2015.8.3寄稿
7月11.12と秋田に招ばれた「本の力」と題して講演してきた。昼食前に、安藤忠雄設計の美術館に寄った。地元では好評とは言えない建物の由。美術館を出ると、前の建物で「土崎大空襲展」をやっている。見たいと思ったが時間が迫ったので止め、講演に向かった。
ところで、この朝「これはないな」と思ったことがあった。宿で朝刊を開くと秋田の佐竹敬久知事が「戦争法案を通すべきだ」と発言している.また県議会で「戦争法案の成立を求める意見書が可決されたとも出ている。戦争法案反対ではない。で何故「これはないな」と思ったかと言うと、土崎が空襲されたことを知っていたからだ。その頭で市内に来てみると「土崎空襲展」をやっているのも奇遇だ。太平洋戦争末期、アメリカは戦闘意欲を市民から奪おうとして、実に日本国内400余りの市町村を無差別攻撃した。「戦争資料センター」の昨年末の調査では20万人余りが犠牲となった。土崎もその一つ、ついでに言うと、我が室蘭もその一つ。もとより、政治的信条は各自自由だから口をはさむ要はない気もするが、被災地の長が黙っているならまだしも、「通すべき」とくると、困ったもんだなあ、という気持ちにならざるを得ないもちろん政治的配慮なるものもあるだろうしかしそうであろうけれどもだ....
空襲被害者などの民間人の補償/救済を求める「空襲被害者等援護法(仮称)」の制定を求める運動が起きている今、繰り返すが、被災地を抱える長が「戦争はいやだ」でないのは「これはないな」なのだ。更にもう一つ「これはないな」と強く思う理由がある。これはこの土崎、秋田の人には自明のことだろうが。かの「種蒔く人1 」発祥の地だ。
これは1921年(大正10年)〜23年にかけて出た全24冊文芸雑誌の名だが、反戦と被抑圧階級の解放を旗印に、この地で創刊された。小牧近江、金子洋文、今野賢三ら土崎小学校の同級生に小牧の叔父近江屋友治、従兄畠山松次郎が加わった。この雑誌はフランスの作家。アンリ・バルビュスが発表した小説「クラルテ(光明)」がきっかけとなって始まった国際的平和運動に影響されて出来た。小説「クラルテ2 」は搾取階級の打倒と、戦争に狩り出された大衆の奴隷根性の絶滅の必要を訴えたものだ。因みにバルビュスの「地獄3 」は戦前は発禁だった。
発禁がとかれたこの小説を私は大学2年の時に読んだ。さて、こうした世界的な反戦の流れに身をおいた小牧を生んだ土崎の被災を知りながら「戦争法案no」と言わぬ知事が私には不思議な人物に見える。この知事目下、香川照之と「龍角散」の宣伝に出ているが、「ゴホン」どころか国民皆戦争熱で肺炎となり死ぬやもしれぬという時に一寸呑気すぎないか。オット忘れる所土崎が生んだ小牧については、北条常久の「種蒔く人小牧近江の青春4 」(`95年筑摩)や`99年文治堂書店刊『「種蒔く人」の潮流5 』が私としてはおすすめ。「ある現代史6 」
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先日「このところ中国の漢詩にはまっています。政治批判があり、戦争に反対する作品もあって読み応えがあります。なる某文章が目にとまった。こう述べた後、某は、戦死者の体に鳥がついばく光景を歌った李白や、行かないで、出征する兵士に追いすがる家族を詠んだ杜甫などの名を上げる。古来、幾多の異民族と接し。侵略に怯えた中国での人民の生活は平和より、戦乱の時の方が多いといっても誤りではなく、戦いの悲惨、無意味さを詠ったものはいくつもある。例えば王翰の「酔うて差場に臥す、君、笑うことなかれ、古来、征戦、幾人か回る」戦にいったもので生きて帰ってきた者は何人いるだろうかとの嘆きの歌だ。ところで、ここに見せたい本がある。鈴木虎雄の「中国戦乱詩7 」鈴木は序文で言う「〜正義の軍なるもの果たして~幾何かある.目的の曖昧なる戦争において血と汗を貢し、艱苦を荷なわしめられ、惨風晴雨の中漂わさるる中国の中国の領民こそ実に甚だ憐れむべきものに非ずや」この箇所は攘夷弾に焼かれて死んだ、つまり空襲で死んだ我国民にも当てはまる。「戦争法案」を前にして、読むべし!!戦争の結果を想像すべし!!この戦争の歌の詞華は、鈴木「懐徳堂」で行った講演を集めたもの。「懐徳堂」とは江戸時代の町民人出資の庶民教育の漢学塾の名。
一寸変わった話を紹介する。
或る家族を或る写真家がとることになった。その家族が一家揃って団らんんしている場面を撮りたいというのが写真家の望み。団らんとなればやはり、一家そろっての食事の場面がいい。ところがその家族が言うには「食べるも物がいつもあるわけではないからと」..逆に言うと、「その日でないと食べる物が揃わないので」その日に来て欲しいいと。
諸君はこの「食べ物がそろわない」としぶる家族をどこの家庭と思うか?実はこれ、天皇家なのだ.1946年1月1日、天皇は勅書で「自分は神にあらず」の人間宣言を行った。それで、これでこの神ならぬ「人間の」の家族が食卓を囲む写真を撮ることになったが、たべものがない...が、12月23日の皇太子(現天皇)の誕生日にはいくらか揃うだろう。で答えが「その日でないと食べ物が揃わないので」となった次第、この話「報道写真と戦争8 」に出てくる。太平洋戦争は終始軍部が庶民をだます中で行われた。その「だまし」の一端を担ったのは写真家だ。その「だまし」の手口を知って次には「だまされぬ」ためにも、一読してしかるべき本だ。戦争となると全てが欠乏する天皇家においてや!!今、スポンサーの金で食い歩いてひたすら「うまい..」と絶叫しているバカタレント共。その命も平和な今の中だぞ。その芸なき芸を続けたけりゃ、「戦争法案no」と絶叫すすべし。
2ヶ月ほど前から気になっていたドキュメント映画「怒れ!憤れ!」を見たこれは高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ9 」に出てくるステファンエセルが原作者。そして、そのエセルは建築家の西方君が送ってくれたイアン・ブルマの「廃墟の零年10 」に3度登場する。フランスのレジスタンス闘志でゲシュタポに逮捕拷問されたあと強制収容所から生き返ってきたエセルだと気付いてようやく3点がつながった。不屈のエセルは若者に言う。「どうせ何もできないんだと諦めるな。君たちをダメにっしようとする全てと戦え」。若者でなくとも,ふるいたたせられる。