第340回村山知義と町村金五・ ポケットミステリー

2014.2月寄稿

第一次大戦中のこと,東京のある中学校の生徒会の雑誌にT.Mなる学生が反戦の意を込めた一文を載せた。

すると,生徒たち同士で論争が起き,「君は戦争を絶対に否定するのか」「否定する」などのやりとりのあと、この戦争否定派のT.Mは、「この否定の言動は聞きのがす訳にはいかん.学校の問題とする」と主張する肯定派の10数人に待ち伏せされて,昔よくあった鉄拳制裁を受けた。その中にK.Mがいた。....ここからは、T.Mの文章を少し引用する。「〜K.Mは勉強する,出来るグループの少年ではなかったが,後に官界に入って、トントン拍子に出世して、私のクラスでのいわゆる”出世頭”と言われるようになった。内務畑で、あっちこっちの県の知事をしているうちに、内務省警保局長になった。警保局と言う所は、思想犯検挙の総元締めで、彼がそこの局長の時、私は2回検挙・投獄さ、3回目のそれは、彼が警視総監の時だった。〜」

さて、次は第二次大戦、いわゆる太平洋戦争時代に入って….当時、総合雑誌の二大勢力と言われた「中央公論」「改造」を発行していた両出版社が潰された(この事件「横浜事件」という)。戦争と言う非常時に、この二雑誌が余り戦争協力的態度を取らず、それどころか、軍側から見れば、自由主義的でさえある事が,目にさわっての結果だった。

このときの警保局長が富山県知事より転入してきたK.Mだった。このK.M、この後は新潟県知事となり,2ヶ月も経たずして鈴木内閣の警視総監となり,降伏直後は更に東京都次長に栄進…したものの,戦後、追放となった。その失意の時に、T.Mらに会ったK.Mは、「自分は2度の検挙にはタッチしていない。知りさえしなかった」と弁解した由。...追放解除になったK.Mは今度は北海道知事になった。さてこの辺で、この頭文字を名前に戻してみよう。T.Mとは村山知義、K.Mとは町村金五。

如上の引用は,村山の自叙伝「演劇的自叙伝11 」からのもので,村山が演劇雑誌「テアトロ」に連載したものだ。去年の3月、神奈川県立近代美術館で「すべての僕が沸騰する。村山知義宇宙展」が開かれ,私も直ぐにカタログを取り寄せた

 

改めて村山とは「1901〜1977、劇作家、演出家、東京生まれ、東大中退、前衛的な舞台美術で知られ,プロレタリア文化運動に参加、新協劇団結成」(大辞林/三省堂)。町村は記載ナシ.思想的に弾圧した者...,その結果として歴史に残るもの,忘れさられる者.人類文化の面において、どちらが優者かは言うまでもない。

そう言えば、室工大在職中、学生運動の盛んな時の大学入試で,試験会場が分散され,監督に行った場所が道立の高校で,各教室に道知事町村の揮毫なる道徳教訓めいた言葉が額入りで壁に掛けられているのにはウンザリした。

ところで、何故今町村金五が出て来たのか、と問うであろう貴方への答えは...昨年11月8日、秘密保護法案を自民党で取りまとめたプロジェクトチームの座長は,町村信孝元外相で,彼が当日の国会審議で曰く,「”知る権利”が国家や国民の安全に優先すると言う考え方は基本的な間違いがある」。この人は金五の息子だ

この親にしてこの息子あり...でDNAというものはあるもんだな....と言う訳だ。

昨年秋、早川書房の「ポケミス」が1953年の創刊以来で還暦を迎えたと報じられた.新書版の大きさで,三方がウコンで染めたように黄色のポケット治まる故のミステリーシリーズと言うことから、通称「ポケミス」で,60年間で総点数1777点世界最長最大のシリースの由。これと同じような体裁の

ハヤカワ・SFシリーズもあって,今、我が棚から,その中の一冊、シラノ・ド・ベルジュラックの「月と太陽諸国の滑稽譚」を出してみると、函のウラが1センチ5mm四方に穴が開けられてそこから定価が見え、その上の方には「お手元にきれいな本をお届けしたくてこんな簡単な函をつくってみました。いわば包装紙代わりです.お買い上げ後には捨てて下さい」と書いてあるが,私はムロン捨てなかった。

ミステリー、探偵物、推理小説と言えば、昔、女優の轟夕紀子が大のファンで、と居間の壁全面天井迄の本棚を埋め尽くした様子の写真を見て感心したことがあるが、私自身は今時間がないので殆ど読まぬ、,,,とは言っても世界と日本の古典に属するものは一応読んできて、これでも一応英文科卒だから、コナン・ドイル言わずもがな、「アシェンデン」を含むモームの全集、「木曜日の男」を含むチェスタートンの選集、グレアム・グリーンなども読んできた

読んで来たと言えば、角川商法にのせられて、文庫で続々と出た横溝正史は全部読ませられてしまったなあ.我が読書暦はともかく、都築道夫に言わせると「現役の推理作家で、ポケット・ミステリーの恩恵をこうむらなかった人はいないだろう」と。

それはそうだが...で思い出したのは、と言うよりも忘れてならぬのは、探偵小説の父森下雨村(1890・明23ー1965・昭40)。探偵小説雑誌「新青年」の編集長(この新青年傑作選全5巻/立風書房は我が棚にあり)。クロフツの「樽」を初め、外国作品多数を紹介し.自分も書き、更に小坂井不木と江戸川乱歩を世に出した。「探偵小説の父森下雨村2

医者の小坂井の三大傑作は「毒及び毒殺の研究」「殺人論」「犯罪文學研究3 」。3番目が私が一番好きなもの。江戸川乱歩は….今更説明の要無しで、私が一番珍重する「貼雑年譜4 」を出しておこう.乱歩とくれば,岩田準一、更に南方熊楠おもはさんでの色男研究文献探索の協力振りが面白いのだが、それはいずれ又の機会にしよう。

今は時間がないので推理小説は読まぬと先に書いたが、当節、猪瀬のワイロだ、内閣府とやらの」職員のゴムボート漂流だ、と凡百の推理小説顔負けの事件の連続で、「事実は小説よりも奇なり」の御時勢だ。

ところで先日,東京都全域を満遍なく真っ白にした大雪も、猪瀬の家のところだけは白くしなかった由.正しく「天網恢恢疎にして漏らさず」だな。

言い忘れ一つ.市川雷蔵の「忍びの者」の原作者は村山知義ですぞ。

2月15日百田の発言でキャロライン・ケネディが、NHKの取材に難色を示したと出たぞ。

 

  1. 村山知義.演劇的自叙伝.東邦出版社(1970) []
  2.  森下時男.探偵小説の父森下雨村.文源庫(2007) []
  3. 小坂井不木.犯罪文學研究.国書刊行会.(1991) []
  4. 江戸川乱歩.貼雑年譜.講談社(1989) []

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