第350回 翻訳家小笠原豊樹=詩人岩田宏の業績

2014.12.10 寄稿

随分昔、パリでのこと、1870年の普仏戦争での敗戦を記念して建てられたサクレクール寺院を観てからカルコーやマッコルランの回想に出てくる有名な酒場 「はねうさぎ」に回るべく、モンマルトルの丘に登ろうとして、通りがかりの人に「ケーブルカーの駅はどこか」と尋ねると、ちょっと考えて「知らぬ」と言 う。こっちも困ってハテ?とあたりを見回していると、5.6歩行きかけたその人が、小首をかしげ戻って来て「貴方の言うのはフニクリ・フニクラの事か?」 と言う.瞬時に私の頭に浮かんだのは「行こう、行こう火の山へ/行こう、行こう山の上/フニクリ、フニクラ...」の唄だった.と同時にそうか、登山電車 はここではケーブルカーではなくて、フニクリフニクラなのかと理解して私は「それ、それ」と喜んで...となったのだっ た。で,デンツア作曲のこの歌、舞台はご存知ベスビオ火山だ.所は無論ポンペイ無論と書いた.ところが....20冊 程所蔵するポンペイの関連の本で一番古いのは大正15年に日本郵船が出した下位春吉の「死都ポンペイを訪ふ(おとず)ために」で、旅客の便益を考えての出 版云々の序がある。下位は冒頭いきなり、「ポンペイを、相当学問のある日本人でボンベイと言う人があります。」と嘆いてそれはインド、こちらはイタリアだ と加えている。当時はそんなもんだったのだろう。

それが今では「日本の財団法人古代学協会」なるものがポンペイの発掘に取り組んでいて(何年前だったか忘れたが)その報告によると、ベスビオが爆発したと き、ポンペイは高さ8メートル城壁で守られている都市だった。ところが、発掘してみると、城壁の外側に、長年にわたって、市民がポイ捨てし続けた.土器の かけらだとか、食べ物の骨などが、貝塚よろしくナント4mの高さにつもっていた由。となると、8mの堤防が半分土砂で埋まっていたと同じで、さらにナント その4mの上に又噴火の軽石などがこれ股m積もり、で、せっかくの8mが壁にも堤防にもならず、ために火砕流は平地にくると同じくポンペイをなめつくし た....となるらしい.「塵も積もれば山となる」どころではない。これも昔、ポンペイに行った時、えらい日本語の達者な爺さんがいて、聞くと秘本敗戦 時、軍属で東京にいた事が有り-で今は観光局の仕事をしているとのことだった。

さて、西暦79年8月24日、ナポリの南東のベスビオ山は爆発し た.この当時ローマは全世界人口の1/4にあたる6,000万人を支配する正しく帝国だった。この年日本は未だ弥生時代、この差ナンタルチーヤのサンタル チーヤ。因に、今ナポリと書いたが、先にあげた日本郵船の本では「南方里」だ.ナポリの街路、小路をはさんで向かい合わせの家々が窓からロープを張り渡し て洗濯物をズラリと下げわたして、見上げると青空見えずの有様もすごかったなあ。..とまあこんな古い事を思い出したのは映画「ポンペイ」を観たからで、 CGだか3Dだか知らないが、空から火山弾、山から火砕流それに火災サージ(熱風)そして大津波、この時火山観賞をと意気込んでガリー船で出かけた「博物 誌」の著者大プリニウスは灰と煙で死んだのだった。さてポンペイ滅亡について...となって発行当時評判の高かった金子史郎の本を出しておくついでに「南 方里」の他にと、サービスで以下を付け加えておく。「ポンペイの滅んだ日」いずれも日本郵船の本からで、馬耳塞(マルセイユ)安土府(アントワープ)蘇士(スエズ)古倫母(コロンボ)ついでにもう一つ、個人的にはポンペイと同じ時に埋もれてしまった都「ヘルクラネウム」に興味があるのだが、その話は又の機会に。

ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドの時 の何作目だったか、コネリー相手に大立まわりをする猛烈婆さんがいて、この猛女の秘密兵器が靴の足を上げてどこかをけると、つま先から両刃の剣が飛び出す というもの。かかとを動かすと空洞になっていて、そこへ折りたたんだメモやらフィルムをかくすというのはあったが、この刃ギャイン出現靴にはびっくりし た。「考えたもんだ」...と思ったら同じ「考えたもんだ」でもトンデモない靴が出た。去年9月 甲の一部分がメッシュ状態の布になっていてそこにリモコ ンで操作出来る小型カメラが仕込まれた、つまりは「盗撮靴」で一足3万円前後。京都府警はこのトンデモ靴の所有を禁じる法律はないが、盗撮防止のため客の リストを見て回収している由。この不埒な靴はさておいて、靴ときたからには折角だから、日本人がこの靴たるものにどう対して来たかを知ってもらうのも悪 くはなから追うから...とて、ここに「靴産業万年史」を進めたいが、一般的な本ではないから、大塚斌(あきら)の「はきごごちー暮らしのなかの靴1 」をす すめる。ついでに「ヒマ」のある人は広島は福生市松永町にある「日本はきもの博物館」に行ってごらんなさい。サントリー地域文化賞をうけた大変な博物館だ。

詩人岩田宏、本名小笠原豊樹が死んだ。先年12月2日。偉そうな事を言うようだが、私はこの人の対社会の問題意識とか文学の好みが自分と似ていると感じて、注意を払って来た。英、仏、露語をこなした人で、例えば、ソルジニツインの「イワン・デュソビッチの一日」が有名だ。ロシアでは他にマヤコフスキーや、エレンブルグ、フランス文学では例の落葉の詩人J・プレヴェールの「金色の老人と喪服の時計」(大和書房)それは発禁になった筈アメリカはメアリー・マッカーシーの「グループ」(早川書房)断然面白かったのはドン・レヴィーの「赤毛の男」(河出異色シリーズ「人間文学」のNo.16で出た本でかのジェームズジョイスの「ユリシリーズ」の伝統をつぐといわれた悪徳小説。岩田宏で出した本も沢山あるが、例えば次から次と色んな本をかたる、まあ岩田版「あんな本・こんな本」の趣がある「渡り歩き」書評などを集めた雷雨をやりすごす」(草思社)という訳で、最初今回は小笠原特集でいこうかと考えたが、やめた。そのかわり、松山在住で私の「本の話2 」の愛読者栗原恵美子さんから贈られた「マヤコフスキー事件3 」を出しておく。殺された詩人マヤコフスキーについての昭和46年刊「マヤコフスキーの愛4 」(河出書房)の完全版というべきもの。ついで言うと、私は「あんな本〜」No.167(2000.7.14)で「君の出番だ同士モーゼル」なるマヤコフスキーの死を論じた本を扱っている。


2014年10月10日、パトリック・モディアーノと大きく新聞に出た。すわ!死んだか?と思ったら「ノーベル文学賞」受賞だと。映画「ルシアンの青春」や「イボンヌの香り」の原作者。めでたし紙幅がないから、自信ユダヤ人のモデアーノがアウシュビッツに消えたユダヤ人少女ドラの足跡を追う代表作「1941年。パリの尋ね人5 」を出しておく。


今年もよろしく

「本の話」 室蘭民放社出版

 

  1. 大塚斌.はきごごちー暮らしのなかの靴.築地書館 (1992) []
  2. 山下敏明.本の話.室蘭民放社(2004) []
  3. 小笠原豊樹.マヤコフスキー事件.河出書房新社(2013) []
  4. 小笠原豊樹.マヤコフスキーの愛.河出書房新社(1971) []
  5. パトリック・モディアーノ.1941年。パリの尋ね人.作品社(1998) []

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください