第344回 亀は鳴くのか?茶道とキリスト教の儀式

2014.06.14寄稿

私が大学時代前半、「創元文庫」は名の通り創元社が版元だが,この会社は矢部良策なる人が1925年に大阪で始めた出版社で,1951年9月この文庫の創刊。本の扉の裏に著者紹介と著者の写真が着いて,独自の品揃えで人気があったが,1954年に約を500点を出して倒産した。

ゾッキ本が出たのはその余波で,返品されたものが出されたせいか、縦横1㎝程小さくなっていた。と言うのは,もちろん汚れを落とすためで,今のBOOK   off    の店ならもっと上手に処理するだろうが,時間が早いから,単純明快に裁断した訳だ。だから今,私の棚を見ると,この文庫の本だけが寸足らずで,頭が低くなっている。このゾッキ本で,私が主に買ったのは,ロシア文學で,アンドレーエフとかクープリンとかソログーブとかアルツバーシェフとかメレジコーフスキイとかフリーチェなどがその著者だった。

さて、ここに「ぼくの創元社覚え書1 」なる一冊がある著書は高橋輝次で元創元社の編集者、と言うより今では古本に詳しいフリーの編集者と言ったらよいか。私の棚にも「古本漁りの魅惑(東京書籍/2000年刊)」、「古本の蘊蓄」(燃焼社/平成9年刊)「古書往来2 」(みずのわ出版/2009年刊)などが並んでいる、父親が輝一で、それを次ぐ息子が輝次と,自己中心的な前を付けられたとボヤキながら,三浦しおんの名は両親が文学好きで石川淳の「紫苑物語」から取ったと言う三浦自身の話しをして、しおんが後で調べたら「紫苑」には「鬼の醜草(おにのしこぐさ)」なる、ひどい別名があると知ったと,三浦がフンガイした...と言うような面白いことを書く。

三浦とは、言うまでもなく先頃映画にもなった「舟を編む」で当たりに当った人だ。しおんはともかく「僕の創元社〜」は私のように創元社文庫や又創元社選書に少なからず恩恵をこうむった世代の人間には,面白いだろうくらいの感想でやめておく。

それよりもこの本でも一つ面白かったのは,この本の出版社の名前でそれは「亀鳴屋(かめなくや)」金沢の本屋、部数が少なくて現に私の所持する「僕の創元社〜」も540部限定の304番本。

「カメナクヤ」で思い出したのは曲亭馬琴の「俳諧歳時記栞草」(岩波文庫)、その上巻の「春の部」に「亀鳴」が出ていて〔夫木集〕に「川越のおちの田中の夕闇に何とぞ聞けば亀の鳴くなり」とある。夫木(ふぼく)は鎌倉時代の私撰和歌集で藤原長清が選者だが,入集歌人で一番多いのは、この歌の作者・藤原為家。この歌結構有名で金子兜太編で私が重宝している「現代歳時記」にも、「この歌が始まりで春の季題になった」とある。亀はお経を読む人の声に似た声で鳴くと言う意味の「亀の看経(かんきん)」なる言葉もあるから、亀は鳴くのかも知れんが、私の蔵書中「亀」に関してのたった1冊の「かめものがたり3  」には何も出てナイから、真意の程は分からぬ。

大分前、ブラジルだのボルネオだので新種のカエル発見のニュースがある位だから鳴く亀もどこかで見つかっているかも知れぬ−と、某紙の「〜相談室に」「亀は鳴くのですか」との質問を出したが、ナシのツブテで、思うに亀は鳴く筈はなく、こんな馬鹿な質問に付き合ってられんと思われたのだろう。そのうち、金沢の「亀鳴屋」に命名の由来を訊いてみようと思っているところだ。

過ぐる5月17日に、「北海道学校茶道連絡協議会」なる大会で、全道から集まった300人余の全部女性茶人達(男性は2人のみ、あと4.5人の男性は来賓)に「茶経、茶の本、天心の恋」と題して講演した。「茶経」は茶の百科と言われる古典で、中唐の人・陸羽が書いたもの。「茶の本」は「茶経」を英訳したタイトルで、つまり経=本。最後はその本の著者・天心と星崎波津子との悲恋。自分で言うのも変だが大好評だった。

私は「茶経を語るついでに「ふくろう文庫」が所蔵する趙原画「陸羽烹茶図」も飾って聞いてくれる人の理解を助けた他、戦前の「茶経〕の研究科でかつ精神科医の諸岡保についても語ったが、京都から来た来賓は、「この話は初めてです」と言っていた。この講演を依頼された時、私は直ぐに「茶経」を連想したのだが、そのうちに「あの話はどうかな〕と思ったものがある。それは「茶道にはキリスト教の影響がある」との説。

これ、平成8年に出た増淵宗一著「茶道と十字架4 」なる文献に「むかしは濃茶(こいちゃ)を一人一服づつたてしを、その間余久しく主客共に退屈なりとて、利休が吸茶に仕そめしとなん」とあるそうで、いわゆるまわしのみのことを当時は吸茶と言ったわけだが、これ何のためかと言うのを、「茶」の方では「一味同心」なる言葉で説明する。


つまり、連帯感や親密感を強めるため、又利休の時代は何と言っても戦国の世だから、毒の危険はないぞとの意味もあったらしい。これが昔のキリスト教でミサの時、一つの盃から信者達がブドウ酒を順にまわし飲みした儀式を真似したもの...ではないかと増渕は言う。又茶器などをしまう前に拭く「袱紗捌き」の動作が、キリスト教の坊さんが聖盃を拭くやり方に一致すると言う。して又身分の関係なしに、全員身をかがめて「躙り口」から入る、まあ一種の民主主義的行為は、聖書のマタイ伝にある、有名な「汝、狭き門より入れ」なる言葉にヒントを得たもの、という。

して又、例の「利休七哲5 」のうち,蒲生氏郷、高山右近,牧村兵部はクリスチャンだ...


ということは,右近はルソンへ追放されたし,氏郷は毒殺された...以上の説を「妄説」と断定する本もあるけど,ところがドッコイでで,利休の孫・宗旦の次男・一翁宗守を祖とする武者小路千家14代家元・千宗守は,前述した如く「濃茶」はカトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないかと主張して,1994年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世にバチカンで会った時、言ってみたところ否定されなかったそうな。果たして「妄説」かそうでないのか,15代の宗屋は、このあとどう主張するのか、これからが楽しみだ。

ところで、気の毒なことに「利休にたずねよ」の原作者・山本兼一は昨年3月病没した。生きていたら「キリスト影響説」を深めてくれたかもな。

2014.6.14「利休にたずねよ」を観た翌日、これを書く。

 

  1. 高橋輝次.ぼくの創元社覚え書.金沢市・亀鳴屋(2013) []
  2. 高橋輝次.古書往来.みずのわ出版(2009) []
  3. 宮田保夫.かめものがたり.成星出版(1998) []
  4. 増淵宗一.茶道と十字架.角川選書(1996) []
  5. 村井康彦.利休七哲.淡交社(1969) []

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