)の事蹟はその材料極めて乏しきながらも,学者多年苦心の結果として〜其の誕生と死亡の如き、その婚姻の如き、その財産の処分の如きは、ストラットフォールドの戸籍簿に明記せるを以て更に一点の疑を挟むべき処有らざるに、種々の偏見よりして今日に到りて尚沙翁はベーコンの変名に過ぎずと言う論者を絶たざるは実に奇怪と言わざるべからず〜」と出ている位。
さて、この映画面白く観たが,肝心のシェイクスピア役が品のない男で残念だった。この説の当節における是非について河合祥一郎の本を出しておく。第一部第2章「6人のシェイクスピア候補たち」が目玉。河合は昨年10月上演の別人の一人たるマ―ロウの「エドワード二世」を訳した人。
映画と言えば,ティモシー・ハットン主演の素晴らしい映画を観た。「評決のゆくえ」が反れ。走行する貨物列車の中で,白人の二人の少女(でもないか)が9人の黒人少年によって集団レイプされると言う事件が主題。DVDのジャケットの案内には何も出ていなくて、「よさそうだ」の感じで借りてみたら、これが問題作。見始めてやや暫くして、ありゃ、これはあの事件か?と突然気付いた。「最後の被告人4 」
その事件とはスコッツボロ事件。1931年のこと、如上の9人は死刑判決が出て…45年後に赦免された。言うまでもなく冤罪事件だったのだ私の見落としでなければ、まだ映画評に当らぬのが不思議だ。鈴木透の「性と暴力のアメリカ5 」の第2章のⅡ、リンチの系譜(中公新書)も読むべし。
早や2014年、今の政情からみて、とてものこと鼓腹撃壌(=人民が食事が充分で世の太平を楽しむ様)の世が来るとは思えんなあ
1989年(平成元年)11月4日、第一回「鷲山第三郎のこと」を皮切りに、24年間室蘭民報に掲載されて来た、「本の話」が、2004年5月に1冊目として室蘭民報より、出版され、2010年9月に
「本の話」続として、同じく室蘭民報より、出版されております。
室蘭民報社に掲載された回数は、今は640回をこえて連載中です。その中の371回までを2冊にまとめたものです。希望の方は,下記宛にお申し込み下さい。
2冊で定価2300@4600円+送料450円 計5050円
「普通為替」番号「051-0015」にて申し込みください
室蘭市本町2丁目2-5 市立図書館「ふくろう文庫」山下敏明宛