2015.5.寄稿
スカラベはフランス語、日本語ではタマムシコガネ、一名フンコロガシで一群のコガネムシの称。古代エジプトでは太陽神ケペリを表し、生成、創造、再生のシンボルとして神聖視され、印章、装身具などにその姿が彫られた。もう17.8年前になろうか。ベルギーから来た芸術家が西洋の甲冑にこのスカラベをびっしり貼り付けた個展をひらいたことがある。
その名はヤン・ファーブル...で、かの「昆虫記」で有名なアンリー・ファーブルは、曽祖父。ヤンによると、ベルギーではアンリーは全く知られていない由。逆に日本では、フンコロガシはいないのに誰でもこの虫を知っているし、ファーブルを知らぬ人も、そういまいと思われる。全10巻の「昆虫記」を通して日本人はファーブルが好きなのだ。例えば、写真家の今森光彦は、アフリカで10年余りスカラベの生態を追って写真集を出したし、かのアンパンマンの詩人やなせ・たかしの台本によるミュージカル「ファーブル昆虫記」もあるし、劇作家・平石耕一の戯曲「ブラボー、ファーブル先生」もある。
身近なところでは、(今も続いているかどうか、知らぬが)、20年余り前に、栗山に「ファーブルの森」がオープンして、子供達だけの「御大師山昆虫調査隊」なるものも発足した。又「ゴロチャン」なるあだなの画家・熊田千佳墓は、ファーブル昆虫記に登場する虫たちを描くことを生涯の仕事とした。皆「昆虫記」に魅せられての結果だ。
私も昔「本の話」第4回(1989年11月25日付)で、大杉栄訳の「昆虫記」を語ったことがある。ところで今年はこのファーブルの没後100年目に当たるそうで、昆虫記の訳者・奥本大三郎が新聞に一文を草して、ファーブルの生家を再現した部屋の写真も出ている。この部屋は、奥本が自分の家を改造して「虫の詩人の館」として地下に設けたもので、私も数年前に行って見た。千駄木の坂を登ったところ、角地にあって割と狭かった。
奥本は1999末に「博物学の巨人アンリー・ファーブル1 」(集英社新書)を出し、あとがきのあとの「補遺」で日本の翻訳者たちに触れ、大杉以下5名の名を出し、中で木下半治と土井逸雄については未詳とした。そこで私は奥本に、木下半治は、これこれ、土井逸雄はこれこれと知らせて、このことを「あんな本・こんな本」の第160回(2000.3.17付)で語った。やがて奥本から「御教示まことにありがとう〜」の葉書が来た。
それから4年して、上田哲行編の504頁という大部な「トンボと自然観2 」が出たので読んでみると、第18章が遠藤彰の「ファーブル昆虫記の翻訳と訳者」となっていて,叢文閣版の「昆虫記」の七、八巻は(木下半治〜日本のファシズムの研究etc)十巻は(土井逸雄〜フランスの作家シャルル・フィリップの翻訳者〜)とあって、註20をみよとある。でそこを見ると、「木下半治と土井逸雄については、室蘭市立図書館の山下敏明氏のホームページを教示いただいた京都大学学術出版の高垣重和に併せて感謝したい」と出ている。読んで私はびっくりした。自分名がこんな所に出てくるとは予想もしていなかったからだ。「あんな本〜」を読んでくれる人がいるんだ。という訳で、今回はファーブルの本....と言っても、この本が出るまでは「ドイツ語圏ではファーブルは一般的には、全くと言っていいほど知られていなかった」とある「ファーブルの庭3 」と「トンボと自然観」を出しておく。
ところで、オーストラリアでは牧牛のフンの処理のためにフンコロガシを導入した。しかし。何年前だったか牛の背中に塗るだけで寄生虫を駆除できる「イベルメクチン」なる薬が出来たはいいが、この薬が牛糞に残留するため、フンコロガシが激減するとの問題が出たと報道されたことがあった。ファーブルが知ったら嘆くことだろう。
5月末、フランス大統領が旧植民地のハイチを訪れたという記事から刺激されて関連する文章を追っていてまことにびっくりした。せっかく大反乱の末、黒人自身の国になったのに、どうしてハイチはいつまでも貧しいのだろうと疑問だったが、ナントナント独立したあと、フランスが黒人による独立を承認する代償(というのも妙な話だが)に、多額の賠償金を50年以上も取り立てていたというのだ。しかもこの金は誰のためかとなれば、植民した側のフランス人がその大農園なる財産を失ったので、この連中にまわすというものだった。そしてもう一度、しかも、その額たるや現在の180億ユーロ(2兆5千億円)だというから、大農園経営者たるもの理不尽な貪欲さに言葉を失う。奴隷蜂起の指導者トウサン=ルヴェルチュールにつてであろう、トム・リースの「ナポレオンに背いた黒い将軍4 」(白水社)が最近出たが、私は未読。代わりにアンナ・ゼーガースの「ハイチの物語5 」を出しておく。
「戦争立法」をめぐって、見るところ安部首相は志位議員に、いわゆる、こてんぱにやられている。「ポツダム宣言」他について、不勉強のそしりを受けるのも無理はない。
ベトナム戦争についての「ペンタゴン・ペーパーズ」や「マクナマラ回想録」についても同じだ。マクナマラと言えば、おぼろげながらだが、一つ記憶に残っていることがある。それは、マクナマラが北爆他を省みての反省で、「北爆の失敗は、作戦が全て机上のコンピューターの計算で立てられたものだ。そのコンピューターが計算に入れなかったもの(と言うより、私に言わせればコンピューター故に気付かなかった)がある。それはベトナム人の愛国心だ」。これで思い出したことがある。
太平洋戦争の日米開戦を控えて、当時の各ジャンルの俊秀36人が、軍の命令で日米戦争をシュミレーションし、「日本必敗」の結論を出したのに対し、陸相東條は「諸君の研究は〜あくまで机上の演習で〜」と言い、日露戦争も勝てるとは思わなかったが勝った、これは意外だが「この意外裡の要素」が、諸君の「机上の空論には入っていない〜」と答えて、この結論を無視した。三枝昂之の「昭和短歌の精神史6 」に出てくる話。机上の空論?で負けたアメリカと、日本....似たような、似てないような。「日本必敗」が結果として正しかったのだが!!。